1980年代半ばまでは、原子力発電にネガティブな立場を表す言葉は「反原発」しかなかった。しかし、その後、多様化が進んだ。
1986年のチェルノブイリ原発事故を契機として、「脱原発」という新語を高木仁三郎が日本に広めた。電車やバスを降りるとき使われる独語のアウスシュティークAusstiegを日本語に置き換えたものだ。
「反原発」は、核兵器に係る「反核」と同様に、無条件で原発をネガティブな存在と見なす立場を表す。
「脱原発」は、すでに原子力発電が社会の中で一定の役割を果たしているという事実を認めた上で、原子力発電からの脱却を図っていくことを是とする意味が込められている。核兵器に係る「非核化」と語感が近い。
2011年、「脱原発依存」という言葉を菅直人・前首相が発明した。こちらは核兵器に係る「核軍縮」に近く、「原発縮減」と言い換えることもできる。
「脱原発」の中には多様な立場が含まれている。大きく分けて、(a)「反原発」の立場に近い「脱原発」と、(b)非「反原発」からの「脱原発」の2つがある。ただし、境界線は必ずしも明瞭ではない。
(a)からすると、反原発は絶対に揺るがしてはならない原則であり、脱原発はそれをできるだけ早く実現するための戦略だ。
(b)からすると、現時点では実現すべき目標だが、技術的・社会的条件が将来大きく変化した場合には見直しの余地を残す。彼らは、必ずしも原子力発電に無条件反対の立場をとるものではない。また、脱原発のスピードについても、早期実現に伴うデメリットが大きいと見込まれる場合には、原子炉の寿命の範囲内で柔軟に対応することを認めるだろう。まだ十分に使える原発を廃止させるためには電力会社への損失補償が必要となるし、総設備容量の減少を補うために原発以外の発電施設を多少なりとも建設しなければならず、そのためには一定の時間的猶予が必要となるからだ。構造上の欠陥があったり、自然災害被災の可能性大の場合を除き、既存の原発が老朽化するまでの運転を当面認め、ただし原発の新増設を止めさせて、10数年以上の時間をかけて段階的に原発を全面廃止すればよい、という柔軟な判断に傾きやすい。
かつて「反原発」を唱えるには相当の決意を必要としたが、「脱原発」ならば、将来の状況変化による改宗の可能性を残した現時点での判断なので、さほど気負わずに表明できる。それが、「反原発」の最大の魅力だ。
世界的に見て、1980年代末以降、発電用原子炉の基数と総設備容量は、ほぼゼロ成長となった。新増設基数と廃棄基数とがほぼ拮抗するようになったのだ。つまり事実上の新増設停止に近い状態となった。原子力産業は構造不況産業と化した。
日本は世界の趨勢にほぼ10年遅れて1990年代末以降、同様のゼロ成長状態となった。
福島第一原発事故以降、多くの原子炉が廃止され、少なくとも今後当分は原発の新増設が行われる可能性がきわめて小さいので、日本は「原発縮減」時代に入る可能性が高い。
「脱原発依存」が国民世論の多数派を占めるようになっているらしいが、それは現状肯定の立場に立ち、「脱原発」との間に一定のギャップがある。
以上、吉岡斉(九州大学教授・副学長)「脱原発とは何だろうか」(「現代思想」2011年10月号 ~特集「反原発」の思想~)の「一 「脱原発」とは何か」に拠る。
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1986年のチェルノブイリ原発事故を契機として、「脱原発」という新語を高木仁三郎が日本に広めた。電車やバスを降りるとき使われる独語のアウスシュティークAusstiegを日本語に置き換えたものだ。
「反原発」は、核兵器に係る「反核」と同様に、無条件で原発をネガティブな存在と見なす立場を表す。
「脱原発」は、すでに原子力発電が社会の中で一定の役割を果たしているという事実を認めた上で、原子力発電からの脱却を図っていくことを是とする意味が込められている。核兵器に係る「非核化」と語感が近い。
2011年、「脱原発依存」という言葉を菅直人・前首相が発明した。こちらは核兵器に係る「核軍縮」に近く、「原発縮減」と言い換えることもできる。
「脱原発」の中には多様な立場が含まれている。大きく分けて、(a)「反原発」の立場に近い「脱原発」と、(b)非「反原発」からの「脱原発」の2つがある。ただし、境界線は必ずしも明瞭ではない。
(a)からすると、反原発は絶対に揺るがしてはならない原則であり、脱原発はそれをできるだけ早く実現するための戦略だ。
(b)からすると、現時点では実現すべき目標だが、技術的・社会的条件が将来大きく変化した場合には見直しの余地を残す。彼らは、必ずしも原子力発電に無条件反対の立場をとるものではない。また、脱原発のスピードについても、早期実現に伴うデメリットが大きいと見込まれる場合には、原子炉の寿命の範囲内で柔軟に対応することを認めるだろう。まだ十分に使える原発を廃止させるためには電力会社への損失補償が必要となるし、総設備容量の減少を補うために原発以外の発電施設を多少なりとも建設しなければならず、そのためには一定の時間的猶予が必要となるからだ。構造上の欠陥があったり、自然災害被災の可能性大の場合を除き、既存の原発が老朽化するまでの運転を当面認め、ただし原発の新増設を止めさせて、10数年以上の時間をかけて段階的に原発を全面廃止すればよい、という柔軟な判断に傾きやすい。
かつて「反原発」を唱えるには相当の決意を必要としたが、「脱原発」ならば、将来の状況変化による改宗の可能性を残した現時点での判断なので、さほど気負わずに表明できる。それが、「反原発」の最大の魅力だ。
世界的に見て、1980年代末以降、発電用原子炉の基数と総設備容量は、ほぼゼロ成長となった。新増設基数と廃棄基数とがほぼ拮抗するようになったのだ。つまり事実上の新増設停止に近い状態となった。原子力産業は構造不況産業と化した。
日本は世界の趨勢にほぼ10年遅れて1990年代末以降、同様のゼロ成長状態となった。
福島第一原発事故以降、多くの原子炉が廃止され、少なくとも今後当分は原発の新増設が行われる可能性がきわめて小さいので、日本は「原発縮減」時代に入る可能性が高い。
「脱原発依存」が国民世論の多数派を占めるようになっているらしいが、それは現状肯定の立場に立ち、「脱原発」との間に一定のギャップがある。
以上、吉岡斉(九州大学教授・副学長)「脱原発とは何だろうか」(「現代思想」2011年10月号 ~特集「反原発」の思想~)の「一 「脱原発」とは何か」に拠る。
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