HIROZOU

おっさんの夜明け

20歳の頃

2014-03-14 19:19:45 | メモリー

あかね色に空が染まり 初夏の暖かい風が丘の上に吹いた

眼下の目黒のビル群が夕焼けを背景に浮かび上がった

ここからは冬の晴れた日にくっきりと富士山が見え

夜は夜景がきれいだった

旧山の手通り、通称大使館通りに面したその高台の公園は近所のお金持たちが集うおしゃれな公園だった
大使館通りにはうどん屋は無かった(どこと比べてるんや?)

僕はベンチに腰を掛けて彼女から借りたキーボードの練習をしていた
傍らにはゴールデンのベンが座っていた

隣のベンチに穏やかそうな老夫婦が座っていてよく見ると元総理の三木氏だった(ほんとに)

ベンの頭を撫でようと近寄って来た外人女性はテレビで見かけるフランソワーズモリシャンさんだった(ほんまやで)

公園下は青葉台の高級住宅地で美空ひばりさんなんかが住んでいた

その頃、代官山近くのアパートに住み、大家の飼い犬を連れてよく西郷山公園に散歩に出かけた

「いたいた、ヒルサイドテラスに行ったらいなかったから」
近所のアパートに住む同級生のたかしがやって来た

「今晩ディスコに行かない」

「どこの?」
「新宿のB&Bか六本木のクラブD、クラブDならVIPが使えるから女の子も誘いやすいし」
「ダメだよ、今度、原宿に高校の先輩がオリジナルブランドの店を出すから今夜はパーティだって」
「へぇ~先輩っていくつ?」
「21かな」
「原宿って最近、タケノコ族とかが大勢いて煩いんだよな」

「あっ!原宿だったら僕のポルシェ使っていいよ」(これは嘘くさいな)
「いいよ健康のために歩いてくからさ」

「それと昨日学校へ来なかったけどどうしてたの?」
「ああ女の子誘って赤坂へ行ってたんだ」
「TBSの地下に美味い寿司屋があるって聞いてたから、それともう一件ロシア料理の店に寄ったらボルシチとウォッカが旨かったよ」(きんつるラーメンはどうしたんや?)

「今度、ニューオータニに部屋もとっとこうと思ってさ・・・わはは♪」
「あそこの窓は隙間風なんか入って来ないよ」
(何の話じゃ?)

「それと、そのポロシャツ似合うね」

「ラルフローレンさ、渋谷の109で買ったんだけど」
「大阪にいた頃は上から下までダイエー茨木店だったけど・・・ははは♪」
とかなんとか言ったかどうか忘れたが

上京して生活が一変した
昭和57年だったか
代官山のアパートの隣の1Kの分譲マンションが5000万で買い手がみつからないまま
2年後には2億になった

東京と言う事で
親父はお金が大阪よりかかるだろうと仕送りを10万にしてくれた
親父に黙っていたが学校は夜間で昼はむちゃくちゃ楽な仕事で3食付きで
15万ぐらい貰っていた

たかしはストレートに仕送りを30万程貰っていた

19歳で無職の年末、四条大橋の上で鼻水を垂らしていたら
20歳の年末の忘年会は赤坂の料亭で迎えた2次会は六本木のクラブだった

世の中に徐々にバブルの風が吹いてきた
今、思うと自分も何とかプチバブルを経験できた



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