
この「川中島合戦戦国絵巻」の主役は、地元甲斐国の名将武田信玄公なのでしょう。しかし、信玄公の写真は撮れませんでした。
そこで、ここでは準主役に甘んじている上杉謙信公の雄姿をトップに飾ってみました。


「献塩の儀」
塩がなくて困っていた武田に敵である上杉が、塩を贈ったという逸話に基づき行われた「献塩の儀」
上杉軍からは直江実綱公、武田軍からは真田幸隆公が登場し、塩の俵を積んだ荷車の受け渡しが行われました
これが、「敵に塩をおくる」という言葉になっていることは御存じのとおり


午前中は数えるほどしかいなかった見物客も、合戦のイベントが始まったころには、このようにいっぱいになっていました


祭り本陣(本部)そばで、糊衣姫殿と三傑+1との記念撮影をということで、みなさんカメラをスタッフの方に預け、糊衣姫殿達と並んで撮影していました。
私は、並んで一緒にというのは恥ずかしかったものですから、5人の方を撮らせていただくだけにしました・・・・ホントは特定のひとりを撮りたかっただけだろうって(当たり)


米沢藩鉄砲隊の火縄銃演武です
合戦が始まると、武田・上杉両軍に分かれて合戦にも参加です


合戦に先立ち武田信玄公による「三献の儀」(左)と、上杉謙信公の「武楴式」が行われましたが、「三献の儀」については、写真のようにメディアのカメラマンが囲んでしまい
見物席からは見えません。一体誰に見せているイベントでしょう? 20名前後のカメラマンだけのためにでしょうか? 見物席方向は空けて写真撮影をするとか見物客への配慮
ある方法があるでしょうに。また、「武楴式」にしてもしかり。見せるための儀式であるなら、イベントの小道具(大道具)の後ろでなく、見物席から見える場所に移動して
行ってもいいではないでしょうか? たまたま私のいた場所が見えない位置であったのかもしれませんが、多分、大半の人が見えない状態であったでしょう。


武田軍は、全軍を本隊と別隊とに二分し、妻女山にいる上杉軍を上下から挟み打討つ「啄木鳥(きつつき)戦法」に出たので、移動する別隊


「鶴翼の陣」で上杉軍の「車懸りの陣」に応戦する武田軍
* 写真と説明が一致しないかもしれませんが、あくまでそのつもりで見てください




合戦の場面を何枚かあげてみました
迫真の演技はプロの方で~す


馬に乗った上杉謙信公が武田軍の本陣に攻め入りました。信玄公は謙信公の太刀を軍配で受け止めたという逸話の再現です
予め軍配を立てて待っている(ありえない)信玄公の姿は少し見えましたが、謙信公の太刀を受け止める場面は残念ながら見えませんでした


信玄公に太刀を浴びせて逃げる謙信公と、謙信公を追う山本勘介


上杉軍、武田軍とも騎馬隊を繰り出してきました
昨年は4騎でしたが今年は6騎と増えました。でも増えた2騎は武田軍に。ここでも上杉軍は冷遇されています(笑)


(かなり省略してしまいましたが)合戦を終えて帰陣する武田軍


その笑顔は、「楽しかった」という表れでしょうか?
信玄公さんも大役を無事果たしてほっとした表情です (よ! 笛吹市市議会議長)


米沢藩鉄砲隊の皆さん、遠路はるばる応援ありがとうございました。主催者に成り代わり・・・
合戦の間中、陣太鼓を打ち続けてくれた皆さんも帰陣です


上杉軍の皆さんも楽しかったですよね
上杉軍ばかりが何度も走っていた(走らされた)ようですが・・・
両軍の皆さん無事帰陣しましたので、私も帰陣の途に・・・
楽しい一日でした
こうした合戦のイベントに参加したり見る方は、実際の戦国時代がどんなものであったのかや合戦に伴う悲惨な状況を少しでも勉強して知っているのか。
そうしたことも学ばず知らずに、楽しみだけで参加するのは如何がなものかと言ったようなことを述べている方もある。
確かに知るに越したことはないし、大切なことかもしれないが、楽しければよいではないか。楽しく思えるということは平和であることの証しでもあるのだから。
散策日:2013年(平成25年)4月21日(日)