学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

日記と記録

2015-08-23 12:22:04 | 仕事
お盆が過ぎて、高校野球の決勝が終わっても、日中はまだ暑い。けれども、秋はちゃんと近づいていて、日が暮れれば大分涼しいし、心地よい虫の音が耳に入るようになりました。

今、私はある展覧会の企画を担当していて、その調査のために江戸時代の医師がつけた日記を読んでいます。読むといっても、私は古文書がさほど読めないので、古文書担当のスタッフが活字にしてくれたものを読ませてもらっています。ありがたいことです。

さて、その医師の日記。読み進めていくうちに思ったのは、個人的な感情が一切書かれていないこと。具体的には誰々の命が助かって良かったとか、往診に出かけようとしたら雨が降ってげんなりした、とか、そういった喜び、笑い、悲しみ、怒りなどの個人的な感情がないのです。ただ淡々と書かれている。

○月○日 雨。○○来ル。○○ヘ行ク。夜半、○○ト共ニ酒ヲ供ス。

およそ、上記のような調子で、延々と続くのです。日記というより、記録に近いかもしれない。

私は「私」というものが介在しない日記というものに興味が湧いてきて、同時代(その医師と同年代)の武士の日記を調べてみました。すると、やはりそう。同じような調子で続いていく。個人的な感情は出てこない。

私はこの2つの例しかまだ知らないのですが、どうも今の日記とは捉え方が違うのだなあと感じました。そもそも日記とは、どういう意図があって書かれるのだろうか。個人的な感情が入ることと入らないことで何が違うんだろうか。

江戸時代の日記と、現代の私たちがつける日記の比較が、しばらく頭の中で続きそうです。