円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

映画・ヒックとドラゴン3D

2010-12-12 04:07:53 | blog映画Diving
2010/12/12up全ページ目次
映画・ヒックとドラゴン3D

映画評も読まず、時間つぶしのつもりで入りました。
感激しました。涙ちょろり。

3Dがとてもきれいで(技術が上がっているのか)
人物もドラゴンもとてもかわいい。
勇気と平和はこういうものだと分かる物語。

『アバター』よりこのほうがずっと好きです。
館内は親子連ればかりでしたが、ピクサーにしても、
本当に優れたアニメの感情表現は大人にこそ分かるのではないでしょうか。

あと、やっぱり3Dは前列で観ましょう。
今回は大画面を思い切って三列目で観ましたがまったく見え方が変わります。
2010-08-09 07:12
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画・アバター

2010-12-12 04:07:31 | blog映画Diving
2010/12/12up全ページ目次
映画・アバター

アバター。
09年末に3D字幕版で観ました。
賞賛の声に対する最大の見解の相違は、二度見ることは決してないと感じた点です。

映像は過去最高でした。
ただ、最近続く3D映画は、3Dとしてどう観せるかに力点を置きすぎています。
テーマを描く前に、3Dとして効果的な場面をどう作るかに力点が置かれています。
3D自体が発展途上なので、この点は仕方ないでしょう。

鬼軍曹が言ったように人類というかアメリカ軍、原住民ともに、
「力には力だ」
という原則で話は進みます。
鉄の兵器の前に、原住民がどう対抗するのか期待しましたが、結局、生きた飛行機と生きた戦車がバタバタと人を殺し続けます。
アメリカ軍となんら変わりません。
終盤の殺し合いのシーンの連続には辟易しました。
ターミネーター、タイタニックには遠く及びません。
映画というものが、こういう方向に進むことで賞賛されていいのか疑問です。
2010-01-02 17:28
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画・おくりびと

2010-12-12 04:07:13 | blog映画Diving
2010/12/12up全ページ目次
映画・おくりびと

荘厳な形式美。
この美しさを見るためだけでも映画館に行く価値がある。
「形」がいかに重要か改めて教えれくれる。
その形の美しさは「残心」の美しさでもあった。
本木氏のセンスと努力に息を止めて見とれる。

音楽と映像の共演。
邦画でこれほど無理なく優れて協調した映画音楽は他にあったのでしょうか。
不勉強で知りません。

山崎努はまだまだすごい。
全然衰えてないじゃん。

主人公のように、僕も父親のことは顔も声も何も覚えていない。
主人公のせりふと同じく、会ったら殴ってやりたいと一、二度他人(ひと、と読む)にも言った。
今まで父親について、良い印象を想像したことは一つも一瞬もなかった。
だがものごころついて今日はじめて思った。
「僕の父親も、息子の顔や成長する姿を思い浮かべたのかもしれないなぁ」
「僕に会ってみたいと、親なら望んだのかなぁ」
「自分だったらきっとそう思っただろうなぁ」
と。
でも、今どきいろんな親がいるからな。わからない。信じこんではいない。
でも、僕の中にまだ自分の知らない感情が隠れているのを知って驚いた。

とにかく今年いちばんの映画なのはまちがいない。
二十代の人にはわからないだろうなぁ。
よほど何かある人でないと。
三十代でもまだ観るにはもったいないかも。
年を取って、こんないい映画を観ることができて幸せです。
2008-09-22 21:00
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フジ子・ヘミングコンサート

2010-12-05 22:54:19 | blog映画Diving
2010/12/5upわかる目次
フジ子・ヘミングコンサート
記事投稿日2008-07-05?

<たしか2007年7月某日>

フジ子・ヘミングはピアニストだ。
テレビの特集を二回見た。
二回目が、先の日曜だった。

「このまえ、ヨーロッパでコンサートしたとき、
 フルート吹いてるおじさんがさ、
 途中で泣き出したんだって。あたしのピアノ聴いて。
 で、最後までオイオイ泣いて、演奏できなかったそうよ。
 あたしは、自分で弾いてて泣いたことないけどね」

「泣くなんていうのは、あおいわよ。
 もう、あたしなんて若いときに泣いてばっかで、
 涙なんてでない」

演奏シーンは短かったが強く心を打たれた。
すぐにネットで、上等なヘッドフォンを買い、
フジコ・ヘミングのCDを5枚買い、
公式HPから、某月のモスクワフィルとの公演のS席を取った。
コンサートを自分で買うのは二十年ぶりだと思う。

<そして2007年11月29日>

四ヶ月待ったフジ子・ヘミングのコンサート。
楽しみだなぁ。
たしか、モスクワフィルも
とても腕のいいオーケストラのはずだ。
チケットが届いた。
どれどれ座席は?

たぶん、1階席だな。
四ヶ月前に「S席」買ったんだもんな。
ネットで芸術劇場の座席イメージを見る。
1階席、すげーよく見える。
きっとこの席だ。どきどきする。

でも、2階席かも。
・・・ちょっと遠い。
ピアノがちっちゃい。
やっぱり、1階席だ。
「S席」だもんな。

そういえばチケットに座席番号があったぞ。
えーと、どれどれ・・・・・・
なにっ、3階じゃん。
3階って、こんな遠くだよ、見えないじゃん。
なんだよ、
なんのために4ヶ月前に「S席」買ったんだよ。
これじゃ、フジ子・ヘミングの顔も見えないよ。
ひどいよ。

3階って、ココだよ、ココ。(画像省略)
なんでっだよっ。
すげー遠い。
あーーー。がっかりだよ。

2007年11月25日は、それでもやってきた。
開演は午後3時。
40分前には着きたいものです。
ゆっくりと座席で心を落ち着けて、
待ちに待ったフジ子・ヘミングの登場を待ちましょう。
地図はコピーしたし電車の時間もチェックしたし余裕余裕。

でも、その前に右脳を音楽でいっぱいにしとかないとな。
今まで左脳ばかり使いすぎたからなあ。
昨日の晩は「コブクロ」を聴きまくっておいたんだ。
ふっふっふっ。準備は充分さ。
やっぱり、せっかくだからフジ子・ヘミングのCD、
もう一度聴いとこう。
……「ラ・カンパネラ」は必ず聴けるだろうな。
ショパンの「英雄」が好きなんだ。
CDの中でいちばん好きだ。
やってほしいなあ。

おっ、待てよ、もうこんな時間だ。ヤバイ。
スーツ来て、駅まで早足で、時計を右手に持って電車乗って、
ハアハア。
池袋まであと何分だ?
23分・・・18分・・・3分。
もう、2時45分だ。
間に合うのか!

芸術劇場は駅のすぐ前だった。
劇場前でセミプロが余計な演奏やってやがる。
せっかく、頭をピアノでいっぱいにしてきたのに。
耳をふさいで劇場のエスカレーターに駆け込む。

人がいっぱいだ。
3階へどんどん上がる。
座席が中央なのが唯一の救いだ。
3階A列28番は、っと。あれだあれだ。
高いなあ、恐いよ。
んー、ステージ思ったより小さくはない。ラッキー♡
それに、3階の最前列は前に誰の頭も見えないのです♪
目の前はステージしかないって感じ。
コートを脱いでお気に入りのカバンを置いて座ってみると、
手すりのバーがちょうどステージと客席の境目にあるじゃぁないですか♡♡
(ステージ独り占めだ)
(劇場でここがいちばんだいちばんだ)
言い聞かせた。
しかし、まあ、遠いことに変わりはないなあ。

開演まではあっという間だった。
モスクワ・フィルがステージに現れる。
指揮はユーリ・シモノフ。
悲しいことにぼくはクラシックの人のことをぜんぜん知らない。
一曲目がすぐに始まる。
ピアノはまだなんだな。はじっこに置いてあるし。
曲名もわからない。
さっき入り口で初めて曲目が配られたのだ。
それに、プログラムには
もしくは、もしくは、
とたくさん書いてある。
直前まで曲目は未定だったのだ。
指揮、かっけーなあ。
バイオリンの女の人、きれいだなあ。
よく見えないけど。

でも、この席はオーケストラの楽器が全部見える。
ひとりひとりの手元が指先まで見えるのだ。
1階でも2階でもこんな見え方はしない。
ぼくのまっすぐ遠く目の下には、
オーケストラ以外の何も映らなかった。
これは、ほんとうに「S席」だ。
ほんとうに、いちばんいい席かも♪♪♪

二曲目の前にピアノが移動して真ん中に来た。
ぼくの鼻の先に、白と黒の鍵盤がまっすぐ縦に並んでいる。
あそこにフジ子・ヘミングが座ると、
彼女の弾く指先が、両手の動きがすべて見えるのだ。
1メートルずれただけで、
鍵盤はピアノに隠れるかピアニストの背中にさえぎられる。
最前列だから人の頭もない。
日本が生んだ限られた天才の演奏を、指の先まで見ることができる。
「ラ・カンパネラ」の指使いをじかに見ることができる。
そう思ったら体が震えてきた。

フジ子・ヘミングが現れる。
会場が拍手で包まれる。
オーケストラが二曲目を始める。
座に着いたフジ子・ヘミングの手が、
ゆっくりと鍵盤に置かれる。
そして、両の手の指が弾き始める。

ありがとうございますありがとうございますフジ子・ヘミングのピアノを聴かせてくれてありがとうございますこんなに四ヶ月も何かに焦がれつづけたことはずっとなかったなあ生きててよかったほんとうにありがとうございます

鼻水がするする流れ出して
ポケットから出したハンドタオルで押さえた。
目が痛くなるくらい力を入れて指と鍵盤を見た。

ピアノが二曲目に入り少し落ち着く。
一曲目でフジ子・ヘミングの左うしろには
女性のアシスタントがついた。
演奏中、時々楽譜を見せてフジ子・ヘミングは
大きくのぞきこんで演奏の場所を確かめた。
指揮者も後半気づいたのか、
ははばからず大きく振り向いてピアノの入りを手で示した。
フジ子・ヘミングが指揮者を見上げて、
その手に頼り合わせるのがよくわかった。

いっぱいいっぱいなのかな。
なぜだろ。
全盛期を過ぎているのはわかっているのだ。
もう75歳なのだから。
しかし、一曲目が終わると
立ち上がったオーケストラのバイオリンが何人か弓を振って拍手した。
十人ほどがバラバラの位置で弓を振るのがなんだか自然でリアルだった。
あとから考えると弓を振ったのはコンサートマスター側の人ばかりだった。
きっと弾く手が見えたのだ。

二曲目にはいる前、
客席に向かい肉声でフジ子・ヘミングが何か言い始めた。
あわてて耳に手を当てるとかすかに、
「皇帝の第二楽章だけやります。」
というのが聞こえた。
拍手。拍手。
テレビで聞いたとおりの声だ。
二曲目が終わると、また何か言い始めた。
「ノクターンと、ラカンパネラをやります。」
配られたプログラムに
ピアノの独奏はひとつも書いてなかった。
でも、みんな待っていたのだ。ラ・カンパネラを。

「ノクターン」はとても素敵だった。
「ラ・カンパネラ」はCDで聴いた中でもいちばん速い演奏だった。
フジ子・ヘミングは今度はピアノに向き合って、
自宅の居間にいるように弾いた。
速く力強く身体全体で踊るように。
75歳のフジ子・ヘミングは衰えてなかった。

心の中に浮かぶ言葉は何もなくて口があいたまま体がガクガク震えたこんなのはこんなのはなんでもないけど呼吸がくるしくて口がとじられないだけだでもいいんだいいんだこれでいいんだ

ぼくは今でも客席から離れて手すりを越えて飛び
ピアノの前に腰かけることができる。
鍵盤の目の前にいる自分をイメージできる。
指揮者の背中もグランドピアノの弦も
周りを囲むバイオリン奏者の息遣いもはっきりとイメージできるのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画・オーケストラ!

2010-12-05 20:19:16 | blog映画Diving
2010/12/5upわかる目次
映画・オーケストラ!
作成日20101205

地元唯一の名画座で二度目を観た。

今年観た74本中映画館で二度観たのは二本だけだ。

一本目が『ヒックとドラゴン』
二本目がこの『オーケストラ!』

映画素人の僕は、フランス映画はいつも後半が曖昧でぼんやりとわからないまま終わってしまうと思っていた。
これは違う。

前半のユーモアが実に効いている。
日本人は結局ユーモアは理解できても描けないのだと納得する。
後半の深刻で真面目な(シリアスともいうらしい)展開に無理がない。
前半のユーモアが後半に効くのだ。
(ユーモアは諧謔と訳されるがしっくりこない。
概念が存在しないから翻訳することもできないのだ)

一貫して女性バイオリニストの魅力に圧倒され続ける。
メラニー・ロランという。
とにかく美しい。
僕が出逢った最も知的で魅力的な日本女性の次にきれいだ。
三番目が北川景子だ。
メラニー・ロランの瞳の色、整った鼻筋、真っ白な胸元、バランスの取れたスタイル、毅然とした立ち居振る舞いのためだけでも観る価値がある。
タランティーノ『イングロリアス・バスターズ』に出ていたと言われると、ああ、あの美人かとぼんやり思い出すが『オーケストラ!』にはかなわない。

僕はピアノの音が好きでフジ子・ヘミングのコンサートでは口を開けたまま身体ががたたが震えた。
バイオリンは苦手だったが、この映画のおかげでやっとわかった。
チャイコフスキー・バイオリン協奏曲。
映画の最後、管弦楽団(オーケストラともいうらしい)の演奏で訳がわからないが涙がたらりたらりと流れているのに気づく。

中島らもは晩年近く「文章は音楽にかなわない」と書いていたがこういうことかと思う。

できれば腹にズンズン響く音響効果のよい映画館で観たかった。
なぜかでかい映画館は血のドバドバ流れる映画や、爆弾・ミサイルがドカドカ爆発する音に無駄に音響施設を使う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の恥シルバーシート

2010-11-22 01:21:13 | blog映画Diving
2010/11/22upわかる目次
日本の恥シルバーシート

おとといの夜。電車に杖を突いた老人男性が乗り込んだ。
電車のいちばん端のドアでしばしば優先席が配置される場所だ。
老人がつり革をつたいながら、目の前に立った瞬間に、
小柄な外国人女性がすくっと立ち上がった。
立ち上がりかけたのではない。腰まで伸ばして反射的に立ったのだ。
老人は片手で(いいですいいです)と女性を制した。
女性は腰掛けた。
ブロンドに近い髪が肩まで伸びた美しい女性だった。
僕は窓に英語で優先席を示す言葉が書いてあるのかと探した。
だが、そこは優先席ではなかった。優先席は車両の反対側の端にあった。
そして外国人女性だけが当然のこととして、飛び上がるように立ち上がった。
20101120記


シルバーシートは日本の恥だ。
あんな恥ずべきものが何十年も存在している。
途中から、優先席、などと名前を変えてますます良い物を作ったように繕った。
偽善の塊だ。

電車とバスの中で観察するとよい。
お年寄りは優先席が空いていても、他の「普通の席」が空いていればそちらに座る。
優先席を望む人はいるかもしれないが、そこには座りたくない人もいる。
僕は、座りたくないお年寄りのほうが圧倒的に多いと思う。
今まで電車の中で見た経験ではそうとしか思えない。

今日、杖を突いてやっと電車に乗り込んだおじいさんがいた。
電車は込んでいた。
優先席の隣りのドアだったが、人をかき分けて優先席の前に行くことができない。
発車まではあっという間だ。
なんとかすぐそばの垂直の鉄棒につかまった。
最近は、お年寄りが元気で譲るのが失礼に当たらないかと迷うことが多い。
しかしだ、目の前に杖を突いて腰を曲げてやっと電車に乗り込んだ男性がいるのだ。
譲るのが人間だろう。
だが誰も譲らない。

こういうとき、アメリカのネイビーは必ず譲る。
若いネイビーは、休日には都会へ繰り出すために電車に乗り、缶チューハイを飲む。
日本人はいい顔はしない。
だが、彼らは目の前の人が忘れ物をして席を立つと、すぐに取ってあげる。
目の前に譲るべき人が立つと、その瞬間席を譲る。
そういう場面を何度も見た。
国民性が違うのだ。
躾が違うということだ。
兵士は嫌いだが、その行為はカッコいいと思う。

特に座る必要もない人の多くは、車内がガラガラでもなぜか優先席には座らない。
馬鹿げている。
優先席に座ると、譲らなくてはならないからだろうか。
逆に言えば、優先席でなければ譲らなくて済むからだろうか。
では、ガラガラでも優先席には座らないとはどういう心理だろう。
まったく理解できない。

二年前、僕よりはるかに年上の知人と夜の電車に乗った。
ほとんど客はいない。
ドアの横は優先席だ。
僕が座ろうとすると、ここは優先席だから、と言う。
思考がどうかしている。
日本人の多くがこうなってしまった。

本当に座らないと困る人は、どこに座っても良いに決まっている。
どのドアから乗っても、混んでいたらいちばん近くの人が譲るのだ。
当然だろう。
本当に座らないと困る人が、わざわざ優先席の近くのドアがどこか判断し、そのドアから乗るか。
そんなことはできない。
妊婦も年寄りも怪我人も、自由に動けないから乗りやすいドアから乗る。
当然だ。
それとも、妊婦、年寄り、怪我人は、優先席の近くから乗車しろというのか。
そんな馬鹿な話はない。
だいたい、優先席は電車の一番はじっこに一か所あるだけだ。
電車のフォームで、ここに立てば優先席前のドアから乗ることができると誰にわかるか。
僕にはわからない。

優先席は、さも困っている人のことを考えているように見せるための偽善だ。
交通機関企業の偽善ではない。
社会全体の偽善だ。
偽善のシステムだ。
日本人がどうかしてしまったのだ。

優先席は日本の恥だ。
優先席は廃止する。
子どもに席を譲るようなアホなことはやめる。
すぐにだ。

2010-10-01 19:35
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルコールときな粉

2010-11-21 13:51:53 | blog映画Diving
2010/11/21upわかる目次
アルコールときな粉

三ヶ月で少なくとも5キロの減量に成功した。

まず、お酒をやめた。
もともとは胃炎になったのが始まりだ。
胃ガンの心配ありということで血液検査をした。
ガンはなかったが、ガンマGTPが187あった。
男性の基準値は70以下ということになっている。
数年前に300を越えたが、そのときは気にしなかった。
今回は、飲んでも食べてもとにかく気持ち悪いのでお酒もやめてみることにした。
「二か月酒をやめます」
と言うと、内科の先生は、
「ほう、それはがんばりますね」
と言った。先生もきっと酒飲みなのだ。
「それで、二か月たったら、もう一度血液検査をして下さい」
と頼んだ。

二ヵ月後、ガンマGTPは187から、76に下がった。
291あった中性脂肪値も、138になった。(男性基準値は149以下)
「これで飲める」
と思ったら、もう飲めなくなっていた。
飲んでもちっともうまくない。
猛暑の毎日、ビールの代わりに食べていた”小豆アイスバー”の虜になっていた。
三ヶ月たったので、試しに発泡酒を飲んでみた。
気持ち悪いだけで、酔って頭がボケた時間がもったいなかった。
俺は酒で死ぬと思っていたが、そうはならないらしい。

次に、きな粉を食べ始めた。
何年か前、ネットで「きな粉を牛乳に混ぜて朝ごはん」が良いと知った。
俺は、紀文の豆乳飲料を代わりに使った。
きな粉大さじ2杯くらいを、紀文のいんちき豆乳に混ぜて飲む。
甘くてコクがあって、実においしい。
豆乳はココア味が好きだ。
一度、バナナ味で試したが混ぜたときの色がウンチそっくりでやめた。
朝ごはんは他にご飯もおかずも食べる。
他の食生活は変わらない。
そのうち、ウンチがきれいなきな粉色になった。
体重がジリジリと減っていく。
きな粉を始めたのは、わずか13日前だ。
昨日計ったら、三ヶ月前72キロを越えていた体重が66キロ台になった。
8年ぶりの66キロ台だ。
体調も気分も非常に良い。
体重はまだ減りそうな気配だ。

2010-10-05 20:47

その後一ヶ月以上たったが、体重は時折65キロ台を示すようになった。
体脂肪は四ヶ月前の22~23が18~19になっている。
20101120記
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川賞・直木賞受賞者の生まれ年

2010-11-18 00:45:12 | blog映画Diving
2010/11/18up全ページ目次
芥川賞・直木賞受賞者の生まれ年

1995年の山田和夫氏の調査によれば、芥川賞・直木賞受賞者の生まれ年は次の通りである。

表1・芥川賞作家の生まれ年
1895-1904***********11人
1905-1914****************16人
1915-1924**************14人
1925-1934*****************************29人
1935-1944*******************19人
1945-1954***********11人
1955-1964**2人

表2・直木賞作家の生まれ年
1895-1904*************13人
1905-1914*******************19人
1915-1924**********************22人
1925-1934****************************************40人
1935-1944********9人
1945-1954*********9人
1955-1964*1人

1995年の山田和夫氏調査によれば芥川賞、直木賞とも受賞者が最も多い年代は一致している。

芥川賞受賞者は、1925年~1934年生まれが最大で29人。
(最小は1955~1964で2人)

直木賞受賞者は、1925年~1934年生まれが最大で40人。
(最小は1955~1964で1人)

どちらも昭和ヒトケタ、昭和1年から9年生まれの者が最も多く受賞した。
山田和夫氏は、三島由紀夫、大江健三郎、開高健をその例として挙げている。

なぜ、こんなことがおこったのか。
山田氏の著作から引用させていただく。

*引用ここから*
「昭和ヒトケタ生まれの人は10代で終戦を迎えた」

「終戦により、天皇制から民主主義となり、価値観は180度転換し、
10代の多感な青年たちの心は大きく揺れ動き、心の柱を喪失したような状態となり、
多くの人々は、そのまま柱を持つことはなかった」

「必然的に人間の心を探り始める作家が多く排出されても不思議ではない」
*引用ここまで*

当時、日本のすべての年代が終戦を迎えた。
だが、終戦時10代は、終戦時40代の者より3倍以上の芥川、直木賞受賞者を生んだ。
価値観を動かす出来事が、10代で起こったことが重要なのだ。

2008-07-05 20:58
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本は捨てるものだ

2010-11-18 00:43:37 | blog映画Diving
2010/11/18upわかる目次
本は捨てるものだ

二十年ぶりの開高健はやっぱりよかった。

*引用ここから*
「フレミングのダンナは、威風堂々、私は金のために書くのだ、私の本は汽車や飛行機のなかで読まれ、そしてそこへ置き忘れられるのだといいきった。」

「フォーサイスが登場して『ジャッカルの日』を発表し、これまた徹夜で読まずにいられないパルプ小説だったが、著者は満々の自信をこめて私のは文学じゃないといいきり、二作か三作書いて金をつかむとスペインに牧場を買ってさっさと引退してしまった。まるで居合い抜きである。」

「J・M・ジンメルの『白い国籍のスパイ』…こういう珍種は何年かたてばまた読みかえしたくなるにちがいないから、私としては稀れなことだが、本棚にのこしておくことにする。」
*引用ここまで*

僕は十数年来、本は捨てることに決めていて少々引け目もあったが、今日限り「堂々と」捨てることとしたい。

2008-07-05 21:08
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おしょう油の天使

2010-11-13 06:26:52 | blog映画Diving
2010/11/13upわかる目次
おしょう油の天使

毎日のように行く弁当屋さんにとても美しい女性がいる。
淡雪のような色白の顔に、すっとした目がキラキラ輝いている。
鈴を鳴らすような声は若いのにかかわらずわずかに艶を含んでいる。
機敏な動作と正しい日本語が知性の高さを感じさせる。

他のお客さんから正月用のお節弁当の注文を受けるとき彼女は、

「二十五日まで承っております。」

と流れるように言った。
今どきの若い女性で、

「ウケタマワッテオリマス」

などという言葉を自然に使える若い女性はそうそういるものではない。

振り向くと彼女の背中には小さな白い羽根が生えている。
よく見ないと分からないがきちんとたばねた髪の上に薄い光の輪が浮かんでいる。

僕は牡蠣フライにも鯵フライにもしょう油をつけてもらう。
そういう人はめったにいない。
お店の決まり文句は、

「ソースかおしょう油、おつけしますか」

である。
僕は毎回のように牡蠣フライか鯵フライを買う。
だから毎回、おしょう油を下さい、と言い続ける。

ところが、背中に羽の生えたその女性は三回目くらいの接客のとき、
決まり文句は言わずに、

「あ、おしょう油ですね」

と言ったのだ。
……好きになってしまった。

好きになるとつい見てしまう。
お弁当を受けとるとき、ちらりと目を見てしまう。
おつりを受けとるときだいたい人は手元のつり銭を見る。
でも、今日もこれでお別れだと思わず目を見てしまう。

そんなことは失礼だから、たった一、二度。
たった一、二度のことである。

だが、好き好き光線が強すぎたのか。
避けられるようになった。
以来僕がレジの前に立つと彼女は、
代わります、
と調理台の女性に言うと小走りにレジから去る。
行く度レジ前で、
お願いします、
と小さく言っても彼女は動かない。

頭のいい機敏な人だ。
気づかぬわけはない。
彼女は別のスタッフが気づく二、三秒のあいだ、知らぬ振りをして作業を続ける。
二、三秒が数分に思える。

天使の彼女には申し訳なかった。
彼女も週に何度も変な人が来るたびいやな思いをしただろう。
僕は食わなくてはならないので弁当屋に行く。
そして、少し辛い気持ちで帰る。

二か月ほど彼女は一度も僕の弁当のためにレジに立つことはなかった。
二、三秒が数分になるちょっと複雑な時間を彼女も感じていたかもしれない。
そう思う根拠はない。

数日前から、その女性は僕のレジの接客に立つようなった。
機敏な動作。滑舌のよい通る声。
前のように、

「おしょう油ですね」

と彼女は言う。
はい、と小さく僕は答える。

僕は顔を上げない。
僕は彼女の目を見ない。

お勘定でお釣りをもらう。
ありがとう、と小さく僕は言う。

天使は毅然と美しく、うつむいたままの僕を見送る。

2010-01-26 18:33
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする