語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【ウクライナ】米国の迷走とロシアの急成長 ~日本外交のジレンマ(2)~

2014年04月20日 | 社会
 (5)ロシアを救い、プーチン先生をもたらしたのは、皮肉にも「9・11」と、それ以降の米国の迷走だった。
 エネルギー価格を注視せよ。高騰基調を続けている。
  ・2001年9月10日(「9・11」の前日)のNY原油先物価格(WTI)・・・・28ドル/バーレル
  ・2014年2月28日・・・・103ドル/バーレル
 ロシアは、原油(1,070万BD)、天然ガス(681BCM)ともに世界2位(2012年)の生産量を誇る。
 ロシアは、エネルギー価格高騰という追い風を受けて蘇った。「エネルギーモノカルチャー」というべき産業構造を抱えるロシアにとって、エネルギー価格高騰は僥倖だった。「9・11」後の中東情勢の不安定化と米国による「イラクの失敗」、そして国際社会を束ねる力の喪失は、ロシアとプーチンを際立たせる背景になった。

 (6)現時点におけるプーチンのウクライナ戦略は何か。
 プーチンは最早、ヤヌコビッチ・前大統領(親露路線)の復権なぞ望んでいない。亡命してきたヤヌコビッチは、プーチンにとって「統治能力なき失格者」に過ぎない。ウクライナ新政権の正統性を否定する宣伝係として利用しているだけだ。
 プーチンが照準を合わせているのは、(a)クリミア半島のウクライナからの分離、ロシアへの速やかな編入だ。どうしても確保したのは、黒海艦隊の基地セバストポリだ。3月16日、クリミア自治共和国における「住民投票」による「ロシア編入」支持という正当化の儀式を演じ、米欧の対応を瀬踏みしつつ、国際的孤立を避けながら綱渡りに踏み込みつつある。

 (7)3月18日のプーチン演説では、クリミア編入の正統性を繰り返した。
 クリミア半島は、1954年、フルシチョフ・ソ連首相(当時)が「ソ連という枠組みの中での行政区分の変更」としてウクライナに組み入れた。ソ連崩壊後も、ロシアは黒海艦隊の基地を租借し続けてきた。ヤヌコビッチ政権(親露路線)はセバストポリ軍港の租借を25年間延長したが、ウクライナが欧州に回帰した場合、NATOの基地に変わる可能性さえロシアは懸念し始めている。黒海を経て地中海に繋がる「南の出口」を失うことに神経を昂ぶらせている。
 ちなみに、セバストポリこそクリミア戦争における「セバストポリ包囲戦」の戦場であり、1856年にパリ講和条約が結ばれたが、ロシアにとって産業革命で先行する英仏に刺激を受け、アレクサンドルⅡ世の下に動き出す契機となった地だ(ペリーの浦賀来航のころ)。

 (8)クリミア分離併合の動きに、米国はどう動くのか。
 外交圧力(国連安保理を舞台にロシアによるクリミアへの介入を「不当」とする決議、ただしロシアの拒否権で否決)、制裁(ロシア要人への資産凍結やビザ発給規制など)を強めているが、直接的な軍事介入には慎重だ。軍事予算圧縮(イラク戦争時に7,400億ドル→5,000億ドル弱)、「イラク・アフガンからの撤退」推進の局面において海外への軍事展開に議会の合意が簡単に得られる状況ではない。
 アフガン、シリア、イランなどの情勢を制御するためにロシアの一定の協力は不可欠であり、決定的対決は避けたいところ。ロシアとの経済関係が強い欧州も一枚岩ではない。
 H・キッシンジャーは、その論考において、ウクライナの立ち位置として「フィンランド方式」を示唆している。「独立を維持しつつロシアとの敵対を避け、かつ西側との協力関係維持」を目指すべきだ、というのだ。そのため、米国としてはウクライナを単純にEUやNATOにコミットさせることを避けよ、という主張だ。あいまいな状況を抑制的に受け入れる大人の知恵とでもいうべき姿勢だ。クリミアの分離併合を容認するものではないが、ロシアに配慮して何らかの妥協を模索する方向を辿るのか。オバマ外交の正念場が迫る。 

□寺島実郎「ウクライナ危機が炙りだした日本外交のジレンマ ~脳力のレッスン 特別編 145回~」(「世界」2014年5月号)
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 【参考】
【ウクライナ】と日本との歴史的関係 ~日本外交のジレンマ(1)~
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