19歳の夏の終わり白浜のホテルのバイトから大阪のアパートに帰ったら
アパートの前の路地でバットの素振りをしている若者がいた
(えらい元気な奴がおるな・・・)
そうしたら同じボロアパートの住人で越してきたばかりだった
何度か顔を合わせてたらそのうちに・・・
「キャッチボールの相手してくれへんか?」と言うので
(わしキャッチボールよりパチンコ打ってる方がええんやけど)
とか思ったけれどしびしぶキャッチボールの相手を何度かした
話を聞くと同じ高知出身で同い年だった
彼は野球部だったそうで僕はパチンコ同好会だった
彼はまじめな青年で夜は放射線技師の学校に行って昼間は病院で助手をしているそうだ
今回僕と同じボロアパートに越してきたのは働いている病院が職員住宅を新築するので
その間の仮の住まいだそうだ
職員住宅が出来上がって遊びに行ったらびっくりした
青いカーペットに窓じゃ無くてガラスドアに鉄の扉の1K
当時見た事も無いマンションの造り
聞くと住まいだけじゃ無くて学費から食費も皆、病院持ちとの事だった
(そんな旨い話があるんか!)
19歳の僕はその頃、将来の展望も見えずもがいていたんだけれど
俺のもそんな‘クチ,ないやろか?と思って聞いてみたら・・
「あるで、そやけど学校に受かってからや」と言うので
どうせなら東京に行ってみたいと思って東京の学校を幾つか受けたら一つ受かった
(昔は入るのが難しかったんやから)
学費こそ親に出して貰ったけれど結婚するまで病院で三食昼寝付きだった
あの時、彼に出会ってよかった
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