東京電力元会長の勝俣恒久さん死去 福島第一原発事故時に会長(朝日)
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東京電力福島第一原発の事故発生時に東電会長を務め、その責任を問われた勝俣恒久(かつまた・つねひさ)さんが21日、死去した。84歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
東京都出身。東大経済学部卒業後、1963年に東電(現東京電力ホールディングス)に入社。2002年に社長に就任、08年に会長に就き、原発事故後の12年に退任した。
16年2月には、津波による被害を予測できたのに対策を取る義務を怠ったとして、2人の元副社長とともに業務上過失致死傷の罪で強制起訴された。東京高裁は23年1月に無罪判決を言い渡したが、検察官役の指定弁護士が不服として上告した。
事故をめぐる株主代表訴訟では、東京地裁が22年7月、取締役としての注意義務を怠ったとして勝俣氏を含む旧経営陣4人に連帯して13兆円を超える賠償金を支払うように命じた。旧経営陣側と原告の株主側の双方が判決を不服として控訴した。
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勝俣恒久・元東京電力会長が死去した。私が「福島原発告訴団」の一員として刑事告訴・告発の段階から関わっている東電刑事裁判の被告人。事件は1審東京地裁、2審東京高裁ともに「無罪」の不当判決で、検察官役の指定弁護士が最高裁に上告していた。最高裁からは、有罪に変更するための弁論開始の決定も、逆に無罪判決とするための上告不受理決定も、今のところ来ておらず、裁判が続く中での死去となった。
東電刑事裁判の直後を追いかけるように審理が進む東電株主代表訴訟で、事故に伴う被害額に当たる13兆円もの巨額の損害額の弁償が経営陣に命じられた2022年7月の訴訟には出廷していた。しかし、自身に無罪判決が言い渡された2023年1月18日の刑事裁判東京高裁判決には出廷しなかった。自身が被告人として起訴されている裁判に出廷しないことなど通常はあり得ない。勝俣被告の健康不安説が関係者の間に一気に広がったのは、このときだった。
判決日の時点で82歳だった勝俣被告の年齢を考えれば、いかなる事態が起きても不思議ではない。だが、私としても、被告には生きて有罪判決、禁固5年の刑に服してもらいたかったというのが正直な気持ちだ。この裁判を何度も傍聴したが、勝俣被告からは、事務系で技術に疎いのをいいことに「わからない」を連発し、事故と真剣に向き合う姿勢は最後まで見られなかった。
「亡くなったことで真実が闇の中となり、分からなくなってしまう。きちんと罪を認めて心から謝罪をしてほしかった。胸に抱えたまま亡くなったことは、本人にとってどうだったのか」(11/1付け「東京」)。福島原発告訴団の武藤類子団長のコメントだが、私も同じ気持ちだ。東京電力から被害者への文書による正式なお詫び・謝罪は、東電との和解に応じたいわき市民訴訟の原告に対するものを除けば、事故から13年経った今なお行われていない(参考記事:東電が謝罪「二度と事故起こさぬ」 原発避難者訴訟の原告団に(2024.8.20「朝日」)
勝俣被告の死去により、東電刑事裁判は武藤栄、武黒一郎の両元副社長に対してのみ残ることになる。すでに終わりも見えてきた刑事裁判だが、逆転有罪に一縷の望みをかけ、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団は行動を続ける。