語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】現実を直視し人格権を尊重 ~大飯原発の運転差し止め判決~

2014年06月03日 | 社会
 (1)5月21日、福井地裁は、大飯原発3、4号機運転差し止め訴訟に、原告勝訴の判決を言い渡した。憲法上の人格権を根拠に、運転差し止めを命じたのだ。
 関係者が判決全文や要旨をインターネットに載せている。必読だ。
 当然ながら、原発推進派は判決を批判・・・・というより貶めようとしている。典型は「読売新聞」や「産経新聞」の社説。「非科学的」「非現実的」「不合理」「ゼロリスクに囚われ」etc.。
 だが、判決は反論を先取りし、無効を宣告している。

 (2)科学に絶対はない。それ以前に、しばしば中立を装った科学に政治的バイアスがかかる。この歪みは、科学に(も)名を借りた「美味しんぼ」叩きでも発揮された。
 また、「朝日新聞」が福島第一原発事故の政府事故調査委員会のいわゆる「吉田調書」について特集記事を展開しているが、技術ですべてが解決するわけではない。
 緊急時はむろん、平時でもヒューマンエラーを始めとするさまざまな要因が適切な処理を妨げる。付言すれば、防災計画や避難計画も現実の事態次第で、機能する保証はない。
 最新の知見を反映したと称する規制基準を盾に福井地裁判決を「非科学的」と断じるのは、科学的態度でない。

 (3)むろん、われわれは科学の限界やリスクを一定程度許容して技術の実用化を認め、享受している。ただし、技術選択の線引きは科学に内在するのではなく、社会的合意による。
 ひとたび事故が起これば甚大な被害をもたらす原発を許容するか否かは、確率の高低だけで決めることはできない。自公政権になって以降、政治からその視点が急激に失われ、特定の利害に基づく詭弁がまかり通っている。

 (4)福井地裁判決は、現実に発生した福島第一原発事故とその被害を出発点とした。生命を基礎とする人格権を対置して、これが優位にあると結論付けた。抽象的な憲法論議ではなく、その理念を現実に適用するとともに、空疎な科学論・科学信仰を排して、現実を直視した。
 この判決を「感情的」とする批判は当たらない。原発に関して、科学や経済が現に生きている人々の感情に優越していいのかを真摯に検討した結果だからだ。
 「素人判断」という非難も的を外している。裁判官は、素人の声に耳を澄ませて、そこに真理を読み取ったのであって、素人の立場にとどまっていない。ここにも人格権を抽象理念に祀り上げない真摯な姿勢が見られる。
 この判決は、今後の原発論議に大きな意義をもたらすものだ。付言すれば、大飯原発250km圏の人々に原告適格を認めたことも、政府が曖昧にする原子力規制委員会審査終了後の原発再稼働手続きに影響を及ぼすはずだ。

 (5)現実から出発して、憲法で現実を照らして、理念を具現化する。この姿勢は、安倍晋三政権とは好対照だ。
 安倍首相は、結論ありきで論理が飛躍する使役諮問機関(安保法制懇談会)報告書、情緒的で筋が通らない記者会見、誘導狙いの非現実的な事例で憲法解釈の変更を目論む。
 だが、安倍首相が叫ぶ「国民の命」と福井地裁判決が見据えたそれと、どちらから心臓の鼓動が聞こえてくるか。
 この判決は、ことほど左様に意義深く、味わい深い。

□村岡和博(国会議員秘書)「大飯原発の運転差し止め判決 現実を直視し人格権を尊重 安倍首相の姿勢とは好対照だ ~村岡和博の政治批評~」(「週刊金曜日」2014年5月30日号)
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【言葉】リーダーの条件 ~スリム元帥の演説~

2014年06月03日 | 心理
 わたしが戦いの指揮をとっており、なにもかも計画どおり順調に進み、勝利を収めつつあるとき--わたしは偉大な指導者であり、優秀な将校である。だが、なにもかもうまくいかないときは、自分がじっさいに指揮をとっているかどうかに関係なく、非難されるのはわたしなのだ。

□アンディ・マクナブ(伏見威蕃・訳)『ブラボー・ツー・ゼロ ―SAS兵士が語る湾岸戦争の壮絶な記録』(ハヤカワ文庫NF、2000)
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    矢車菊
   
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