この時期、もう春一番が吹いたのやら、まだ吹かないのやら分からないが
春一番が吹くと、遠い日の旅立ちを思い出す。
四国の田舎から浪速の大阪へ
高校を出たほとんどの同級生達が春を待たずに都会に出る
親元を離れ自分自身で作る人生のスタートを切るわけなんだが
自分の場合、スターターのピストルの合図は聞こえたんだが
(あれ?俺はどこへ向かって走るんだろう・・)
一歩足を踏み出したとたん
踏み出した先に地面が無い
あれ~~~~~~
と奈落の底に落ちてしまった
(どんなスタートじゃい!)
進行方向が分からないので取り敢えずパチンコ屋に行った
(なんでパチンコ屋やねん)
大阪でパチンコばかり打ってったんで生活の主体がパチンコになった
友達が出来るのもパチンコ屋
アホの友達
パチンコ屋で知り合った友達同士で喫茶店でお茶飲んで
バカ話でゲラゲラ笑っていて気が付いたんだが
毎日、パチンコしているアホ友達って
皆、前歯が1~2本抜けてるんよ
若いのに
ははは!
そいでもってだいたいが無職で
仕事に行っても勤まらん・・
あっ!わしか
ある日、仲の良かったパチンコ友達のシゲルが・・・
「わし、就職決まったで、電話番や」
「良かったなー、事務仕事やな」
「おお、その代わり掃除もせなあかんし、たまにテキヤの手伝いもせなあかんしな」
「そりゃ就職ちゃうやろう」
とかなんとか言いながら暮していた
こりゃなんの話やったかな?
春一番か
今日の良い天気なんかを見るともう春が足音を立てて近付いて来るような
仕事的には足元が音と共に崩れ去るようにずっと冬ですが
世間的にはチューリップの芽も膨らみ、ウォーキングをすると汗ばむくらい
これからは海です。
実家は海から徒歩1分
高校の通学は20キロの海沿いの道を岬めぐりのような景色を横目に自転車をこいで
大きな橋で二つの漁港を渡り、その頃は高校まで信号が三つぐらいしか無かった
潮風に眩しい太陽、海の臭いに、白い浜辺
どういうわけか今は海に行くのに電車に乗らないといけない
また今度の休みも電車に乗って海に行こう
この間、坂東眞砂子の本を読んで気になったので昨日わざわざ鎌倉まで行って来ました。
そう言えば建長寺のカラス天狗はまだ見た事がなかった・・・
建長寺はカラス天狗だけじゃなくて素晴らしい景観が見られました
頂上から富士山から相模湾まで一望できるんですね
このお坊さんの銅像の自分の痛い体の部位と同じところを擦ると良くなるそうなんです。
(とげぬき地蔵さんも同じようなもんが・・)
お坊さんも長い間座ったままで体も凝ってそうだたんで思いっきり擦りまくって来ました
北鎌倉から若宮通り経由でここまで歩いて来ました。
それにしても建長寺の石段はきつかった
長谷寺には入りませんでした
だいたい鎌倉に行ってお寺を巡るのはせいぜい一つか二つでええな
賽銭箱破産するもんな
江の島で飯食って来ました。
最近、浅草なんかもそうだけど繁盛して行列の出来ていた飲食店なんかが
普通に並ばずに入れるるようになって来た
それだけ皆さん財布のひもが固くなって来たんだな
僕なんかとっくの前からだけど
うちは8:00始業だが自宅にいてもつまらんニュースばかりなのでもう出て来てしまった
現在進行形のテレビは見ないがユーチューブで昔の番組はよく見ている
最近、ハマっているのが‘まんが日本昔話,
ぼうや~♪よい子だねんね♪しな~♪
「おばあさんや、おばあさんや」とかで始まる
飯食いながら見るんだが、ほーほーと思わせる事がある
姥捨て山に捨てられるのは61歳からなんや・・・
現代やったら皆・・姥捨て山やんけ
とか
山姥はおるけど山爺はおらんな・・なんでやろ?
そう言えば幽霊はだいたいが女性で
男の幽霊やったら‘まぬけ,やな
だいたい昔ばなしって
おじぞうさん、に鬼、和尚さん、乞食に長者とか相反するものが良く登場していて
善行や悪行がそれらに微妙にリンクして物語を作っている
そう言えば
小さい頃は‘テレビ小僧,だった
朝から晩まで起きている限りテレビを見ていた
ドリフに吉本新喜劇、日曜洋画劇場に兼高かおる
たまに兼高かおるの水着姿に胸を時めかせた
もう仏さんかおばあさんだろうけど
仏さんと言えば沢たまきのプレイガール
足の長い綺麗なお姉さんがミニスカート穿いて白いパンツ丸出しで
悪人相手に上段蹴りなんかした日にゃ
息を殺して見ていたもんな
極めつけはきんきん(この人も仏さん)の水曜日の11PM
今でも覚えてるけど夜中の11:15分から
家中のもんが寝静まったのを確認してそっと起き出して
テレビの音量を最低にしてわくわくしながら見てた
ふぅ~~~
こんなもん書いているよりそろそろ仕事に取り掛からんと
お客様も・・ポツリ、ポッツリ
それにも増して仕事にまったく覇気が出ない
そう言えば、小さい頃からやる気のない、だらしのない少年だった。
おまけに勉強も運動も出来ないもんだから三拍子そろった
教師にとって別にどうでもいい生徒だ
4年生の頃、担任の教師に付けられたあだ名が‘ボケ,だった
(教師が生徒に付けるあだ名か)
授業中も黒板を見るより窓際の席から、肥かつぎの‘たごやん,が畑に肥料を撒くのを
見ている方が好きだった
そんな時、先生が・・・
「おお、ボケぇ~わしの授業より肥かつぎ好きなんやったら、てっとうて来たらどうや!」
バシッ!といつも叩かれた
中学生になっても部活で毎日先輩に殴る蹴るの制裁を受けるもんだから
とっとと辞めて、その頃めずらしい‘帰宅部,になって毎日テレビを見て過ごした
同級生が部活に汗と涙を流してる頃、僕は毎日、水戸黄門の再放送を見ていた
でも、良くしたもんで
三年生になって時間があって暇なのと自分を散々いびり倒した先輩連中と同じ高校に
生きたくないもんだからせっせと勉強して学区で1番の高校へ行った
何の話やったっけ?
そうそう
やる気が出ない話か
うぅ~~~む
暇や!
今日も早く帰ろ
早く帰ってもテレビは見ないからやる事が無いし
たまには外で酒飲みたいけど
金が無いし
だいたいテレビのオリンピックも全然見て無いし
ありがちな美談に
綺麗ごとの御託を並べた一歩通行の垂れ流し
善良ぶった出演者ばかり
ほんまは皆、腹黒いのに
やっぱもう帰ろう
大学受験もそろそろ終盤戦だろうか
昔々受験勉強もロクすっぽやらずに大学を受けまくって
それでもって落ちまくった
大学に行って何かしたいわけでなく兎に角まだ社会に出て働きたくなかった
動機がそれだから落ちるのは当たり前だ
10代最後のその年、3月4月はいったい何をしていたのかさっぱり記憶が無くて
新緑の5月、土色の作業着に安全靴、それにヘルメットを被って御堂筋の工事現場に立っていた。
ひょろひょろと背が高く、青白い顔で工事現場にまったく似つかわしくない若者がそこにいた
「わりゃ何べん言うたら分かるんや、こっちがあ~せえ、こ~せえ、言う前に動くんじゃ、あほんだら」
背が低くって小指の先がちょっと短い、先輩土方の斉藤さんに怒鳴られた
その頃創刊されたばかりのアルバイトニュースに載っていた一番時給の高いバイト先がここで‘簡単な軽作業,の売り文句に釣られた
新入の大学生がそろそろ大学に慣れて来てサークルか何かでかわいい女友達の一人や二人出来た頃、僕は海千山千のおっさんばかりの現場で新入り土方をしていた
「昨日な、フィーバー当てて家までタクシーでいんだんや」
「阪神負けたさかい、えらい大損や」
現場の話題はパチンコか野球賭博、
それでも毎日、喫茶店のモーニングを仕事前に先輩土方に奢って貰って
昼の飯屋のショーケースからおかずを選ぶシステムとか
知らない世界を覚えて楽しい事もあった
しかし僕があまりにも‘役立たず,だったんで監督はとうとう全く僕を無視するようになった
学生ばかりが住むアパートから、土木作業員として毎日現場に向かった
また坂東眞砂子を読み終えた
これほど長編なのにワクワク感は半端ない
舞台は北条氏の鎌倉、
三浦一族の滅亡
読めない漢字がいっぱいあった
日曜日は浅草に・・
デジカメが壊れたので一眼レフかまた普通のデジカメにするか思案中
初めて芸人さんの集う浅草の老舗店を尋ねましたが
満員だったのとプロ?の浅草人らしき人ばかりだったので
あわてて出てきちゃいました
今日は半ドンの土曜日
嬉しいな~♪
楽しいな~♪
何をしよっかな~♪
最近はだいたい昼風呂に昼酒
昔ならパチンコ
半ドンでもロクな事してないな
テレビを点けたら泰明小学校の校長が高い制服の件で叩かれていた
別にええやん
あそこは泰明小学校と言う小学校自体がブランドなんだから
もしうちの子があそこの小学校に通っていたら
食べたいものちょっとがまんしてアルマーニ着せるけど
戦時中や無いんだから