王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

劉暁波氏 がんで死去 !!

2017-07-14 12:09:09 | 中国関連
強大化した中国、劉氏を恐れた理由 死去の報道も制限

全国で大雨大水の被害を受けている方には申し訳ないようですがここ横浜は空梅雨の様でこの数日は暑さが続き、それでなくても働かない頭が煮えそうです。

さて14日の夕刊で末期がんの治療のため刑務所外の病院で治療中の「劉暁波」氏が亡くなった事を知りました。
中国の民主化を求める運動家で再三政府からにらまれ投獄、釈放を繰り返していました。2008年には投獄されたまま「ノーベル平和賞」を受賞しましたが(当然の事ですが)政府は授賞式への出席を認めませんでした。
2010年懲役10年の実刑判決が下り錦州の刑務所に収監されました。
特に中国の政府が殺したわけではありませんが「末期がん」なんて突然なるものではありませんから数年前からわかっていた事をいい加減な治療で死の後押しをしていたなんて事はあるかも知れません?!

昨日の夕刊では「遺体は灰にして海に散骨せよ」なんて政府が遺族に命じたとありますから死して劉氏のお墓が民主化活動家の聖地になる事を真底から嫌っている事が良くわかります。

さて中国の若い人による民主化要求の声はどう広がってゆくのでしょうかね? 江沢民ー胡錦濤ー習近平と続いている共産党一党独裁は金持ちにはなったけれど鼻持ちならない様にも見えます。

さて話は飛んで報道の前日には法務省が2名の死刑囚の刑を執行したと報じました。
早速人権団体が「(そのうちの1名は)再審請求中であるのを捉え)重大な人権侵害だ!」と非難する声が上がっています。この死刑執行後で確定死刑囚が125人いてそのうち92人が再審請求中だそうです。

おそらく中国政府の対応と日本の人権活動家の避難の中間位に民主的なる概念の実態があるのでないかと思いました。
劉氏のご冥福をお祈りします。


写真:生前活動中の劉氏

朝日新聞:
獄中でノーベル平和賞を受賞し、中国の民主化運動の象徴的存在だった人権活動家の劉暁波(リウシアオa:
ポー)氏(61)が13日、亡くなった。民主化の夢は一党支配を死守しようとする当局の壁に阻まれ、末期がんに侵されても出国もかなわなかった。だが、その死は強大になった共産党政権に大きな問いかけを残した。

 「民主化を目指す我々の精神的な支柱だった。とても悲しくて、怒りでいっぱいだ」。劉氏が投獄される原因になった「08憲章」に最初に署名した1人で杭州の学者、温克堅さん(46)は言った。病院に見舞いに行ったが、病室すら教えてもらえなかったという。

 北京の著名人権活動家、胡佳氏(43)も「出所したら、一緒に中国の変革を目指して戦いたかった」と無念さを口にした。ただ、政府が出国を認めなかったことへの怒りは大きい。「せめて最後は自由のある土地で死なせてあげたかった。人道的な配慮すら認めない、体制のひどさを多くの人が知ったのではないか」

 入院先の遼寧省瀋陽市の中国医科大学付属第一病院では13日午後5時半ごろ、劉氏の病室があるとされる病棟に霊柩(れいきゅう)車が到着。多くの私服警官らが警戒するものものしい雰囲気のなか、午後6時半ごろ、劉氏を乗せたとみられる霊柩(れいきゅう)車が護衛とみられる4台の車が前後を固めて走り去った。

 その後、近くのホテルに当局が設けたメディアセンターには多くの報道陣が集まった。担当者から「記者会見を開く」という説明があったが、夜になってもなかなか開かれなかった。

病院側は13日深夜に会見し、「肝臓がんは早期発見が難しい。外国の専門医も我々の治療を高く評価した」と述べた。主治医によると、妻の劉霞(リウシア)氏や劉氏の兄弟も付き添っていたという。

 中国メディアは13日夜の段階で劉氏死去のニュースを国内向けには流さず、海外メディアの放送も制限。英BBCは約10分間画面が暗くなった。
(引用終わり)
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