そんな僕も就職するんですが
就職先は総合病院の理学診療科(リハビリ)に技師として勤めました。
お隣の科は耳鼻科だったんです。
鼻炎持ちの仕事先の隣りが耳鼻科だったのは幸いでした。
耳鼻科の先生とは仲が良くてよく診てくれたので毎日のように通いました
何せ隣の部屋だったので
いつも先生が何やら薬の付いた細い鉄の管を鼻の穴に差し込んで
その後、一般患者の子供達と一緒に並んでネブライザーを鼻に入れるんです。
最初の年は、ほぼ毎日この治療を受けましたが一向に良くならなくて
いつも白衣のポケットに鼻水を止めるステロイド系の薬が入った鼻に挿す噴霧
器が3本も4本も入っていて
仕事中に始終ささないと仕事が出来ないんです。
他人相手の仕事なので鼻水をすすってばかりだと集中出来なくて
おかしな事に仕事の対象が苦手な人の前では鼻水がよけいに出て
朝、職場の病院に向かっていて病院の建物が見えると鼻がむずむずとするんです。
そんな症状が24歳の時にぴったりと止まったんです。
薬も使わず、変なサプリメントも飲まずに
・・・
ふふふ
いつ本題に入るんだろう?
高校を卒業して都会で一人暮らしを始めるんですが
鼻炎の症状は続き
一人部屋でこんこんと咳をしながら熱を出して臥せっていることが良くありました。
両親は僕が人並みに就職が出来るか心配していましたが。
その頃、僕は夜間の医療系の専門学校に通っていたんですが
昼間は都内の総合病院で働いていて配置先は呼吸器内科の病棟でした。
いつも呼吸器で苦しんでいた僕の勤め先が呼吸器病棟だったんです。
仕事は雑用ですが僕が熱を出したりして風邪の症状が出ると
その道の専門の病棟の医師が診てくれるんです。
病棟はTBと呼ばれる結核患者の隔離病棟もあってマスクをして入るんですが
マスクをすると一時的に鼻炎がラクになる事が分かりました
その頃に病棟の医師から
「君はたぶん花粉症だよ」
と初めて花粉症と言う言葉を知ったんです。
最先端の病院でしたから喀痰の検査やX線など充実していて
鼻炎持ちで病弱な私の最適な勤務先でした。
それでもアレルギー性鼻炎も扁桃腺炎も一向に良くなりませんでした
いつも鼻の頭は真っ赤で鼻の下は鼻のかみ過ぎでカビカビでした。
今日は今期初めての介護認定審査会
かれこれ10数年係わって来てまたこの先2年間委託されたわけだけど
本業が2年間どころかあと半年持つかどうか
本業を辞めると委員自体を続けられない
職務組合が推薦先だから
介護保険制度が出来て20年近く経って
とやかく言われる方もいたけれど
日本の社会に根付いて来たと思う
制度が出来てすぐに
訪問調査とケアマネ業務に従事したけれど
本業とはとても兼業は無理なので1年で撤退した
それでも兼業が可能な機能訓練指導員として
特養、グループホーム、デイサービスを何か所か受け持った
けれど初期に僕が手掛けた機能訓練指導員としての業務は現在完全に隔絶された業務体系になっている
柔整師は元よりPT,OTと言った資格の価値が介護保険制度初期から比べて非常に低下した所以でもある
この機能訓練指導員も施設が機能訓練以外の送迎や介助と言った補助業務を受け持たせ
人手不足を補う戦力的要員として常勤として雇用するようになったので必然僕の様な非常勤の者はいらなくなった
それでも僕が初期の機能訓練指導員としてこれら施設で行い且つ実際僕が行ったやり方が引き継がれ
また退職したスタッフが他の施設でも同じようなカリュキラムを行っている
最近になって僕は過去に従事した事のあるこれら施設に電話をしている
「なんぞ仕事はありまへんか?困ってるんですわ!」
「いやー!若い元気な子を常勤で雇いましてな、おたくのようなお方はとてもとても」