10月5日(日)、京都市のキャンパスプラザ京都で開かれた日本地震学会一般公開セミナー(後援:京都市)に参加したので報告する。
今年は大地震の当たり年のようで、今年に入ってから9ヶ月間だけでも震度6強が1回(7月26日宮城県沖地震)、震度6弱が2回(5月26日宮城県沖地震、9月26日十勝沖地震)発生している。しかもこの日は、北海道沿岸が津波の恐怖に覆われた十勝沖地震から10日経っていなかったせいか特に世間の関心が高いとみえ、会場には老若男女さまざまな層が詰めかけていた。ネクタイ姿の参加者は公的機関や企業の防災担当者だろうか。若い女性の姿もあった。
地震学研究は、東海地震や首都圏直下型地震によって遠くない将来に大規模な被害が起こる可能性が高い地域として、従来は量質ともに首都圏が先行していた。しかし、95年に兵庫県南部地震(いわゆる阪神大震災)が起きてからはがらりと状況が変わる。兵庫県南部地震を引き起こした「活断層」が注目を浴びるとともに、関西地区はじめ西日本での地震研究が活発化したのである。しかも、アプローチの仕方にややワンパターン化の傾向が見られる首都圏と異なり、活断層、都市防災、耐震建築物、はては宏観異常現象(前兆として現れる、動物の異常行動や「地震雲」などの自然現象)の収集に至るまで、実にさまざまな角度からのアプローチが行われており、量的にはともかく質的には首都圏を凌駕しつつある様子も見える。いま、地震学研究が最もホットな地域と言っていいだろう。
セミナーは午後1時から、橋本学・(社)日本地震学会理事の司会で始まった。まず、主催者の日本地震学会を代表して大竹政和・同会会長が挨拶。「大地震の恐怖にただ震えるだけでは日本列島に住む資格はない。地震を研究し、上手く付き合って行きましょう」と述べた。
前半はまず基調講演として3名の地震学研究者が演壇に立ち、それぞれの成果を発表した。最初は寒川旭(さんがわ・あきら)・独立行政法人産業技術総合研究所主任研究員が「地震考古学から21世紀の大地震を探る」と題して講演。「日本周辺での地震に関する記録が江戸時代から急に増えており、それ以前は少ないため江戸時代から急に地震活動が活発化した印象を与えるが、江戸時代以前は古文書の記録が活発でなかったため記録されていないだけ。実際は頻繁に起きている」「安政大地震では大阪南港一帯が津波で水没したため、今後の地震対策を考える上で津波対策が重要」などと述べた。なかでも「東海地震(東南海地震;愛知~静岡県沖)と南海地震(四国~紀伊半島沖)は過去4回、連動して起きており法則性が認められる」としてこの2つの地震が連動する可能性に言及したのは重要である。もし今回も連動して発生すれば静岡あたりから山陽地方あたりまで、東海道ベルト地帯全域を巻き込み、阪神大震災どころでない惨劇が起こる可能性もあると思う。
続いて2番手は尾池和夫・京都大学総長(大学院理学研究科)が「地震活動期の西日本」と題し講演。日ごろ何気なく使われている「震源」という言葉の定義について「地表まで揺れが来なくても、地下で岩盤が割れたり砕けたりすればそれは地震であり、この割れたり砕けたりが始まった地点を指す用語である」と説明、なかなか勉強になる。寒川氏の発言内容とも重なるが「日本では過去100年間においてM6クラスの地震は毎月1回のペースで起きているので、それ自体は大騒ぎすることではない」「地震のエネルギーは間隔が開くほど多く蓄積されるので、来るとわかっている地震はむしろ早く来たほうが被害は少なくて済む」などと一般向けにわかりやすい言葉で説明してくれるのでとてもありがたい。
トピックスだったのは、「神戸での大地震発生の可能性が1970年代から既に指摘されていた」と、当時の新聞記事を示しながら説明があったことだろう。「それなのにほとんど誰も注意を払わず、大きな被害を出してしまった」。
兵庫県南部地震が活断層が移動して起きた地震であったことは既に明らかにされている。「活断層の活動が平野や盆地を形成したのであり、それゆえ人間は活断層を避けて生活することはできない」(尾池総長)。では活断層の上に住んでいる人はみんな危険なのかといえばそうでもなく、「地震の被害は活断層の上かどうかよりも地盤の善し悪しによって決まることのほうが多い」(寒川氏)。
3番手は入倉孝次郎・京都大学防災研究所所長が「巨大地震の強震動予測~再び大震災を引き起こさないために」と題して講演。東南海地震の恐れがある近畿地方が日本で最も危険度の高い地域であること、9月26日の十勝沖地震が、前回(1952年)の十勝沖地震と同じ性格のものであること、南海地震は前回(1946年)のものが小規模だったことから、次回は90年周期となる可能性が高く、2036年頃に危険度のピークを迎えるであろうこと、などが説明された。
休憩を挟んで後半(15:30~)からはパネルディスカッションに移る。寒川、尾池、入倉の各氏に加え、奥山脩二(おくやま・しゅうじ)氏(京都市役所勤務)、林春男氏(京大防災研究所教授)、中島正愛(なかしま・まさよし)氏(京大防災研究所勤務、建築学者)、中川和之氏(時事通信社勤務、日本地震学会広報委員)の7名が出席して行われた。司会は橋本氏。発言を一部紹介する。
林氏 「今後30年で(大地震の発生する)確率40%」の確率予測が2002年に出たが、では2003年には何%になったのかというと、それは誰も教えてくれない。自分の地域がどの程度危険なのかを市民は知りたがっているのに、それもわからないような確率予測を出されても意味がない。
尾池氏 地震で建物が崩壊する可能性のほうが火災の確率より高いのに、市民は火災保険に入るのには熱心でも地震保険に入る人は少ない。これは、保険会社が(支払に応じなければならなくなる)可能性の低いところを狙って稼いでいるためで、市民が本当のことを知らされていないからこんな事が起こるのだと思う。…そもそも市民は自分が死にたくないから今日この会場に来ているわけで、我々の高尚な議論を聴きに来ているわけではないにもかかわらず、我々は高尚な議論をして事足れりと思っている。この辺に意識のギャップを感じる。
中川氏 市民と研究者が双方向で情報のやりとりをしながら共有するというのでなければならないと思う。情報の共有というとすぐ広報の問題にすり替えられてしまうことが、日本の地震学界の悪い体質であり、今後は改善が必要ではないか。
そして、最後に質疑応答があった。会場内の関心の高さを反映して質問は次々に出されたが、1問だけ紹介しよう。
質問者 最近、地震予知に関して、「できない」として事実上学界が方向転換したと聞いているが本当なのか。
回答(尾池) 地震の予知はまだ緒についたばかりで、むしろこれから発展していく分野である。現時点で地震を予知することは不可能だが、予知は日本国民の悲願であり、それに向かって前進を続ける科学界でありたいと思っている。
まだまだ書きたいことは山ほどあるが、地震学界に対する「自己批判」まで飛び出すなど各氏言いたい放題の有意義なディスカッションだった。セミナー全体を通して言えることは、東海地震などプレート境界型地震にばかり世間の関心が集まるなかで(私自身もそこにしか関心がなかった)、私の知らなかった活断層の問題、東南海地震と南海地震の関連性といったいろいろなことを学習することができたという意味で、高い交通費払って京都まで出かけた甲斐があったといえるセミナーだった。
ほぼ予定通り、午後5時過ぎに終了。