利根川と福川の合流点に位置する酒巻は、その昔河岸があり、江戸時代から明治初頭にかけて江戸との生活物資の水運によって栄えたという。地名の由来は「水逆まく故、逆巻が酒巻に転じた」という。
逆巻の地は関東造盆地運動による地盤沈下が激しく利根川氾濫による堆積作用と重なって、水田下に20基にも及ぶ古墳が確認され、酒巻古墳群と称される。多くの埴輪が出土し、特に14号墳より出土した旗を立てた馬の埴輪は国の指定重要文化財となっている。
また忍城の譜代侍酒巻長安の地として知られ、酒巻家は成田親泰の代から成田家に仕えた。「のぼうの城」では甲斐姫に心を寄せる若侍酒巻靱負が登場し映画では成宮寛貴が演じていた。
め
明細帳によれば神社の勧請は古く天喜五年(1057)伊予の守源頼義によるものとされる。源頼義、八幡太郎義家親子は前九年の役のにおいて奥州討伐に赴く際、行田の地を訪れ戦勝祈願していることが、行田総鎮守八幡神社に伝わっており、平安期より前には村として開けていたことが分かる。時代は下って慶長十三年(1609)中村左近によって社殿が再建されている。中村左近は当地の名主中村家の祖先で平家の末裔と伝えられる。八幡様は武神として信仰され、戦時中には多くの八幡詣でがなされた。
利根川に隣接しかつては水害も多く堤防拡張工事により氏子が強制移住させられることも多かったという。現在でも境内地脇の堀を渡るとすぐに堤が築かれており、堤防からは坂東太郎の水の流れと共に、遠くには山々の景色に富士の姿を目にすることもできる。
神社の先には地蔵尊があり、八月には地蔵祭りがあるという。子育ての神として子供が生まれると、お地蔵さまに赤い着物を着せている。
今日でも赤い羽織を纏ったお地蔵さまが建っており、信仰の継続が見て取れる。武神と子育ての信仰が村社として守られているようだ。