語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>国民の信頼を失った日本の原子力行政 ~7つの疑問~

2011年10月02日 | 震災・原発事故
(1)組織上の問題
 原子力分野の「安全」に対する思想は、従来二つの言葉に象徴されていた。
 (a)「Fail Safe」・・・・いかなる「人為的な失敗」(Fail)があっても「安全」(Safe)が確保される。
 (b)「Safety in Depth」(多重防護)・・・・一つの安全措置が破られても、他に幾つもの安全措置を多重に施してあるので大丈夫。
 原子力という技術体系は、基本的にこの「安全思想」に基づいて設計され、構築されていた。
 しかし、過去の世界の原子力施設の事故は、実はその多くが①技術的要因によって起こっているのではなく、②人的要因、③組織的要因、④制度的要因、⑤文化的要因によって起こっているのだ。JCO事故(1999年)もそうだ。
 福島原発事故も、①による事故ではなく、②+③+④+⑤による事故ではないか。経済的合理性への配慮ゆえに安全性に対する要求が甘くなったのではないか(安全基準の設定や安全審査の体制に対する疑念)。
 原発を規制する原子力安全・保安院が推進する経済産業省と同じ組織の中にある、という問題を解決しないかぎり、3月11日以降、国民は政府の安全規制を信じることができない。

(2)信頼性喪失
 原発の問題は、経済と産業の問題である以上に、国民の生命と安全の問題だ。安全性を十分に確認する前に経済的理由からその再稼働を急ぐ、という発想は本末転倒だ。そして、「安全」や「安心」よりも大切なものが「信頼」だ。
 玄海原発について、「従来の保安院」が「従来のルール」によって安全確認を行い、安全宣言をし、再稼働を認めても、国民は信頼も納得もできない。しかも、保安院の安全宣言の後に、九州電力の「やらせメール問題」が起こった。その結果、経産省と保安院、電力会社は、さらに国民の信頼を失った。
 原子力行政と電力事業者は、まず信頼の回復から始めるべきだ。本来、政府は独立した新たな規制組織を作り、より厳しい安全基準を確立したうえで、再稼働を検討するべきだ。
 政府と電力会社は、拙速に再稼働を急ぐのではなく、まず国民の信頼を回復するために最大限の努力をするべきだ。そのためには、この福島原発事故を痛苦な教訓として、過去の原子力行政と電力事業の在り方を徹底的に反省し、見直し、改革することから始めるべきだ。

(3)原発事故の現状と今後
 工程表に従って原子炉を冷温停止にまで持っていくことが当面の最重要課題だが、実はその後に、さらに大きく深刻な問題がいくつも待ち受けている。
 (a)放射性廃棄物の最終処分
  原子炉の冷却に伴って発生している膨大な放射性廃液と、その廃液を処理する過程で出てくる大量の高線量廃棄物がある。これ以外にも、サイト内では放射能で汚染した大量のがれきがあり、サイト外では汚染土壌を除染した際に発生する膨大な廃棄物もある。これらの放射性廃棄物を、最終的にどこに持って行って処分するのか。当面は「中間貯蔵」(Interim Storage)という考え方で福島県内に保管したとしても、早晩どこに「最終処分」(Final Disposal)するのか、という問題に直面する。
 (b)廃炉
  通常の原子炉であれば、廃炉は技術的に可能だし実績もあるが、それでも数十年規模の時間と膨大な手間と費用がかかる。しかし、福島原発の場合は、核燃料がメルトダウンを超えて、メルトスルーを起こしている。核燃料が溶けて崩れ落ち、格納容器の下部と融合している可能性がある。しかも、その放射能は、人間が近づいたら数時間で死亡するほどの高いレベルだ。この状況の原子炉を安全に解体し、廃棄物を撤去することは、現在の技術では極めて難しく、廃炉が実現できるとしても、その計画立案と技術開発を進めるだけで数十年はかかる。その数十年の間は、極めて高い放射能を持ち、形を留めずに溶融した核燃料(高レベル放射性廃棄物)が福島第一原発サイト内に存在し続ける。さらに将来、廃炉が実現できたときには、取り出した膨大な高レベル放射性廃棄物の「中間貯蔵」と「最終処分」の問題が待ち受けている。
 (c)環境中に広がった放射能の人体への長期的影響
  原子力における安全思想は、「常に最悪の事態を想定して対策を打つ」ということが求められる。仮に長期的な影響についての医学的知見が明確でないとしても、政府は最悪の事態を想定し、最も厳しい仮定を置いて、対策を講じなければならない。そして政府は、医学的影響だけではなく、心理的影響も考慮しなければならない。なぜなら、医学的知見が明確でないかぎり多くの人々はその環境で生活することに安心できないからだ。そこから引き起こされる極めて深刻な社会心理的問題の対策は、極めて高い社会的費用を発生させ、国民の負担が増える。

(4)原発に依存しない社会
 福島事故よりも数段軽微なものだったスリーマイル島事故でさえ、その後30年間、全米で原発の新設が止まった。
 日本では、今後、原発の新増設ができなくなる。原発の寿命を40年とすると、遅くとも2050年には、すべての原発がなくなる。
 政府がやるべきことは、早晩到来する「原発に依存できない社会」に向けて、代替エネルギーを育てることだ。地球温暖化問題を考えるならば、政府が取り組むべき施策は明確だ。短期的には化石エネルギーの活用と省エネルギーの促進によって当面の電力危機を回避しつつ、長期的には自然エネルギーの普及に積極的に取り組んでいかなければならない。
 「直ちにすべての原発を止める」ということも非現実的であり、「すぐに自然エネルギーで代替できる」と考えることも非現実的だ。7月13日に菅総理が表明した「脱原発依存」は、「計画的、段階的に原発への依存を減らしていく」という極めて現実的なビジョンだ。それは、単なる「思いつき」ではない。国家戦略室のメンバーを中心に、再稼働が遅れたときの電源需給に関する具体的な検討も踏まえて表明された。

(5)野田政権が答えるべき「7つの疑問」
 (a)「原子力発電所の安全性」への疑問
  単なる「技術的安全性」の問題だけではない。「人的・組織的・制度的・文化的安全性」こそが、これから厳しく問われる。<例>安全審査において、経済性への配慮で安全性が軽視されていないか。・・・・産業界から独立した原子力安全庁の設立など、適切な組織改革や人材育成が求められる。
 (b)「使用済み燃料の長期保管」への疑
  今後、全国の使用済み燃料貯蔵プールの安全性が、改めて問われ始める。各原発サイトの貯蔵プールの容量が満杯に近づいている問題もまた、強い懸念とともに指摘され始める。
 (c)「核燃料サイクルの実現性」への疑問
  核燃料サイクルの要である高速増殖炉や再処理工場は、常にその実現が先送りされてきた。計画を、現実的な視点から見直さなければならない。
 (d)「放射性廃棄物の最終処分」への疑問
  核燃料サイクルのアキレス腱は高レベル放射性廃棄物の最終処分だ。福島原発事故は、この問題を「目の前の現実」の問題とした。炉心溶融を起こした原子炉は、まさにこの高レベル廃棄物そのものだからだ。さらに、汚染水処理や廃炉、土壌除染などに伴って膨大な放射性廃棄物が発生していく。この膨大な放射性廃棄物の中間貯蔵と最終処分をどうするのか。
 (d)「環境中放射能の長期的影響」への疑問
  地域住民の健康と安全を最優先に考えるならば、除染作業目標や土地利用禁止などは、最も厳しい仮定に基づいて実施せざるを得ない。
 (e)「社会心理的な影響」への疑問
  社会不安や風評被害、その対策費などは、すべて社会的費用、すなわち、国民負担になっていく。
 (f)「原子力発電の安価性」への疑問
  安全対策費用、核燃料サイクル費用、廃棄物処分費用、社会的費用などを考慮に入れたとき、原子力とは、本当に安価なエネルギーなのか。

 以上、インタビュー:田坂広志(元内閣官房参与/多摩大学大学院教授)「国民の信頼を失った日本の原子力行政 野田新政権が答えるべき「7つの疑問」 ~特別レポート【第138回】 ~」( 2011年9月16日 DIAMOND online)に拠る。
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【読書余滴】なでしこマイスター列伝 ~女性の職人~

2011年10月02日 | 社会
 政治に自然科学に、立花隆の著作は多いが、どの時代でも青年に愛読されてしかるべきは『青春漂流』だ。若い職人、一国一城の主たち列伝だ。
 「なでしこマイスター列伝」は、「週刊文春」の好企画。取材した裴昭(裴は原文では正字)は、「日本のものづくりを支える女性職人たちの賛歌」と題し、次のように記す。

 いま、後継者不足で職人の技が失われつつある。伝統技術は、ひとたび断絶してしまえば、決して元には戻らない。
 転換期を迎えた職人の世界だが、明るい光が差しこんでいる。若い女性たちが続々と弟子入りしているのだ。
 彼女たちの経歴は様々だ。転職した人、最初からこの道を選んだ人。「職人の仕事に胸がときめいたから」と、みな口を揃えて話す。
 仕事は大変だ。きつく、汚れる。女性には不向きと見なされる職場だ。体力は言うに及ばない。一瞬の判断力が仕上がりを左右するから、一時も気を抜けない。ベテランの職人は、「女には無理だと思っていた」と言う。
 ところが、情熱とやる気は、むしろ若い男性たちより勝っていた。
 むかしは、弟子は師匠から技術を盗み見て一人前になった。今は、ベテランが手取り足取り、分かりやすい言葉で教える。
 女性ならではの効果もあった。どこも高齢化しているから、若い彼女たちが職場にくると、パーッと明るくなるのだ。
 長引く不況もあって、職人として生活していくのは決して楽ではない。だが、その困難を上回る達成感が彼女たちを支えている。

●中井瑛実子(25歳、剥製師)
 20歳でこの道に入り、日本人初の女性プロ剥製師として活躍している。
 得意分野は、剥製の中でも特に表現力が要求される「鳥類」。世界の剥製師たちが2年に1度その技を競う世界大会で、2位に食いこんだ。
 剥製の目的はさまざま。従来の標本以外に、ペットの死後いつまでも一緒にいたい飼い主からの依頼が増えている。喪失感に苦しむ人間の心も癒しているのだ。

●宮原梓(30歳、箱風呂職人)
 23歳で弟子入りした。親方は実父で、100年前から箱風呂を造り続けている老舗風呂店の4代目だ。
 ヒバ、ヒノキ、槙の清々しい香りに包まれる職場で、鑿や鉋を手に、湯船、風呂桶などを作る。
 洋風のバスタブが主流の現代、贅沢な箱風呂はすべて受注生産だ。
 この道に進むつもりはなかった。だが、一心不乱に仕事に打ちこむ父の姿に胸を打たれ、職人の道を選んだ。ひとりで箱風呂を作るのが目標だ。

●水野彩子(29歳、ダイヤモンド加工士)
 服飾の立体裁断の仕事に就いていた。毎年流行に追われ、1年経てば捨てられる自分の作品をみて、転職を決意した。
 気晴らしの旅行で訪れたベルギーのダイヤモンド街で目にしたダイヤモンドのカット技術に魅せられ、自分にはこの仕事しかない、と確信した。
 女性技師の数は少ない。高級品だけに客の目はうるさく、確かなカット技術がなければ決して売れない。が、水野氏の作品は多くの顧客の支持を得ている。

●矢島美穂子(53歳、ルリユール作家)
 44歳で単身渡仏。グーテンベルク時代から続く伝統の製本技術で大切な一冊を新たな装丁で甦らせるルリユールの魅力に取り憑かれたのだ。留学先の専門学校では、最年長だった。
 情熱は確かな技術も培った。製本技術を競い合う世界大会では、見事に1位に輝いた。
 自宅の2畳の納戸を仕事場とする。
 電子書籍が席巻しつつある今でも、本当に大切な本はルリユールとして手元に残されるはずだ、と矢島氏は笑う。

●中島尚子(25歳、江戸切子職人)
 就職難と後継者不足の解決を目的に自治体が始めた「伝統工芸職人弟子入り支援事業」を目にして、江戸切子の世界の門戸を叩いたばかりだ。
 研修先は創業80年を超える老舗。修行は楽ではない。駆け出しの新米職人として、毎朝5時に起きて日々腕を磨く。
 江戸切子はガラスを削る一瞬一瞬が勝負だ。片時も気を抜けない。でも、「じぶんのペースでやれるので、ストレスフリーですよ」。

 以上、裴昭「なでしこマイスター列伝」(「週刊文春」2011年10月6日号)に拠る。
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