梅田の地下にある、立ち食い串カツ店「松葉」。
地下道の拡幅工事により、立ち退き命令が出ていたにもかかわらず頑固に営業を続けていた。
そして今日、最後通告の日を迎えた。今日までに立ち退きしなければ、行政代執行すなわち力ずくの撤去がなされてしまうのである。
私も「松葉」の最後の姿を見に行こうと立ち寄ったのだが、別に普通に営業しているうえに物々しい雰囲気もなかった。ただ、今日が最後だと知っている通行人は多かったようで、みなスマホで私のように最後の姿をカメラに収めていた。
大学卒業まで、私は生まれ育った京都を出た事がなかった。
フレッシュマンだった私にとって、このような串カツ屋や当時の夕刊紙売りの屋台の存在は、新鮮だった。同時に、
「こんな処に出入りし出したら、オッサンの始まりだ」
とすら思っていたものだ。
あれから25年。
私は名実ともに、オッサンになった。
あの頃疎んじていた串カツ屋は、いつしか「行きたくても、行けない」存在になろうとしている。
では、それまでの25年でオマエは一体何回その店に行ったのだ?と言われても、片手に余るくらいなのだ。
店とは、いざ行きたくなったらなくなる。
親孝行に似ているのかもしれない。
あぁ、明日になれば「松葉」は崩れ去ってしまうのか…
これがホントの「松葉くずし」(苦笑)…
地下道の拡幅工事により、立ち退き命令が出ていたにもかかわらず頑固に営業を続けていた。
そして今日、最後通告の日を迎えた。今日までに立ち退きしなければ、行政代執行すなわち力ずくの撤去がなされてしまうのである。
私も「松葉」の最後の姿を見に行こうと立ち寄ったのだが、別に普通に営業しているうえに物々しい雰囲気もなかった。ただ、今日が最後だと知っている通行人は多かったようで、みなスマホで私のように最後の姿をカメラに収めていた。
大学卒業まで、私は生まれ育った京都を出た事がなかった。
フレッシュマンだった私にとって、このような串カツ屋や当時の夕刊紙売りの屋台の存在は、新鮮だった。同時に、
「こんな処に出入りし出したら、オッサンの始まりだ」
とすら思っていたものだ。
あれから25年。
私は名実ともに、オッサンになった。
あの頃疎んじていた串カツ屋は、いつしか「行きたくても、行けない」存在になろうとしている。
では、それまでの25年でオマエは一体何回その店に行ったのだ?と言われても、片手に余るくらいなのだ。
店とは、いざ行きたくなったらなくなる。
親孝行に似ているのかもしれない。
あぁ、明日になれば「松葉」は崩れ去ってしまうのか…
これがホントの「松葉くずし」(苦笑)…