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【訃報】ノーベル文学賞受賞作家・大江健三郎さん死去

2023-03-15 23:38:54 | 原発問題/一般
ノーベル賞作家の大江健三郎さん死去、88歳 戦後文学の旗手(朝日)

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 戦後文学の旗手として、反核を訴え続けたノーベル賞作家の大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)さんが、3日午前3時過ぎ、老衰のため死去した。88歳だった。葬儀は家族で営んだ。喪主は妻ゆかりさん。後日お別れの会を開く予定。

 1935年、愛媛県大瀬村(現内子町大瀬)に生まれる。東京大学仏文科在学中の57年、東大新聞の五月祭賞を受賞した「奇妙な仕事」が評価され、文芸誌に「死者の奢(おご)り」を発表。新世代の作家として注目を集め、翌58年、戦時下の村で黒人兵を幽閉する「飼育」で芥川賞を受賞した。集団疎開した少年たちが疾病の広がる山村に閉ざされる第一長編「芽むしり仔(こ)撃ち」を同年刊行、初期の代表作となった。都市の無力な若者のアイデンティティーを問う長編「われらの時代」(59年)などを経て、61年、17歳の少年がテロリストになってゆく問題作「セヴンティーン」を発表。64年、脳に障害のある長男の誕生を描いた「個人的な体験」(新潮社文学賞)で作家として転機を迎える。苦悩を抱えて生き、無垢(むく)なものに再生される主題の作品を以降、繰り返し描いた。

 「反核・平和」の訴えは創作にとどまらなかった。60年には石原慎太郎や江藤淳らと「若い日本の会」を結成。日米安全保障条約に反対する活動に加わった。広島での取材体験を元にしたノンフィクション「ヒロシマ・ノート」を65年に、「沖縄ノート」を70年に刊行した。95年にはフランスの核実験に抗議して、同国で開催予定のシンポジウムを辞退。この件を批判した仏作家クロード・シモンとはルモンド紙上での論争に発展した。

 94年に川端康成に続いて日本人で2人目のノーベル文学賞を受賞した。故郷の四国の村から国家、宇宙へと神話的な文学世界が広がる「万延元年のフットボール」(67年)が翻訳され、評価されていた。受賞記念講演の題は「あいまいな日本の私」。文化勲章にも内定したが、「国家と結び付いた章だから」と辞退し、話題になった。

 2000年の「取り替え子(チェンジリング)」以降、自身を想起させる老作家を主人公とした長編の刊行を続けた。13年に発表した「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」が最後の小説となった。

 生涯、社会に関わり続け、04年に日本国憲法を守る「九条の会」を加藤周一や井上ひさしらと結成。東日本大震災以後は反原発のデモや集会にたびたび参加した。

 主な受賞歴に、67年「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞、73年「洪水はわが魂に及び」で野間文芸賞、83年「新しい人よ眼(め)ざめよ」で大佛次郎賞、94年度の朝日賞。77~84年と90~97年に芥川賞選考委員。01~07年度に朝日賞選考委員。選考をひとりで行う大江健三郎賞を05年に創設、14年の終了まで国内の気鋭の作家に光をあてた。

 朝日新聞では92~94年に文芸時評を担当したほか、コラム「定義集」「伝える言葉」を連載した。

 18~19年に「大江健三郎全小説」(全15巻)を刊行。21年には自筆原稿など資料約50点を東大に寄託し、研究拠点「大江健三郎文庫」の設立準備が進んでいた。
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私は直接の面識はもちろんないが、毎年3月に開催されていた「さようなら原発全国集会」で、横断幕を持ち、デモの先頭を堂々と歩く大江さんの姿にはいつも大きな勇気をもらった。瀬戸内寂聴さん、木内みどりさん、城南信金の吉原毅元理事長ら著名人とともに、長く全国の反原発運動を束ねていただいた功績は、私の拙い語彙では到底表現できないものだ。

2015年頃から体調不良の噂とともに、集会・デモに参加する姿を見る機会が少なくなり、ここ数年はコロナ禍で集会が規模縮小、デモもほとんど中止を余儀なくされるなかで、お見かけする機会もなくなっていた。

ノーベル文学賞を受賞した日本人は、大江さんの他は川端康成だけである。「政府・自民党御用放送」NHKにとって、政府方針に反対する運動がどんなに煙たくても、ノーベル賞作家から発言があれば報道せざるを得ない。反原発集会・デモをメディアにきちんと取り上げ、報道させるうえで、大江さんの存在は大変大きかった。

私は、自分が参加する集会、デモなどの行動は、必ず写真撮影し、記録に残すことにしている。そのときはたいしたことがないと思うような写真でも、時間の経過とともにそれが大きな意味を持つようになるという経験を、私は運動に限らず、趣味活動でも何度も経験してきたからだ。だが、自分が撮影した「さようなら原発」全国集会の写真の中に、大江さんの写ったものは残念ながら見当たらなかった。2013年以降、北海道に住むようになったため、自分で思っていたほど東京の集会に参加していないことが原因だ。

瀬戸内寂聴さんも、木内みどりさんも鬼籍に入るなど、福島原発事故直後から反原発運動を率いてきた著名人がこのところ相次いで世を去っている。改めて12年という時の流れを感じる。3.11以降、日本人の底流に脈々と流れてきた反原発、脱原発の意識が次第に怪しくなっているのは、単にウクライナ戦争に伴うエネルギー事情の変化だけではないように思う。発信力の大きな著名人の助力が得られなくなってきていることも、その背景に間違いなくある。反原発運動の今後の行方を占う上で、今が最大の踏ん張り時だろう。

著名人、ビッグネームとその発信力に依存していれば何となく反原発の波に乗れた時代は、大江さんの死去で完全に過去のものとなった。NHKが市民による脱原発の集会・デモなどの活動について報道することは、この先、永遠にないかもしれない。これからは、発信力が小さくても、私たちひとりひとりが自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の言葉で「原発いらない」を表現することで、運動をアップデートしていかなければならない。

少なくとも私は、3.11を福島県内で経験した者のひとりとして、これまでも自分の言葉で被害を伝え、最も苦しんでいる被害者、避難者と連帯することに力を注いできたと思っている。その言葉のいくつかは「原発問題資料集」に結実している。大江さんの遺志を受け継ぎながらも、それにのみ頼るのではなく、私はこれからも自分自身の言葉で、被害を伝えていく地道な取り組みを続けていきたい。

大江さん、ありがとう。ゆっくりお休みください。「日本の原子力の死の瞬間を見届ける」ーーそれこそが私の、人生における唯一の目標です。私たちはたとえ最後のひとりになっても、原発復帰への流れに、命ある限りあらがい続け、あなたが志半ばで実現できなかったその夢を必ずかなえます。もしも実現するときが来たら、必ずあなたの墓前に報告にうかがいますので、もう少し待っていてください。

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