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20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

集団生活に慣れるための義務教育は終わる時代

2011-06-06 23:02:17 | blog映画Diving
2011/9/16up全ページ目次
集団生活に慣れるための義務教育は終わる時代
作成日20110916
以下に引用する、
「社内失業者という名の600万人の貴族」
http://freedom-7.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b961.html
の中に、
「「集団生活に慣れるために義務教育がある」という向きもあるが、
今現在の日本社会をつぶさに観察すれば、
そういった集団主義というものが時代遅れになってきつつあることは
誰の目にも明白であると思う。」

とあるが、日本の集団主義を育て支えてきたのが「小中学校教育」であることは間違いない。
特に
「強力な集団主義」
「格上の人間の言うとおりに動く」
「他人と違うことをしてはならない」
ということを教えこむのが、部活動だ。
教育関係ブログランキングサイトや、中学校教育を標榜するブログの多くは、部活動報告だ。
部活動は「中学校教育の本分」でない。
「部活動こそ教育」などと日本以外の国で言ったら、どんな顔をされるだろう。
もっとも、部活動という「言語・概念」が存在しないので顔も何もない。
言っても何も変える力は僕にないので遠慮してきたが、遺り時間も少なくなったので気にしない。

一方で小学校授業は反動なのか、
「教え込んではならない。支援をせよ」
などと訳のわからない授業が進んでいるらしい。
「この文章で何を問題にしましょうか」
「はい。なになにです」
「では、みんなで考えましょう」
のように進むらしいが見たことがない。見る気もない。
「発問」も「指示」もしないのだ。
「教師が用意した問いを、一方的に発問するのは生徒を育てない」
らしい。
くどいが野口芳宏先生が述べる通り「教育は価値ある強制の連続」だ。
「価値ある強制」と「集団主義教育」はどこも重ならない別のものだ。

▼引用ここから▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2011年9月14日 (水)
【生きた経済ブログ】 http://freedom-7.cocolog-nifty.com/blog/
 現在のアメリカの失業率が9%台という高い位置にあることは
よく知られた話だが、
日本の完全失業率は4%台で推移している。
 「失業率」というのは、元から働く意思の無い人間まで含めた比率のことであり、
「完全失業率」というのは働く意思を持った人間のみの比率であるので、
通常は「完全失業率」よりも「失業率」の方が悪く(高く)なる。
失業率で言えば、日本も5%をゆうに超えているはずである。
 一説ではアメリカの完全失業率は実質15%以上とも言われているので、
どこまでが真実なのか判らないが、公式な発表である数字を信じて話を進めよう。
 日本の場合、失業率ではなく、完全失業率が4%台なのだが、
数字の上ではアメリカよりもかなり低い位置にあると言える。
実際に、日本の完全失業率は先進国の中でも低い位置にある(ことになっている)。
 日本の労働者人口は6200万人(そのうち400万人が公務員)と言われており、
失業者は300万人程度なので、300÷6200で4%台という数字が出てくるわけだが、
日本には失業者の他に「社内失業者」と言われる人が
推定で600万人もいると言われている。

 ということは、300万人+600万人で、
単純に見積もっても900万人の労働者が仕事をしていない
ということになる。社内失業者の中に公務員の一部がカウントされているのかどうか定かではないが、
もしカウントされていないとなると、
900万人どころか、1100万人程度にまで膨れ上がるのではないかと思われる。
 仮にその中間をとって1000万人だとしても、
6200万人中、1000万人が働いていないということは、
実質的な完全失業率は16%を超えていることになる。
 この「社内失業者」と言われる人々は、収入が無いわけではなく、
まともに(?)給料をもらっている人々である。
このことから何が言えるのかというと、トータルで考えれば、
労働者5人で1人の失業者(失業者と社内失業者)の面倒をみているということである。
換言すれば、実際に労働している人間は
2割分の労働価値(=給料)を気が付かないうちに天引きされているということになるわけだ。
 既に定年で引退した人間を現役の労働者達で面倒をみる制度が賦課制の年金制度だが、
これとは別に現役の労働者内でも賦課制の年金制度が別に存在しているというのが
日本の労働市場の隠れた実態である。
 こんな身も蓋もないことを書くと、「仕事が無いのだから仕方がないではないか!」
というような人が出てくるかもしれない。
しかし、この場合、「弱者がどうのこうの…」と言うのは少し筋違いであると思う。
 会社内で自分の仕事が無くて、
その会社をクビになるか自己退職して仕事を探しているという人であれば、
確かに弱者だと言えるだろうが、
仕事をほとんどせずに会社に居座って給料をもらっているというのは、どう考えても弱者とは言えない。
仕事をせずに収入を得ている人間のことを、一般的には「貴族」と呼ぶ。
「貴族」の立場にある人間が「弱者」を名乗るのは明らかに矛盾している。
 少し前に話題になった派遣切り問題や、大学生の内定率の低下問題のバックグラウンドには、
600万人にも及ぶ社内失業者の存在があることは間違いないと思われる。
 社内失業者にも言い分があるかもしれないが、いかなる事情があるにせよ、
働かずに高給を得ている労働者が数多く存在することは問題である。
 このような大きな問題を取り上げずに、表面的な失業率や就職率をいくら報道したところで、虚しいだけである。
この問題を放ったらかしにしているせいで、
新卒者が本来就くべき仕事に就けないというケースも多々あるのではないかと思う。
 「社内失業者」が増加する背景には、根本的に仕事が足りないという表向きの理由と、
様々な事情で会社を辞めることができない(または辞めさせることができない)
という後ろめたい日本のお家事情も関係している。
一度上がった給料は維持したいという欲とプライドを併せ持ち、
仕事が無くても会社にしがみついて生きるしかないという悲しい性

を抱えた「貴族」は大勢いると思われる。
 こういった貴族(社内失業者)を減少させる(クビにするという意味ではない)ためには、
高度成長時代に築いた経済成長が前提の社会システムを全て見直し、
絶対的な仕事量を増加させるべく、新たな産業を創出していくという姿勢が重要であり、
そのためには現在の義務教育体制自体も根本的に改めなければならない。
 教育というのは、ある意味で子供という人材に対する投資であり、
将来的に自立し富を生み出すことのできる人間を育てるための先行投資でもある。
将来的に、「国に面倒をみてもらえばいい」というような人間を育てるのが目的であるなら、
国民の税金を利用した義務教育などは必要ないということになってしまう。

  「集団生活に慣れるために義務教育がある」という向きもあるが、
今現在の日本社会をつぶさに観察すれば、
そういった集団主義というものが時代遅れになってきつつあることは
誰の目にも明白であると思う。

それが良いことなのか悪いことなのかは別にして、
時代が求めているのは
“個性の無い大集団”
ではなく
“個性を持った個人”
である。 

 「社内失業者」というものも、元をただせば
“個性の無い大集団”
を良しとする社会から生まれたものであると言える。
集団の中で生きることに慣れ、そこから抜け出すことを悪とする社会風土が招いた悲劇こそが
「社内失業者」の増加だと言えるのかもしれない。
▼引用ここまで▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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日本人大学生はなぜ議論ができないかbyカール・S

2011-06-06 23:02:16 | blog映画Diving
2011/9/15up全ページ目次
日本人大学生はなぜ議論ができないかbyカール・シュトゥッベ
作成日20110915
以下の引用文はほぼすべて正しい。
だが、ほとんどが日本人全員四十年以上前から知っていることばかりで新鮮味はない。
ただ、一つだけちょっとした誤解がある。
引用文に
「既に小学生の頃から、
素直に自分より格上の人の教えを疑わず受け入れる様、
教育されているのです。」
とあるが、これは少し間違っている。
「格上の人間の言うことは、疑っても受け入れる様、教育される」
というのが更に正しい表現だ。
疑わないほど日本の児童生徒も愚かではない。
また、小学生の頃からではなく、
「主に集中的に中学校在学中ほぼ全員部活道入部によって、格上を受け入れる様教育される。
大勢が入部するのは、部活道三年間在籍が、高校入試の成績に関係するからであり、
部活道では「それなら(どれなら?)試合に出さない」等受け入れ教育があるからだ。
そのため一部だが部活道顧問以外の言うことを聞かない生徒が出る事態も発生する。
かつ高校入試で高校担当者が最も客観的に重要視するのが部活道の試合記録だからだ。
その原因は現在、公立中学校は絶対評価を採用しており、
高校では中学校の成績に大きな信頼を置くのが困難な点にある。」
と、こう表現すると更にわかりやすくなる。
単なる推測だがこういった教育が以下の、
「主体性を持ったり、自分の意見を言ったりしない大学生を作る」
ことにつながるのかもしれないが、実証された事実は、
誰も知らない。

訂正:
部活動が部活道と変換されてしまったことを訂正いたします。

◆引用ここから◆**************************
2011年09月13日18:24
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/3935540.html
カール・シュトゥッベ(Karl Stubbe)さん・ドイツ
「早稲田大学で勉強してるときには、自分の意見を言う必要がない」
「学生に『じゃあ、あなたの意見を聞かせてください』と尋ねても、日本人は答えに困ってしまう」。
日本へ留学した日本語学科の学生が語る:
日本とは、電車に押し込められたり、
大学生がルイ・ヴィトンのカバンを愛用してる国です。
梅雨時の東京はものすごく暑くて蒸しています。
北海道では6ヶ月も雪に囲まれて場所によってはスキーで登校。
京都では教師がお坊さん。
何処へ行けば良いのだ・・・?
学生に人気もあり、大学は大繁盛。
受験をするだけでも100ユーロは払わないといけません。
日本の高校生は、
同時に多くの大学の試験を受けるので入学前から親には高くついてしまうのです。
予備校に行った場合はさらに何十万円と払う必要があるのです。
親が頑張ってる理由は子供の将来の職業安定の為です。
日本では教わった事よりもどの大学の出なのかで、
職につけるかどうか決まるのです。

昼休み後の講義室:
講義が始まって15分も経っていないのに出席をとったら、
半分くらいの生徒は早々後ろの出口から早退。
また15分もすると所々から居眠りしている生徒の静かないびきが聞こえてきます。
エリート大学がこんな物でいいのでしょうか?
「報道機関と言うものは何んだと思いますか?」
と、軽い気持ちで尋ねた教授。
何故かどんなに待っても返事が無いので、さすがの先生も観念してしまいます。
日本人が数学を得意とすることは有名です。
しかし、主体性や、自分の意見を持ったりする事などは教わっていない様です。

既に小学生の頃から、
素直に自分より格上の人の教えを疑わず受け入れる様、
教育されているのです。

日本が好きな僕でも、さすがにドイツの大学がこの様に、
名前ばかりのエリート大学とかにだけはならないでいて欲しいです。
日本では、明るい未来の為に、山ほどの出費が必要とされています。
それを毎年、多くの親が思い知らされるのであります。
翻訳元:
http://www.spiegel.de/unispiegel/studium/0,1518,567401,00.html
◆引用ここまで◆**************************
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日本で国が出す教育支出OECD最下位

2011-06-06 23:02:15 | blog映画Diving
2011/9/14up全ページ目次
日本で国が出す教育支出OECD最下位
作成日20110914
日本は教育に金をかけない。
明治維新も戦後の復興もすぐれた教育者が出て、育った若者が動いてこそ成った。
教育の根本、教師の本業は「授業」だ。
学習指導要領にもほとんどは授業のことが書いてあることからたぶん間違いない。
たぶん。

■引用ここから+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
[日本の教育復興を支援OECDが異例の声明]2011年9月13日(火)19:18 YOMIURI ONLINE
経済協力開発機構(OECD)は13日、加盟34か国の教育費などを分析した結果を発表した。
2008年の国内総生産(GDP)のうち、

日本では教育に対する国や自治体などの支出が占める割合は3・3%。
OECD平均の5・0%を下回り、データのある31か国中最下位だった。
また、日本では、子供1人にかかる大学教育費のうち、
国や自治体ではなく、家庭が負担している割合は66・7%で、
OECD平均の31・1%を大きく上回った。
日本では教育に対する国や自治体の支出が少ないため、
家庭が多くの教育費を負担せざるを得ない
実態が浮かび上がった。
また、OECDの日本に関する報告書には「東日本大震災の後、教育の復興に取り組んでいる日本を支援していく」
という声明が掲載された。報告書に声明が掲載されるのは異例という。

■引用ここまで+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

それでいて、
中学校は教師が仕事時間の四分の一程(3時間?)部活で忙しい

一日の四分の一ということは、教員三十年間の四分の一、
一日11時間労働として週5日勤務と仮定し月を4週とすれば一か月「220時間労働」×1/4月間55時間部活
年間少なめに生徒が登校するのが10か月としても、55×10=年間550時間部活
三十年間で、550×30=人生16500時間部活
大変な「努力」だ。
これこそ、足を向けて寝られない、と言う。

そういう人も「中には」いるということだ。
それ以上、一日の三分の一たっぷり部活をしている人もいるかもしれない。
休日なしで部活をする人もいるからだ。

僕が約16500時間「教育書を読んだら」何冊読めるだろう。
僕が約16500時間「研究授業の教材研究をしたら」何回、他の人に授業批評をして頂けるだろう。
後悔しても仕方ないから、雇っていただいている間はすべて授業のことだけ考えることにした。

16500時間の違いは「授業方法」にどう表れるのだろう。
もし、国が金を出してどこかの国のように「20人学級」制度にし「教員を増やしたら」生徒の学力はどう変わるのだろう。
誰も知らない。
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田舎の孤独はキツいが

2011-04-14 23:01:24 | blog映画Diving
2011/7/3up全ページ目次
田舎の孤独はキツいが
引用日20110703

「草食化」という思考停止が招く「少子化」
小田嶋 隆 2011年3月11日(金)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110310/218932/?P=1

1. 田舎の孤独はキツいが、
  都市の孤独はしのぎやすい。

2. 都市には商品化された娯楽が溢れている。

3. 家事労働は家電で代行可能。
  食事とセックスはバラ売りを買う方がリスクが少ない。

4. 結婚は、個人の関係である以上に封建時代の遺制である側面が大きく、
  都市生活者にはメリットが少ない。
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発がん性あるたばこで収益増やす国

2011-04-14 23:01:23 | blog映画Diving
2011/6/18up全ページ目次
発がん性あるたばこで収益増やす国
作成日20110618
■引用ここから■
日本はなかなか禁煙できず 放射線対策をしながらJT株を保有する政府
2011年6月16日(木)10:30
http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20110616-01.html
(フィナンシャル・タイムズ 2011年6月14日初出 翻訳gooニュース)
ミュア・ディキー東京支局長

福島第一原発の事故による放射線の危険から市民を守ろうと苦労している日本において、政府が、発がん性のあるたばこで収益を増やそうとしているのは、一見すると奇妙に思えるかもしれない。

しかしこれは実は、それほど荒唐無稽な話ではない。日本たばこ産業(JT)はフィリップス・モリス・インターナショナルとブリティッシュ・アメリカン・タバコに続いて売り上げ世界3位の上場たばこ会社だが、日本の財務省はJT株の50%超を保有しているので、すでにけっこうな利益を上げているのだ。

昨年度だけでJTは配当金300億円以上を財務省に支払っている。これは主に国内の喫煙者にたばこ1350億本を売った利益によるものだ。たばこのかぐわしい香りは、がん発生のリスク上昇という代償とセットなのだが。

巨額の公的債務を抱えている上に、3月11日の地震と津波、そして福島第一原発の事故に対応するための巨額費用を負担しなくてはならに政府にとって、たばこによる配当収入はとりわけありがたいものだ。

しかし配当はもっと増やすべきだと主張する人もいる。英国のヘッジファンドは物言う株主として今月、JTの株主はひどい損をさせられているという血気盛んな手紙を野田佳彦財務相に送っている。

英ヘッジファンド「ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド(TCI)」は、過去3年間に配当収入と自社株買いで株主がJTから得た配当性向は平均25%だったのに対して、ブリティッシュ・アメリカン・タバコからは70%、フィリップ・モリス・インターナショナルからは実に120%も返ってきたと不満を並べた。

このギャップを埋めるには、JTの木村宏社長は「株主価値を台無しにした」責任で解任されるべきだとTCIは主張。さらに、JT株の価値を倍増するため自社株買い戻し策を実施すべきだとも提案した。

これに対してJT側は、当期利益に対する配当性向30%という目標に順調に近づいているし、すでに実施している200億円の自己株式取得を含めれば、実際の配当性向は36%に近いと説明する。

とはいえJT自身も、食品や製薬分野への進出を目的とした高額買収については、まだ元が取れていないと認めている。

TCIの苦情には一理ある。しかしこれで何かが変わると考えるアナリストはほとんどいない。少なくとも当面の間は。尊大なことで有名な財務省は(および日本政府内で最も影響力をもつとされてきた財務官僚たちは)JTの「着実な」パフォーマンスに満足しているのだと、ある当局者は言う。TCIの苦情は「株主の中から出てくる様々な意見」のひとつに過ぎないとこの当局者は一蹴するのだ。

自分たちは財政状況の帳尻を合わせられるのだと、日本は急ぎ世間に示す必要がある。そういう状況にも関わらず、こんな現状肯定を続けるのは無責任に思える。日本の政府債務残高は国内総生産(GDP)の200%を超えるだろうし、国債の新規発行収入は3年連続で税収を上回る見通しなのだ。

苦境に立つ国民に対して増税が必要なのだと説得するつもりなら、財務省は手持ちの国家資産から最大限の利益を絞り出すべく努力していると、そういう姿勢を示しておいた方が賢明だ。

とはいえ、政府が手持ちのたばこ株で不当に低い配当を受けているかもしれないことよりも、そもそも政府がたばこ株を保有していることの方が、スキャンダルだ。民営化は1980年代に始まったし、市場は今や基本的に輸入品に対して開かれているが、JT株売却を可能にするため2000年代初頭に日本たばこ産業株式会社法が改正されたのを経て、日本政府の株保有率は50.01%となった。

そしてその結果、日本政府に倫理的な矛盾が生じ、組織として目指すものが衝突する状態が生まれてしまったのだ。政府は、福島第一原発から漏出する発がん性のある放射線による被ばくリスクを最小限に留めようと、巨額の費用を使っている。その同じ政府が一方では、同じ国民に「発がんスティック」を売りつけた利益でもうけているのだから。

さらに、たばこそのものに放射性鉛や放射性ポロニウムといった放射性物質が含まれているし、米環境保護庁はこうした放射性物質が「喫煙者の肺に非常に高い濃度で蓄積することもある」と指摘しているのは、実に皮肉なことだ。

財務省が自分たちの「金のガチョウ」の首を絞めたくない、そのせいで日本の禁煙運動は遅れをとっている――と、健康推進団体は批判する。日本における男性の喫煙率は依然として、他の先進国を遥かに上回っているのだ。たとえば、アイルランド本国ではバーやパブの店内での喫煙を禁止したが、それから7年たった今、東京のアイリッシュ・バーでは依然として濃い煙が店内たちこめている。
政府がJT株を保有する根拠のひとつに、日本国内で生産されるたばこ葉をJTが全て買い取らなくてはならないという取り決めがある。これはかつてたばこ農家が市場開放に反対した名残だ。しかし日本国内に残るたばこ農家は1万戸しかないし、そんなに小さな利益集団に平伏していたのでは、是非とも必要な農業改革の妨げとなる。

JT自身は「より普通の」会社になるため、政府が自社株を手放すことを期待している。たとえそれで、TCIのように厄介な株主の発言が高まるとしても。完全な民営化の実現には立法措置が必要で簡単ではないが、もうとっくにそうしているべきだったのだ。政府は株売却による利益の一部を、がん対策に使ってもいいのだから。
■引用ここまで■

タバコを一日30本吸うと年間レントゲン300回分被曝・ポロニウム
タバコからがん原因の放射性ポロニウム
ポロニウムを知るとタバコがやめられる?
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映画・ブラック・スワン

2011-04-14 23:01:10 | blog映画Diving
2011/5/15up全ページ目次
映画・ブラック・スワン
作成日20110515

映画『ブラック・スワン』を今日観ました。

内容には触れませんが、
終った瞬間、これって『レスラー』じゃん、と思い、
帰って調べて同じ監督だと知りました。
不勉強ですみませ~ん。
ウィノナが出ていたことも知りませんでした。
ウィノナ・ライダーほど美しい女性はいないと信じていた長い時期がありました。
いつもながら女性は男性より上手に年をとるのが難しいと思いました。

ナタリー・ポートマンにはオードリー・ヘップバーンの横顔を見ました。
美しさと毅然とした振る舞いの二つの点にです。

オードリーは大戦中食べるものがなく、
その影響で太ることができなくなったと覚えています。
ずっと痩身だったのは幸福な理由からではなかったということです。
晩年の奉仕活動への専念も大戦と生い立ちのためでしょう。

ナタリーはイスラエル出身で、優秀な大学で学んだ知性の女性です。

二人には生まれ育ちの苦悩と、動かない思想があります。
苦悩と知性と思想が、年老いてなお人を美しく魅力的にするのは、
女性も男性も同じことです。

決して差別ではなく、
女性は早く大人になる代わりにどこかの時点で思想の深さで男性に抜かれることが多いように思います。
外で働くことができずに家事、育児をせざるを得ないためです。
そうせざるを得ない女性が多いためです。

そのことが、女性が美しく年をとる難しさにつながるのではないでしょうか。
働く女性は美しい、と言われるのもそんな理由からかもしれません。

先ほどネットで映画評を読んだので、もう一度観てみたくなりました。
気づかなかったことがいくつもありました。
映画評を書くかたは、みなさん観察力、文章力に優れています。
僕には書けません。
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頭が悪くて気づくのが遅い

2011-02-01 05:32:49 | blog映画Diving
2011/2/19up全ページ目次
頭が悪くて気づくのが遅い
20110219記
ミステリーが読めない。
伏線とかを覚えていられない。
面倒くさくなってしまう。
名手宮部みゆきが苦手なのもそのせいかもしれない。

登場人物が多いのもダメだ。
途中で誰が誰だかわからなくなる。
せっかくの『三国志』も二度挑戦したがすぐあきらめた。

映画『たそがれ清兵衛』に切られ役の余吾善右衛門が出てくる。
余吾には個人的に最も親近感を覚える。
だがその経歴が何度観てもよくわからなかった。
なぜ最後に籠って討手を待つことになるのかよくわからないまま何度も観た。
先月六度目か七度目に観たときやっとわかった。
頭が悪くて気づくのが遅い。
頭のいい人に生まれたかった。

今日電車から降りて突然気づいたことがある。
母から頼まれて救急車を呼ぶと逆に救急車から電話があった。
うちの前の道は狭くて車が入れないという。
病人を運んで来いという。
そんなひどいことはあるかと思った。
夜中僕は板切か一反の布のようにやせた母を背負いバス通りまで歩いた。
小さな町の川にかかる橋にさしかかったとき母はひと言の遺言を残した。
僕の背中で左耳に小さく囁いたひと言の遺言はその後何十年か僕を支えた。
ただひと言。
ひと言を言う機会はその瞬間しかなかった。
翌日亡くなるまでの間、母は苦しんでのたうつか麻薬で朦朧とするかしかなかった。
救急車がうちの前に来たならばそのひと言はなかった。
そんなことに今日初めて気づいた。
何十年も考え続けた晩にもわからないことがあった。
頭が悪いと気づくのが遅い。
だが遅すぎたわけではなかった。
コメント (6)
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訃報に接して

2010-12-25 05:32:24 | blog映画Diving
2011/2/14upわかる目次
訃報に接して
20110214記
Yさんの訃報が届いた。
三十歳くらいになったはずだ。
Yさんが中学一年生のとき僕は担任だった。

色白で丸顔の美しい生徒だった。
穏やかだが負けず嫌いの芯の強い人だった。
非常に努力家だった。
地元を離れある県で家族を持ち特技を活かし仕事もなさっていたという。

僕は授業技術は安定して上がり続けた。
しかし学級経営は天国と地獄を繰り返した。
努力はできるだけの力を傾けた。
だが、最大の努力の結果、
今どきこれ以上はあり得ないだろうというクラスと、
もう死ぬか辞めるかしたほうがましだというクラスをニ、三年ごとに繰り返した。
中間がなかった。

Yさんはその中で、今考えても最高に素晴らしいクラスの生徒だった。
お母さんがまた非常に優れた素敵なかただ。
クラスPTAの学級委員になってくださった。
クラスが解散したあと、保護者を集めてお別れ会を開いてくださった。
小会議室にお母さんたちがぴっしり並んで座り、
皆さんが良いことを言ってくださった。
さすがに詳しく覚えていないが、
細かい心遣いがたくさん仕組まれた温かい会だった。
すべて学級委員のYさんのお母さんが企画してくださったことだ。
諸賢の皆さんにはよくあることだろうが、
無能な僕には滅多にない有り難い出来事だった。
素敵なお母さんに素敵な子が育つ。

三十歳。
これから子が育つ姿を見て喜び、
能力を活かしてますます良い仕事が待っているはずだった。
なぜ、良い人が早く逝くのか。
悲しい。
コメント (2)
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部活道の星のやり取り

2010-12-25 05:32:22 | blog映画Diving
2011/2/6upわかる目次
部活道の星のやり取り
20110206記
中学にはいくつもタブーがある。
部活もそのひとつで三十年ほどまえから部活動ではなく部活道に格上げした。
僕が子供の頃はそうではなかった。

だから例えば誰かが、
部活はただの趣味だとか、
教員の本来の仕事ではない、
賃金を払い外部コーチを雇うべきだ
などと言ったら大変なことになるだろう。
幸い誰からも聞かない。
僕も考えたこともない。

土日の部活道は禁止と言う人がもしいたら、
それを生きがいにする教員や、
教員は無給で土日働くのが当然と考えている保護者から、
その人は、のどぶえに飛びかかられるだろう。
想像したこともないが、考えただけで恐ろしい。

教員の本業は授業だなどとは口が裂けても言えないと誰かがつぶやいていた。
当たり前です!と僕は声を大にして言いたかった。
部活道の重要性は授業、学級経営の比じゃない。
誰でも知っていることだ。

部活は土日と水曜日は禁止、
水曜日は全員が五分ずつ模擬授業して最後に管理職が見本を見せる、
そしたら土曜日に教員はその模擬授業の練習するから納得されると思います、
と優秀な若手に相談されたことがある。
僕は、
そしたら中学も少しはましになるかもしれない、
とふと想像した自分が恐ろしくなり、聞かなかった振りをして走り去った。

部活道というだけあり国技の相撲道と同じく星のやり取りがあるらしい。
電車の中で立ち聞きしたことがある。
「試合の前にはな、いいか、
ちゃんと審判の教員は集まって、
今日はA校の勝ちの方向で行きますから、
A校側のジャッジは甘めに、B校側のジャッジは辛めにってことで、
というふうに打ち合わせるもんだ。
わかったな」

と教えを説いていた。
僕はその競技のルールをよく知らず若かった。
はあ部活とはそういうものかと聞き流した。

もしこれが僕が、
臨任の初めて部活の審判をした教員が目を丸くし口から泡を吹き、
こんなふうに審判の打ち合わせをしたのだ、
実際にA校が勝ったのだというのを、
直接聞いたのだとしたら大ごとだが立ち聞きでよかった。
あり得ない話だ。
きっと酒でも飲んだ帰りに電車で冗談を言っていたのだろう。

相撲の八百長騒ぎのお陰で変なことを思い出してしまった。
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映画・完全なる報復

2010-12-25 05:32:21 | blog映画Diving
2011/2/2upわかる目次
映画・完全なる報復
20110202記
若い相撲取りがメールで星の売り買いをした。
昨日今日の報道による。
若い力士が突然思いついて空前の八百長をするはずがない。
代々続いているからできるのだ。
「他の人もやっているし」
中学生が度々使う。
一人でつるまず先頭を切る勇気のある人間など、十年二十年に一人しかいない。
携帯メールという便利なもののお陰で公になっただけだ。
便利なものにはリスクがつく。
うまい話はない。
残念でした。
相撲界の代表が徹底的に調査すると会見したが笑える。
この間、殺人につながるしごきがあったばかりだ。
調査も処分も体面だけろう。
そう思うのが自然だ。

数日前自衛隊の自殺者が多いという特集番組があった。
誰の目も届かない狭い日常でいじめが続く。
自殺するまで止まらない。
いじめの通例でいじめた「本人」が、
「指導がいきすぎた」
「いじめたつもりはなかった」
「死ぬとは想像できなかった」
と言う。
同時に「本人」の「上司」「組織の責任者」が、
「本人の言うとおりだ」
「行き過ぎた指導だった」
「申し訳ありませんでした」
と言う。
どちらも自分たちに責任はないということだ。
予見できなかった無能は責任に問われない法を知っているのだ。
どこかの業界と似ている。

相撲、自衛隊ともテレビのわずかな報道から上司は知っていたし予見もできただろうと第三者は想像する。
僕は想像できる。他の人は知らない。
だが裁判になると簡単にはいかない。
上記の自衛隊自殺者の裁判は、予見不可能だったという判決だったらしい。
相撲は他者の相撲賭博と異なり若い力士同士のやりとりは法に問えないらしい。

例えばの話だ。
若い女性教員が先輩の男性教員からメールアドレスを訊かれる。
断れず教える。
親しくもないのに馴れ馴れしいタメ口のプライベートに関わるメールがしばしば送られる。
女性教員は困るが同僚の先輩だからなんとか曖昧な返信でかわす。
それが何ヶ月も続く。
誰にも相談できない。
セクハラのような気もするが騒ぐほどのことでもないと思ってしまう。
でも、本当はもうやめてほしいと思っている。

あの、例えばの話ですよ。
その同じ男性教員は中学生の女子生徒にも同じようにアドレスを訊く。
何の気なしに女子生徒はアドレスを教える。
いい年の男性教員が女子中学生に馴れ馴れしい言葉で日常的にメールする。
気持ち悪い。
当たり前だが女子生徒は友達に話す。
男子にも広まる。
あっという間に学年生徒全員が知る。
生徒はその気持ち悪い教員の言うことは何も信用しなくなる。
だが学年の教員は気づかない。
気づいていても何もしない。
他学年の教員はもちろん気づかない。
何ヶ月かたってやっと噂で聞く。

これはもちろんフィクションです。
そんなことがあったら裁判沙汰だろうと、映画を見て思っただけです。
他の教員の中には、特に女性教員は話しやすいからその女子生徒から事実を聞く大人もいる。
不思議なことに知っても何もしない。
他の教員に陰で広めるだけだ。
「和を以て貴しと為す」
ことは教員の間で非常に大事なことだからだ。

そんなひどい太ったパソコンオタクの男性教員なら、次のようなこともするかもしれないと想像してしまう。
中学三年生の受験間近、生徒は神経質だ。
教員は授業で塾ではないがなんとか受験にも役立つ授業を工夫する。
生徒は塾でも受験対策、学校でも受験対策でうんざりする。
それをなんとか励ましながら毎日過ごす。
だが、その男性教員ならこうするかもしれない。
2月下旬から3月上旬のある日。
生徒をパソコンルームに連れていく。
売れているアニメのビデオを授業時間に観せる。
「受験受験で大変だろう?
 でも、ビデオを観せたのは他の先生には言うなよ」
言わないわけがない。
教員は全員知る。

そうなったら僕も知るだろう。
だが、管理職には言わない。
何もしないと知っているからだ。
副校長はその志のない教員を、
「俺が市内でいちばんパソコンに通じた人間を引き抜いた。ワッハッハ」
と4月から自慢している。
そんな管理職に何か言っても無駄だからだ。
通じている証拠にその男性教員は空き時間はパソコンルームにこもりネットサーフィンに興じる。いつも職員室にいない。

すべてフィクションです。
事実だったら若い力士の現金による星のやりとりよりおおごとでしょう。
あり得ません。
想像してみただけです。

『映画・完全なる報復』
は映画評ではラストが納得できないという人もいるが僕はわかった。
検事も腐っただけだ。
映画には詳しくないので主役のジェラルド・バトラーは初めて意識したが非常に良い。
僕にも金と能力があれば同じことをしたい。
そうすれば教育界も少しはましになるだろう。
秀作だった。
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