今日、ある団体の展覧会に足を運んだ折、たまたま会場で知り合いの作家さんと会いましたので、ついつい話し込んでしまいました。
初めは絵画についての話題でしたが、しだいに話が日本文化に移行していきました。日本文化について一般的に言われることは、大陸から伝来してきた文化を消化して、独自の文化を作り上げることに特徴があるとされます。歴史的にみると、確かにそうですね。では、今はどうでしょう?という話になったのです。そのときの作家さんの意見です。
「つい先日、私のもとに、とある有名な大学の生徒が数名取材に来たんだよ。そのときの話なんだけれども、私の机上にあった「櫻」と書かれたメモを見て、これを何と読むんですかと聞くんだね。これは「さくら」と読むんだよと教えてやると、初めて知ったというんだ。私はがっかりした。「櫻」を読めないことにもがっかりしたけれども、漢字は日本の文化だよ。漢字には一つ一つ意味がある。全て読めなくてはいけないというわけではないが、漢字を知ることは文化につながることだろう。文化がないがしろにされているようで残念だよ。テレビ、インターネット、情報伝達があるのは大いに結構だが、次々に浴びせかけられて、日本文化はもう消化し切れなくてだめになるかもしれんね。」
なるほど、と感じた私。私も似たようなことを常々考えていました。私たちは文化を守ることは出来ても、もう作り出すことは出来なくなっていくんではないかと。私たちが後世に何を残せるもの、ああ、平成とはこんな時代だったのかと言えるもの、そんなものがあるのかはなはだ疑わしい気がするのです。
帰り道、私は凍えるような風の中で、ぱらぱらと散りゆく落ち葉を見ながら、ぼんやりとそんな考えてみるのでした。
初めは絵画についての話題でしたが、しだいに話が日本文化に移行していきました。日本文化について一般的に言われることは、大陸から伝来してきた文化を消化して、独自の文化を作り上げることに特徴があるとされます。歴史的にみると、確かにそうですね。では、今はどうでしょう?という話になったのです。そのときの作家さんの意見です。
「つい先日、私のもとに、とある有名な大学の生徒が数名取材に来たんだよ。そのときの話なんだけれども、私の机上にあった「櫻」と書かれたメモを見て、これを何と読むんですかと聞くんだね。これは「さくら」と読むんだよと教えてやると、初めて知ったというんだ。私はがっかりした。「櫻」を読めないことにもがっかりしたけれども、漢字は日本の文化だよ。漢字には一つ一つ意味がある。全て読めなくてはいけないというわけではないが、漢字を知ることは文化につながることだろう。文化がないがしろにされているようで残念だよ。テレビ、インターネット、情報伝達があるのは大いに結構だが、次々に浴びせかけられて、日本文化はもう消化し切れなくてだめになるかもしれんね。」
なるほど、と感じた私。私も似たようなことを常々考えていました。私たちは文化を守ることは出来ても、もう作り出すことは出来なくなっていくんではないかと。私たちが後世に何を残せるもの、ああ、平成とはこんな時代だったのかと言えるもの、そんなものがあるのかはなはだ疑わしい気がするのです。
帰り道、私は凍えるような風の中で、ぱらぱらと散りゆく落ち葉を見ながら、ぼんやりとそんな考えてみるのでした。