語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>政治家を操る官僚 ~「脱原発」を阻止する官僚の狡知~

2011年10月03日 | 震災・原発事故
●官僚の敷いたレールに乗る野田首相
 野田内閣は、いまのところ、役人、とくに財務省の路線にきっちり乗っている。
 (1)増税路線をはっきりさせながら、経済成長戦略については具体策が何もない。これは財務省そのものだ。財務省の考えが、野田佳彦首相のなかにきちんと消化されていて、自分自身の考えとしてしゃべっている。
 (2)埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎の着工が、組閣前日の9月1日に着工された。この事業は、一昨年の事業仕分けで一時凍結されたが、野田首相が財務相時代に再開を決めた。東日本大震災の被災者が、まだ避難所や仮設住宅での生活を強いられているなかで【注1】。
 (3)野田首相が発表した「政権構想」のなかで「高位スタッフ職を整備する」というくだりがある。省庁の幹部のために、高い給料の「窓際ポスト」を作る、というのだ。これを「政権構想」のなかにわざわざ入れたところに、役人が影を落としている。

●経産省の謀略
 梶山恵司・国家戦略室内閣官房審議官は、国家戦略室という政権の中枢で官僚とやり取りした。震災囲碁は菅首相からの指示でエネルギー策の見直しにも関わった。そこで、さまざまな問題点に気付いた。
 例えば、「電力不足になる」とずいぶん取り沙汰された。あれには問題があった。電力の需要と供給について、経産相は「結論の数字」しか出さない。それでは、なぜ電力は足りない、という数字になるのか、普通なら疑問に思う。
 しかし、「根拠を出せ」という指示では、当たりさわりのないものしか出してこない。そこで菅首相は、電力需給について判断するために必要な具体的な項目をリストアップするよう、梶山審議官に指示した。作成されたリストを基に、総理は経産省に情報開示を指示した。約1週間後の回答は、まさにその指示に沿ったものだった。
 そのデータを分析すると、電力使用がピークを迎える真夏に火力発電所の定期点検をすることになっていたり、揚水発電の供給能力が低く見積もられていることなどが分かった。要するに、需給見通しに恣意的な側面があった。実際、今夏の電力需給の実績が、この事実をよく物語っている。
 結果だけでは国民に正しいことが伝わらないから、国民に全部情報を開示するよう、菅首相は経産省に直接指示した。
 また、8月には経産省が、海江田・経産相を通じ、原発輸出に監視、ベトナムの首相向けの親書を出す必要があるので、至急了解してほしい、と菅首相に言ってきたことがある。
 首相の意向はさておき、積極的な原発輸出再開を閣内の統一意見にしようとする意図が見られた。結局親書は首相名ではなく、経産相・外務相連名で出た。
 役所がぎりぎりになってから案件を示す、というのはよくある。中身を議論する余裕を与えないやり方だ。

●「脱原発」を阻止する経産官僚の狡知
 国家戦略室の主導する「エネルギー・環境会議」が中間整理をした。
 ところが、実際にエネルギー基本計画を作るのは、依然として資源エネルギー庁に設置された経産相の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」【注2】だ。核燃料サイクル問題を検討するのは、「原子力委員会」だ。原子力委員会事務局には、いまだに電力会社や原発メーカーの職員が出向している。
 つまり、エネルギー・環境会議の中間整理は、基本計画をゼロベースで見直すとか、核燃サイクルなども含めて議論するとか、一見もっともらくし見えるが、実際には役人が主導権をとることができる仕組みを残している。
 神は細部に宿るが、悪魔も細部に宿るのだ。

●国民に顔を向けていない霞が関
 霞が関の最大の問題は、役人が消費者、国民の立場ではなく、供給者の立場に立っていることだ。経産相でいえば、電力会社の立場に立った行政だ。つまり、明治政府や高度成長前の「富国強兵」や「殖産興業」の考え方だ。これが、21世紀のいまも続いている。
 これは、官僚の人事制度と密接に関係している。
 天下りによって公務員の人生設計がなされる、という制度である以上、霞が関が国民の目線に立つことはない。公務員制度改革こそ、実は国民のための政治を行う上で不可欠の前提だ。

 【注1】10月3日、安住財務相は、(1)東京都千代田、中央、港3区内にある国家公務員宿舎のうち、危機管理用職員宿舎をのぞいて廃止・売却、(2)幹部級職員の宿舎は新たに建設しない・・・・方針を説明、首相も了承した。【記事「野田首相、朝霞宿舎の5年間建設凍結指示」(2011年10月3日14時05分 asahi.com)】
 【注2】総合資源エネルギー調査会は、利害関係者の電力会社、原発メーカーが委員に就いている。かつ、非公開だ。

 以上、対談:古賀茂明/梶山恵司(内閣官房国家戦略室内閣審議官)「官僚につけ入れられないために政治家を支えるチームが必要だ」(「週刊エコノミスト」2011年9月27日号)に拠る。
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【読書余滴】佐々淳行の、官僚批判 ~官僚無責任内閣制~

2011年10月03日 | 震災・原発事故


 「いまの政治は、議員責任内閣制ではなくて、官僚無責任内閣制だ。このまま放置すれば太平洋戦争が一体誰の計画で、誰の信念と決断で、何を目的に、なぜ始まったのか、そして国家予算としてのGNPの何年分かけたのか、未だにわけがわからないように、国家戦略も存在意義も明白でないままに、誰も責任のとりようがない成行きで、今日の日本も再び凋落衰退する恐れがある」

 「役人を30年もやっていれば、みんなどこを直せばどうよくなるか、直さないとどんな結果になるか、ようく知っているのに誰も何もできない。各省庁で危機意識に目ざめて、モノ申した優れた官僚は皆追い出されるか、飛び出してしまう」
 例えば、堺屋太一(通産省)、柿沢浩治(大蔵省)、岡崎久彦(外務省)だ。

 「激烈な競争を勝ち抜いて次官候補まで迫り上がってきた各省のエリート官僚の30年間の経験・知識・ノウハウは大変なものだ」

 「60歳定年制といってもその期のトップだけが定年までやれるのであって、他の優秀な人材が50幾つで役所を去り、公団だの民間企業に“天下り”して、縦割りのまま第二の人生を事務所、秘書、運転手付き、現役と同額かそれ以上の年収を保証されて、週刊誌を読み、ゴルフ三昧を数年間やり、後輩に押し出されてまた一格低い第三の人生に移行・・・・。/そんなバカなことはない。本来なら国立の役人OBシンクタンクに一定期間吸いとって国家社会、天下国家のために役立てるべきなのだ」

 ということで、佐々は、各省庁のこれぞと目をつけたOBたちに呼びかけ、私設シンクタンク「醍醐の会」を組織した。
 その活動は、月1回の昼食会がベースだ。ゲスト・スピーカーとして、後藤田正晴を招いたこともある。1989年8月から2005年11月まで150回の会合をもち、当初の11人から逐次新会員を加えて35人に増えた。途中、遠山敦子・文部科学大臣、岡本行夫・総理補佐官ら閣僚級の人材を出した。

□佐々淳行『後藤田正晴と十二人の総理たち -もう鳴らない“ゴット・フォン”-』(文春文庫、2008)
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