円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

映画・クルーシブル

2010-10-30 17:47:36 | blog映画Diving
2010/10/30upわかる目次
映画・クルーシブル

ネットに
<100年前の1907年はどのような時代だったのか>
というページがある。
アメリカの話だが、興味深いものをコピーする。

1 平均寿命は47歳だった。

2 平均賃金は時給22セントだった。(米セントを円に換算すると約26円)

3 多くの女性は1ヶ月に1度しか髪を洗わず、シャンプーとしてホウ砂や卵の黄身を
  使っていた。

4 死に至る5つの原因は
   ①肺炎とインフルエンザ ②結核 ③下痢 ④心臓病 ⑤脳卒中

5 成人10人のうち2人は読み書きができなかった。

6 マリファナやヘロイン、モルヒネ全てが地方の薬局で購入できた。
  薬剤師によれば、ヘロインは顔色を良くし、心に元気を与え、胃や腸を制御し、
  実際に健康の完璧な保護者だったという。

たった100年間で、人間の平均寿命は30年も延びた。
といっても先進国だけの話だろうが。
今でも、肺炎のために、食べ物がないために、寒さのために、地雷を踏んで、
子どものうちに死んでしまう国がたくさんある。
「人間は、本来の生命力に比べて、長生きしすぎるようになった」
とどこかに書いてあった。
僕には、なぜ人が長生きを望むのか理解できないのだが。

映画『クルーシブル』は何一つ面白くなく、胸くそ悪い気分が続き、最後まで気分が晴れる瞬間はどこにもない。
だが、最後まで観てしまう。
観てよかったと思う。
主役の最後の判断は正しかったと思うし、その表現の仕方に優れた演出の力を見る。
秀作かどうかは判断に迷うが、挑戦する価値は充分ある。

解説によれば、実際にあった魔女狩りの話が元になっている。
魔女狩り、ですよ。
三百年前の人間は、こんなに愚かだったのかとか、今はこんなことあり得ねえ、
というのが普通の感想だろうが、現在も同じようなものだ。

先進国の寿命が何十年延びようが、結核が減ろうが、人間のすることは変わらない。

今も多くの人が狭い狭い自分だけの「真実」にしがみついて生きている。
それが、本当だろうと嘘だろうと。

自分を守るために。

2008-07-05 20:47
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映画・カラフル

2010-10-25 18:41:06 | blog映画Diving
2010/10/25upわかる目次
映画・カラフル

始まってすぐ、
「絵が粗いなあ。やっぱりジブリと違うなあ。」
と、しらける。

生き返った主役の男子が、なんともださい。
こんなさえない顔かたちに生まれたら、がっかりだよな、と思ってしまう。
やっぱり、姿かたちは人生を左右するな。
もし、向井理が生まれ変わって、俺の顔かたちだったらスゲー落ち込むだろうな。
佐々木希が俺の顔とスタイルになったら、死にたくなるんじゃないかな。
そんなことを考えてしまう。

原作は読んだがずいぶん前だから忘れている。
そうだった、そうだったと思うが先は思い浮かばない。
この程度の話だったかな、などと思う。

からんでくる美術部の女子がまた、うっとうしくて見た目が悪い。
まったくどいつもこいつも、さえない登場人物ばかりだ。

ところが、いつの間にか男子の顔が変わって見える。
あれ?
いつこんないい顔になったのだろう。

お母さんは母というより色気のある嫌ないい女だ。
それが自然にけなげな母親に思えてくる。
お父さんは情けないひょろひょろ顔だ。
それが、気づかぬうちに凛々しく見えてくる。

あの世の関西弁男子の言葉が耳障りだ。
と思っていたら、だんだんかわいくなってくる。

ああ。そうか。
友達って、こういうものだったな。
家族って、こうやって作っていくものだよな。
お兄さん、かっこいいな。
主役の男子。ほんとに良かったね。

帰り道にそんなことを考える素敵な映画でした。
原作『カラフル』文庫本を買い直そうとしたら売り切れでした。
あした買います。

映画『カラフル』公式サイト

2010-09-03 19:28
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奇跡の美

2010-10-23 01:30:42 | blog映画Diving
2010/10/23upわかる目次
奇跡の美

2007年のウィンブルドン。
シャラポアが負けた。
完敗だった。
過去、グラフもセレシュも強く素敵な女性だった。

ナブラチロワは強かったが、女子トーナメントに出たのは反則だと思う。

マリア・シャラポアだけが、神が創った奇跡の「美」である。
マリアにそう言うと、彼女はいつも小首をかしげて、
「そんなことないわ」

と伏し目がちに答える。

マリアはいつもの通り、ゲームが終わると僕に電話してきた。
「今日は集中できなかったのよ」
「そうか、マリア」
「風が強いのよ、センターコートは」
「わかるよ。まだ肩が痛んだんじゃないのかい」
「いいえ、大丈夫」
「落ち着いたらまた寄りなよ」
「ありがとう。ポチくんのお陰で元気が出たわ」
「待ってるよ、マリア」
「ええ、ポチくんっ、……」

会話は続くが、人様にお聞かせするようなことではないので遠慮しておく。
2008-07-05 20:24

ところが、今夜テレビでマリアの結婚報道がなされた。
どうりで最近電話がなかったわけだ。
相手は2メートル越えのプロバスケット選手らしい。
……テレビを見たと言うために電話をしたが
「ゲンザイツカワレテオリマセン」と言われた。
男女の終わりはこんなものだ。
♪こんなこ~とは今までなかった ぼ~くがあ~なた~から は~なれて~ゆく♪
さよなら。マリア。
しかし、でかい赤ちゃんが生まれるんだろうな。
2010-10-23
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満月の産卵1珊瑚の海へ

2010-10-20 16:38:27 | blog映画Diving
2010/10/20upわかる目次
満月の産卵
1 珊瑚の海へ

珊瑚は年に一度、満月の夜に産卵する。

夜の海は恐い。
特に船で出る海は、光のない漆黒の世界だ。
静かにうねる波は昼間の明るさと全く違い、黒々と底が知れず、吸い込まれれば二度と浮かび上がることができないように思える。
からみつく粘り気を持つ生き物のようだ。

また、産卵は満月でしかも大潮の夜でなければならない。
だが、海に出たところで、産卵に出会えるとは限らない。
海は広く、珊瑚には個体差がある。
その晩は生まないかもしれず、また、その場所で生むとも限らない。

97年6月21日、土曜日。
僕たちの船は、那覇の港を夜8時過ぎに出港した。
海はなぎ。
満月は異様に大きく、背後から船を見下ろしている。

小一時間船は走り、チービシというポイントに着く。
あたりを見渡すが、真っ暗な海と空は溶け合い、区別がつかない。
船の明かりはまぶしいが、足元の器材を十分に照らすほどではない。

頭上に星が広がっている。
船はその位置でじっと待つ。

産卵はまだ始まっていなかった。
いつ始まるかは誰にも分からない。
終わってしまうには時間が早かったが、いくら待ってもその夜は始まらないのかもしれなかった。
インストラクターは交互に海に入り、珊瑚を探った。
そして、
「全く始まっていない」
と言った。

すべての準備を整えていた僕たちは、少しうなだれ、ゆっくりと器材をおろした。
珊瑚の産卵がそう簡単に見られるものでないことは、何度も聞いていた。
だから、そのまま待ち、海に入らず引き上げても仕方のないことだった。
そばに一隻の船が、同じように産卵を待って浮かんでいた。

海は静かだった。
満月はいよいよ大きく、次第に高く上ってきた。
船べりからのぞく海は黒いだけで、液体なのかどうかさえ分からなかった。
ときおり、ライトを持ったインストラクターが船の下を通るのがぼんやりと見えた。
だが、船に上がるたびに首を横に振った。

僕たちのテンションはすっかり下がってしまった。
沖縄に住む人間なら別だが、その夜を逃せば僕たちのチャンスは来年までない。
船に揺られたまま一時間以上待つと、誰の顔にもあきらめの色が浮かんだ。
それでもインストラクターは、何分かおきに海に入っていった。

ところが、しばらくして一人のインストラクターが、海面から顔を出し静かに
「始まった」
と言った。

ほとんどあきらめていた僕は、たいした反応もできず、ふーんといった感じで準備を始めた。

(1997年6月記)
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満月の産卵2数え切れない白い卵

2010-10-20 16:38:26 | blog映画Diving
2010/10/20upわかる目次
満月の産卵
2 数え切れない白い卵

タンクを背負い、フィンを履き、マスクをつけるうちに、沈んでいた気持ちは次第に高ぶっていった。
船べりから見下ろすと、真っ黒な海面には無数の白い粟粒が浮かんでいた。
それが、珊瑚の卵だった。

ダイビングを始める前から、珊瑚には産卵があり、それが夜の海で起こることは知っていた。
そして、テレビでしか見たことのないことが、目の前で起こっていた。

セッティングが終わると、僕は海を背にして船べりに腰掛けた。
右手で前からマスクを押さえ、左手で後ろからマスクバンドを押さえる。
軽くあごを引き、フィンを見ながらゆっくりと体重を後ろにかける。
自然に足は浮き、フィンは船板から離れる。
そして、体は逆様になり後頭部から海面に落ちていった。

落ちたとたんにマスクがずれた。
海水が鼻と目に回った。
むせ返り、息が整わないうちに潜行の合図が送られ、他のメンバーは次々に海面から姿を消した。
僕は慌ててBCDのエアーを抜き、潜行しようとした。

もう、周りには誰もいなかった。
あせるほどに呼吸は荒れた。
水中に頭が隠れ1メートルほど潜ると、ライトを持ったダイバーたちの姿が遠く下の方に見えた。

周りの闇は深かった。
暗い水中でぼくは、ぽつんと一人きりだった。
それに気づいたとたん、恐怖に襲われた。
真っ黒な海は、粘りつく何か別のものに変わった。
息ができなかった。
レギュレータをくわえている限り、息ができないわけはない。

しかし、恐慌に陥った僕は考えることができなかった。
立った姿勢のまま、すぐ頭の上にある水面に向かい僕は必死でフィンをこいだ。
水面に出ると、僕はすぐにレギュレータをはずした。
(今考えれば、パニックダイバーの典型である)

僕は一人ぽっちだった。
周りには、空と海の区別もつかない暗闇が広がっていた。
潜らなくちゃ、潜らなくちゃと思いながら、息はますます荒くなった。

ふと、今日はもう潜ることはできないのかもしれないと思った。
それほど、孤独と暗闇は恐ろしかった。
落ち着こうとするほど、心臓の動きと呼吸は激しくなった。
もう少しで、僕は船に上がるために船に向かって泳ぎ出すところだった。

その時突然、目の前にぽかりと人の頭が浮かんだ。
気づいたインストラクターが、様子を見に来たのだ。
”もう、潜れない”とぼくは言いかけた。
すると、インストラクターは
「ゆっくりでいいんですよ」
と、落ち着いた声で言った。

それを聞いたとたん、そうか、それでいいんだと僕は思った。
いいんだ、いいんだ、あわてなくていいんだ。
そう言い聞かせて、僕はゆっくりたくさん空気を吸った。
まだ、レギュレータははずしたままだった。
次にインストラクターが口を開き
「だいじょぶですか」
と言った時、僕はうんとうなずいた。
大丈夫だ、潜れる、と思った。

排気口の紐を引き、再びBCDのエアーを抜き、僕は水底に沈んでいった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
ライトを照らしているダイバーたちを見下ろしながら。
夜の海の中を。
そして、追いついた。
下には、足の踏み場もない一面の珊瑚が広がっていた。
まわりには、小さな白い卵がゆらゆらと数え切れないほど浮かんでいた。

(以上)
(1997年6月記)
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御蔵島にイルカぃ?1御蔵島到着

2010-10-18 19:29:22 | blog映画Diving
2010/10/18upわかる目次
御蔵島にイルカぃ?
1 御蔵島到着

念願のイルカウオッチングへ。

三宅島から小一時間の海上に位置する御蔵島は、
世界でも唯一野生のイルカが定住している島である。
温暖な黒潮に囲まれ、大好物のトビウオに恵まれたこの島では、
特に早朝、たくさんのイルカに出会える・・・・・・

土曜早朝、6時間あまりの航海を終えて船は三宅島に着いた。
島に港は二つあり、そのうちどっちについたのか僕にはわからない。

まあ、そんなことはどっちでもいいのだ。
なぜなら、僕たちはイルカを見に行ったのだから。

前夜の、かに玉ひとつで飲んだ3本のビールがまださめていない。
まだ時間は午前5時前なのだ。
ふらふらと毛布をたたみ気がつくと宿に着いていた。
おにぎり3個だけの朝メシを済ます。
と思ったら出発。
ウェットスーツを着て車に乗ったらまだ6時半前である。

まあ、仕方ない。
やっとイルカを見ることができるのだから。

港にはシンエイ丸(漁船です)が待っていた。
朝日が明るくなり始めた。

10人のダイバーを乗せていっぱいになったシンエイ丸は、波をけ立てて走り始める。
爽快だったのは最初の10分間だけだった。

揺れる揺れる。
波はかぶるワ、寒いワ、二日酔い気味だワで、あとの40分はひたすら苦痛に耐えつづけた。

まあ、そんなことはどっちでもいいのである。
何といっても野生のイルカが見られるのだから。
…トホホ。

疲れでうとうとし、はっと顔を上げると、目の前の視界いっぱいに丸い緑の島が見えていた。
世界でも唯一、野生のイルカが定住する島。
御蔵島(みくらじま)である。

朝日は、いよいよさんさんと輝いている。
雲ひとつない。
ふと気がつくと、ほかのメンバーは船縁から大きく体を乗り出している。
いよいよ始まるのだ。

確か1997年の10月18日(土)19日(日)
(今日と同じ日じゃん! 2010・10・18追記)

御蔵島にイルカぃ?
1御蔵島到着
2イルカ初対面
3イルカの声が
4周りはイルカでいっぱい
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御蔵島にイルカぃ?2イルカ初対面

2010-10-18 19:29:21 | blog映画Diving
2010/10/19upわかる目次
御蔵島にイルカぃ?
2 イルカ初対面

まだ午前7時過ぎだというのに、御蔵島の周りには何槽かの船が停泊していた。
どれも小さな漁船ばかりである。

(後で話を聞けば、船長同士の競争意識があるらしい。
あっちの船はイルカを見たけど、こっちはだめだった、というわけにはいかないのだ)

僕たちの船もすっかり目を覚まし、全員が海面を見ていた。
イルカはいるか!(すまぬ……)

島から100メートルほどの所を船はゆっくりと走った。
だが、船の上からイルカがどんな風に見えるものなのか、僕にはさっぱりわからなかった。

突然誰かが、いた、と叫んだ。
全員がそちらを見る。
だが、青い海面が波立つばかりである。
けれども、ようく目を凝らしてみるといました、いました。
イルカは背びれと背中をスルリスルリ見え隠れさせながら、
海面をすばらしいスピードですべっていた。

4、5頭いる。
船長が
「準備しろ!」

と叫ぶ。
船はイルカの進む方向に回り込む。
船はスピードを落とす。
船長が
「いけぇ!」

と怒鳴る。

船べりで待ち構えていた10人は、一斉に海に飛び込んだ。
顔面から飛び込んだので、顔が痛い。
ずれたマスクを直しながらフィンをめちゃくちゃに動かす。
イルカのいるはずの方向に進んでいく。

見えない。
水ばかりだ。
前ばかり見ていたが、底を見るとイルカの群れが僕と逆方向に進んでいるのが見えた。

息ができない。
シュノーケルをはずして、海面でゼーゼー息をついた。  
「イルカ見たら心臓がばくばくいっちゃって、息ができねーよー」
 
とぼくはやっと言った。
「おれもだよ」
と誰かが言った。
これが、野生のイルカを見た最初の瞬間だった。

確か1997年の10月18日(土)19日(日)
(あの頃は体力あったなぁ)

御蔵島にイルカぃ?
1御蔵島到着
2イルカ初対面
3イルカの声が
4周りはイルカでいっぱい
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御蔵島にイルカぃ?3・イルカの声が

2010-10-18 19:29:20 | blog映画Diving
2010/10/19upわかる目次
御蔵島にイルカぃ?
3 イルカの声が

イルカにそんなに興奮するとは思わなかった。
動いて心臓が苦しいのではなかった。
ただ、イルカの群れを見ただけで普通には息ができなくなったのだ。

ぼくたちは水槽のイルカを見ているのではなく、
イルカと同じ水の中でイルカと同じ水温と波のうねりを感じていた。
イルカの目にも、この水の青さは同じように映っているのだろうか。

船長が 
「もう、あがれ!」 
 
という。

船の上でぼくたちはまた次のイルカを探し始めた。
片足を船べりから外に投げ出したまま海面を見まわした。
誰かがスイスイ走る背びれを見つけると、指を差して、
いたいたとか、あっちあっちと言った。

船が回り込む。

船長が
「行け行けえ!」

と怒鳴る。
僕たちは飛び込む。
フィンをめちゃくちゃに動かす。

イルカが行ってしまうと船長が
「あがれ!」

と言う。
その繰り返しである。

4回も繰り返すと、始め大騒ぎしていたぼくたちは、もう口さえきけなくなった。
前夜の寝不足もあってぼくは気持ち悪くなってきた。

水に入れば必ずイルカが見えるというわけではない。
今そこにいたのに、飛び込んだとたん深く潜ってしまうこともあった。
ぼくから離れたところを通って、他の誰かは見たのにぼくは見ないことも、
その逆もあった。
イルカの声だけが聞こえて引き上げることも多かった。

確かに前方からはっきりとキューン、キューンというイルカの声が聞こえる。
そんなわけはないのだが、僕を呼んでいるような気がした。
だが、姿は見えない。
見えずに船に戻ると、疲れがどっと出た。

何回目かに何がどうなっても、もう泳げないと思った。
吐きそうだった。

1回休んだあと、もう1回だけ泳ごうと思った。
飛び込んだがフィンはあまり動かない。

イルカの見えた方向に進んでいくと、突然まっすぐ前方から2頭のイルカが現れた。
水面近くをぐんぐん進んでくる。
あっという間に目の前に来ると、2頭はぼくのすぐ右を通りすぎた。
もう少しで手が届きそうだった。

2頭のイルカは尾びれを上下にゆらしながら、筋肉を波打たせた。
イルカはぼくを見ていた。
くいっと首を傾け、ぼくの目をのぞきこんでいた。

丸いくちばしを少し振りながら”ナニシテンノォ”とイルカは言った。
いや、言うわけはなかった。
言うわけはないが、ぼくはその瞬間、確かにイルカとある感情が通うのを感じた。
その時始めてぼくは、イルカに会ったと思った。

イルカは見るものではなかった。
会うものだ。
”イルカに会った”その時からぼくはそう言うようになっていた。
だが、驚くことはまだあった。

確か1997年の10月18日(土)19日(日)

御蔵島にイルカぃ?
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御蔵島にイルカぃ?4周りはイルカでいっぱい

2010-10-18 19:29:19 | blog映画Diving
2010/10/20upわかる目次
御蔵島にイルカぃ?
4 周りはイルカでいっぱい

イルカの体は思いのほか大きい。
胴回りはおそらく両手を回しても届かないだろうし、
くちばしから尾までは、大人が両手を上に伸ばしたときよりも長い。

ぼくを振り返りながら通り過ぎたイルカは、行ってしまわず戻ってきて、ぼくの周りを回り始めた。
左から右から、イルカは横腹を見せ、ぼくの下をくぐり前を横切った。

確実に手が届くところにいて、ぼくが背びれにさわる瞬間にするりと1センチだけ体をかわした。
たまたまなのか、それともイルカにはわかるのだろうか。
人が背中にさわろうとするのが。

そこへ、別の群れがやってきた。
新しい3,4頭が加わってぼくの体の周りはイルカでいっぱいになった。

潜って下から見上げたかった。
でも、もうぼくにその体力は残っていなかった。

手を伸ばし、何か訳の分からないことをシュノーケルをくわえたまま叫び続けていた。
しばらくそうしてから、イルカは去った。

ぼくは追いかける力もなく、ふわふわと浮いたままその後ろ姿を見送った。
あまり言いたくはないが、涙が出そうだった。
なぜそんな気持ちになるのか、今でもよくわからない。


次の日も船は朝6時に出発した。

二日目の船は、昨日の船長の息子の船で大きく快適だった。
睡眠も十分で(信じられないことに、前夜ビールを飲んだのはぼくだけだった)
気が引けて、これも信じられないことに缶ビール1本しか飲まなかった。

何本飛び込んでも全く疲れなかった。
前日より波が高く、海面に浮かぶと体が大きく上下したが、それも楽しかった。
途中何本か休む人もいたが、ぼくはいつもそれを水面から見上げていた。

午後になっても快晴だった。
風は少し冷たかったが、空からも雲からも秋のにおいがした。
帰りの竹芝行きの船でぼくはデッキに出た。
そして何通かのはがきを書いた。

その最後にぼくは、こう書いてしめくくった。
「イルカは、今までぼくが見た中で、一番美しい動物でした」

(以上)

確か1997年の10月18日(土)19日(日)
(イルカと泳ぐなら若いうちですよ。急げ!)

御蔵島にイルカぃ?
1御蔵島到着
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3イルカの声が
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でも着任式で会おうねえ・*中学校廃校

2010-10-17 22:22:33 | blog映画Diving
2010/10/17up全ページ目次
でも着任式で会おうねえ・*中学校廃校


**です。23人の方に送信しています。

今日、*中学校がなくなった。
教育委員会が、3月末終了式の今日、形を作るための会を一コマ行なった。

**校長のことばが、すばらしかった。
ほんとうにすばらしかった。
過去、あれほど心を打つ、管理職のことばを聞いたことがない。
**校長は、この二年間、公式の場で涙を見せたことは一度もなかった。
だが、あと、30秒で終わるところで、
言葉が止まり、十数秒間息を整え、懐からハンカチを取り出した。

会場の、保護者、卒業生、教職員の拍手が、
**校長が席に戻って、座っても、強くとても強く鳴り続けた。
あんな拍手もめったに聞いたことはない。
しかも、管理職に対してである。

僕は来賓が帰った瞬間に校長室に行き、校長に握手を求め、
「管理職の、あのような、生徒と教職員の立場に立ち、
教職員の心に響く言葉は聞いたことがない」

と申し上げた。

「教育長の話」でも、
「校旗返還」が校長から教育長に行なわれたもったいぶった時間も、
司会の教育委員会の人は、拍手が起こるのを待った。

彼は、たっぷりと、間を取ったが、
誰一人、拍手どころか、物音一つ立てなかった。

不思議な瞬間だった。
ここにはあからさまに書けぬほど強い、無念ともう一つの感情が、会場全体を包んでいた。
そこには、中学一、二年生の14人の子どもたちがいた。
二週間前卒業したばかりの15歳の子どもたちもいた。
16人のうち14人もの卒業生が来てくれた。
その、子どもたちでさえ、おそらくその感情を理解しただろう。

無念。
委員会は
「充分に配慮した<統合>を行なう」

と言ったらしい。
四月初日の新聞発表で人事異動を皆さん、見てください。
激情がこみあげる。

なくすべき学校ではなかったのだ。
だれが、廃校を望んでいるのだ。
どこに、こんなにかわいらしく、教えられるのを喜ぶ生徒がいるのか訊きたい。

一、二年の生徒は全員、隣の中学校の生徒になる。
一年生の女子が、体育館の椅子に座る僕の肩たたきをしながら、言った。
「今日でお別れだねえ。でも、着任式で会おうねえ。」
わからなかった。今日は離任式、退任式だ。
着任式?

あぁ。
「・・・そうだね。着任式で会おうね。」
しかし、僕は別の中学に異動だ。
教育委員会の言動は、<統合>だから職員も隣りの中学に行くと受けとれるよう慎重に仕組まれていた。
彼女は知らない。

こんなことを言ってくれる、一年ぼうずが、どこかにいるのか、
俺は
訊きたい。

(2007年3月末メール配信文・ファイル整理中偶然見つけた)
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