語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『トロイアの秘宝 -その運命とシュリーマンの生涯-』

2014年11月01日 | ノンフィクション
 著者は、伝記『バートランド・ラッセル』をもつ英国のノンフィクション・ライターである。
 1991年4月、米国のアート・ニュース誌に掲載された「戦利文化財」という記事は多方面に衝撃を与えた。大戦直後、150万点もの美術品が西側から旧ソ連へ運び込まれ、50年間も隠匿され続けてきたことを実証したからである。同年秋、旧ソ連の当局は不承不承、この事実を認めた。ベラスケスの肖像画、エル・グレコ『聖ベルナドゥス』、ゴヤ『戦争の惨禍』などと並んで、シュリーマンがヒッサリクの丘で発掘した財宝もあった。

 といった書き出しだが、本書は戦利文化財を追求するものではない。シュリーマンの伝記である。
 ハインリッヒ・シュリーマンは、ひと口に言えば冒険家であった。精神においてはあくなき好奇心と精力を集中力と勤勉さが支え、行動においては古代ギリシャ史を闇から救いだした。
 たとえば、丸暗記という独特の学習法で22か国語を習得し、うち10か国語は流暢に書き、暇があれば復習、朗読、語彙の習得に努めた。
 あるいは、寝食を忘れて事業に没頭し、世界各国をわたり歩いた。丁稚奉公から出発して大富豪となった後も、隠退前に、世界を一周して日本にも立ち寄っている。

 こうした仕事人間は家族の離反をまねく。
 事実、家庭を顧みないシュリーマンに対して妻は冷淡になった。シュリーマン自身は彼なりに妻子を愛していたらしいが、離婚にいたる。
 さいわい、再婚したソフィアとは、考古学への関心を同じくしていたこともあって琴瑟相和する関係となった。

 成功したシュリーマンは、思いこみが激しく、機を見るに敏で、抜け目がない、油断のならない人物だったらしい。
 あるいは、こうした性格だから成功したのかもしれない。
 本書は言う。シュリーマンが笑っている肖像画や写真は一葉も残されていない、と。

 思いこみの激しさは、それが動機となってヒッサリクの丘やミュケナイ文明を発掘させた。
 しかし、科学的組織的でなく直感にしたがったから、シュリーマンがあれほど求めてやまなかった真のトロイアのあった地層とは異なる地層の遺跡をトロイアと命名する喜劇を生んだ。

 また、自分の利益追求のために他を顧みない性格は、シュリーマンをヒッサリクの丘へ導き、発掘に際して多大な支援を与えた米国人外交官フランク・カルヴァートを平然と裏切ったし、トルコ政府やギリシャ政府が与えた発掘許可の条件をちっとも守らなかったから、それぞれの政府から追求され、おおいに悩むはめにおちいった。
 要するに、シュリーマンは稀代の畸人である。さればこそ、その伝記は無類におもしろい。

□キャロライン・ムアヘッド(芝優子訳)『トロイアの秘宝 -その運命とシュリーマンの生涯-』(角川書店、1997)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする