日ロ首脳、領土解決へ交渉加速=首相「われわれの世代で平和条約」(時事通信) - goo ニュース
日米首脳会談に次いで日ロ首脳会談が行われました。
日本時間24日未明と言いますから新聞の締め切りに間に合わなかったのか? 巨人の優勝に紙面を取られたのか余り言及がありません。
鳩山首相は北方領土問題を2年くらいのうちに解決を図りたいと発言していました。外務副大臣に(問題はあると思うのですが)鈴木宗男先生を外務副大臣に任命し「北方領土問題の解決に尽力を要請」しました。
この様な動きに合わせてでしょう15日モスクワで行われたロ欧日の有識者会議で
「新政権とは極端な立場を離れればあらゆる話し合いに応じる」と狼煙があがりました。
未明の首脳会談でも「領土問題に向けて準備を進める」事が確認されました。
会談での発言でしょう。鳩山首相は「日ソ国交回復を果たした祖父鳩山一郎元首相が、1956年の日ソ共同宣言で明記された歯舞、色丹の2島引き渡しでは領土問題は解決できないとの認識を持っていたと指摘」したそうですが、その心は:
北方4島一括返還でなければ平和条約は締結できないだし
メドベージェフ大統領の極端な立場を離れるべきとはそれは乗れない話とのお返事。
爺がこのブログのカテゴリー「ロシア問題」の折節に書いている様に:
米国は第2次世界大戦の勝利に際し(1)戦争による領土拡大或いは国境線の変更を認めない。
(2)その意思を踏まえたアレン・ダレス国務長官は対日講和の設計図となるサンフランシスコ条約を起草した。
その後明らかになる米国の意図は:ハボマイ・シコタンは日本固有の領土である。日ソ国交回復時に返還されるべき。 国後・択捉はサ条約で放棄した南千島に含まれるが平和条約締結なら返還されねばならないとの事であった。
さて由起夫総理の祖父一郎下総理であるが:吉田元総理の後を受け1953-1956年て第52-54代総理大臣であったがその政治基盤は非常に弱かった。(細かい話はウキピディアを参照願います)1954年第2次鳩山内閣の扱う「日ソ交渉」は副総理の重光外相と内閣の実力者河野一郎の不仲と対立に加え自民党の反対(保守合同は11月)始め反対が多く交渉は行き詰まりつつあった。
ここでソ連は56年5月6日「日ソ漁業交渉」で訪ソ中の河野一郎農林大臣をクレムリン宮殿に呼び寄せ河野は日本人只一人だけでソ連首脳と会談してしまった。
内容は明らかでないが:
ソ連の主張は『ハボマイ・シコタンは本来ソ連領であるが日ソ国交回復の為に譲る。これに対し日本は更に国後・択捉を返せと言い出し交渉が中断した。国後・択捉は既にソ連領として確定しており、この原則はソ連として絶対に変更できない』これに対し河野一郎は『ブルガーニン首相の今の提案は理解しうるものであり、かつ実際的なものなのであって、我が方として受諾しうるものである』と語り議事録にサインしたらしい。
一国の農林大臣が「漁業交渉」に行き外国の元首達と一人だけで会談し領土に関する相手方の言い分を認めてしまった。冒頭に述べた如くソ連の北方4島に対する見解は米国(サ条約)の見解を根底から覆すものである。
後はソ連の操るままであった。
五月末に出漁時期が迫っている「サケマス船団を出漁させるためには漁業協定がいる。その為には国交回復と平和条約締結が必要」と「サケマスの問題が日本領土を巡る問題に摩り替わってしまった」そして鳩山内閣も国交回復を条件として「漁業交渉締結を認めてしまった」
「国交回復が目的」であり「漁業交渉」が手段であったのを失念してしまった。
日本側は鳩山も重光もこの深刻なすり替えに気が付かずハボマイ・シコタンの返還で日ソ平和条約締結が可能と思い込んでいたらしい。
以降重光は米国の激怒に触れ鳩山一郎は平和条約は結ぶべくも無く「ハボマイ・シコタンの返還さえなく」日ソ共同声明(国交回復)でお茶を濁すお粗末であった。
二人は失意のうちに政界を去った。
由起夫氏が祖父一郎氏の失敗を教訓にしているなら『外務大臣岡田をして米国国務著官クリントンにサンフランシスコ条約の領土事項に関する直近の米国の見解を糾してから北方4島の返還問題に取り組むことをお勧めする』
鈴木宗男氏の2+2の延長で処理しようとすればお祖父さんの失敗の轍を踏む。
時事通信:
【ニューヨーク時事】鳩山由紀夫首相は23日午後(日本時間24日未明)、ロシアのメドべージェフ大統領とニューヨーク市内で会談した。懸案の北方領土問題について首相は「われわれの世代で最終的に解決し、平和条約を締結できるよう大統領のリーダーシップに期待する」と表明。大統領は「交渉を一層精力的に行いたい。独創的アプローチを発揮する用意がある」と応じ、交渉を加速することで一致した。
両首脳は、11月にシンガポールで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際に再び首脳会談を行い、領土問題の本格交渉に向けた準備を進めることを確認。また、政治レベルの対話を活発化するため、定期的に外相協議を行うことでも一致した。
首相は、日ソ国交回復を果たした祖父鳩山一郎元首相が、1956年の日ソ共同宣言で明記された歯舞、色丹の2島引き渡しでは領土問題は解決できないとの認識を持っていたと指摘。その上で「50年たっても平和条約が締結できないのは両国にとってマイナスだ」と柔軟な対応を促した。大統領も「双方が極端な立場を離れるべきだ」との考えを示した。
また、首相は「『独創的なアプローチ』についての考え方をしっかり示してほしい」と求めた。(引用終わり)
写真:代表撮影 メドベージェフ大統領と
日米首脳会談に次いで日ロ首脳会談が行われました。
日本時間24日未明と言いますから新聞の締め切りに間に合わなかったのか? 巨人の優勝に紙面を取られたのか余り言及がありません。
鳩山首相は北方領土問題を2年くらいのうちに解決を図りたいと発言していました。外務副大臣に(問題はあると思うのですが)鈴木宗男先生を外務副大臣に任命し「北方領土問題の解決に尽力を要請」しました。
この様な動きに合わせてでしょう15日モスクワで行われたロ欧日の有識者会議で
「新政権とは極端な立場を離れればあらゆる話し合いに応じる」と狼煙があがりました。
未明の首脳会談でも「領土問題に向けて準備を進める」事が確認されました。
会談での発言でしょう。鳩山首相は「日ソ国交回復を果たした祖父鳩山一郎元首相が、1956年の日ソ共同宣言で明記された歯舞、色丹の2島引き渡しでは領土問題は解決できないとの認識を持っていたと指摘」したそうですが、その心は:
北方4島一括返還でなければ平和条約は締結できないだし
メドベージェフ大統領の極端な立場を離れるべきとはそれは乗れない話とのお返事。
爺がこのブログのカテゴリー「ロシア問題」の折節に書いている様に:
米国は第2次世界大戦の勝利に際し(1)戦争による領土拡大或いは国境線の変更を認めない。
(2)その意思を踏まえたアレン・ダレス国務長官は対日講和の設計図となるサンフランシスコ条約を起草した。
その後明らかになる米国の意図は:ハボマイ・シコタンは日本固有の領土である。日ソ国交回復時に返還されるべき。 国後・択捉はサ条約で放棄した南千島に含まれるが平和条約締結なら返還されねばならないとの事であった。
さて由起夫総理の祖父一郎下総理であるが:吉田元総理の後を受け1953-1956年て第52-54代総理大臣であったがその政治基盤は非常に弱かった。(細かい話はウキピディアを参照願います)1954年第2次鳩山内閣の扱う「日ソ交渉」は副総理の重光外相と内閣の実力者河野一郎の不仲と対立に加え自民党の反対(保守合同は11月)始め反対が多く交渉は行き詰まりつつあった。
ここでソ連は56年5月6日「日ソ漁業交渉」で訪ソ中の河野一郎農林大臣をクレムリン宮殿に呼び寄せ河野は日本人只一人だけでソ連首脳と会談してしまった。
内容は明らかでないが:
ソ連の主張は『ハボマイ・シコタンは本来ソ連領であるが日ソ国交回復の為に譲る。これに対し日本は更に国後・択捉を返せと言い出し交渉が中断した。国後・択捉は既にソ連領として確定しており、この原則はソ連として絶対に変更できない』これに対し河野一郎は『ブルガーニン首相の今の提案は理解しうるものであり、かつ実際的なものなのであって、我が方として受諾しうるものである』と語り議事録にサインしたらしい。
一国の農林大臣が「漁業交渉」に行き外国の元首達と一人だけで会談し領土に関する相手方の言い分を認めてしまった。冒頭に述べた如くソ連の北方4島に対する見解は米国(サ条約)の見解を根底から覆すものである。
後はソ連の操るままであった。
五月末に出漁時期が迫っている「サケマス船団を出漁させるためには漁業協定がいる。その為には国交回復と平和条約締結が必要」と「サケマスの問題が日本領土を巡る問題に摩り替わってしまった」そして鳩山内閣も国交回復を条件として「漁業交渉締結を認めてしまった」
「国交回復が目的」であり「漁業交渉」が手段であったのを失念してしまった。
日本側は鳩山も重光もこの深刻なすり替えに気が付かずハボマイ・シコタンの返還で日ソ平和条約締結が可能と思い込んでいたらしい。
以降重光は米国の激怒に触れ鳩山一郎は平和条約は結ぶべくも無く「ハボマイ・シコタンの返還さえなく」日ソ共同声明(国交回復)でお茶を濁すお粗末であった。
二人は失意のうちに政界を去った。
由起夫氏が祖父一郎氏の失敗を教訓にしているなら『外務大臣岡田をして米国国務著官クリントンにサンフランシスコ条約の領土事項に関する直近の米国の見解を糾してから北方4島の返還問題に取り組むことをお勧めする』
鈴木宗男氏の2+2の延長で処理しようとすればお祖父さんの失敗の轍を踏む。
時事通信:
【ニューヨーク時事】鳩山由紀夫首相は23日午後(日本時間24日未明)、ロシアのメドべージェフ大統領とニューヨーク市内で会談した。懸案の北方領土問題について首相は「われわれの世代で最終的に解決し、平和条約を締結できるよう大統領のリーダーシップに期待する」と表明。大統領は「交渉を一層精力的に行いたい。独創的アプローチを発揮する用意がある」と応じ、交渉を加速することで一致した。
両首脳は、11月にシンガポールで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際に再び首脳会談を行い、領土問題の本格交渉に向けた準備を進めることを確認。また、政治レベルの対話を活発化するため、定期的に外相協議を行うことでも一致した。
首相は、日ソ国交回復を果たした祖父鳩山一郎元首相が、1956年の日ソ共同宣言で明記された歯舞、色丹の2島引き渡しでは領土問題は解決できないとの認識を持っていたと指摘。その上で「50年たっても平和条約が締結できないのは両国にとってマイナスだ」と柔軟な対応を促した。大統領も「双方が極端な立場を離れるべきだ」との考えを示した。
また、首相は「『独創的なアプローチ』についての考え方をしっかり示してほしい」と求めた。(引用終わり)
写真:代表撮影 メドベージェフ大統領と
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