
埼玉県坂戸市北峰に所在する「大河原氏館跡」を訪ねてみました。
大河原氏館は、武蔵七党のひとつ児玉党の流れをくむ浅羽城主・浅羽氏の一族で、源朝臣の奥州平定に随陣した
浅羽五郎行長の子大河原行家の居館とされるようです。
ただ、浅羽氏の子がこの地に移り住み在名を氏として名乗ったのであれば、通例からして現在の大字である「北
峰」名乗るの筋と考えられます。このことから、すでに大河原氏を名乗っていた者がこの地に移り住み、その場
所が小字名として「大河原」になったのではと推理することもできると考えている方もあるようです。
大河原氏と云うと私的にはどうしても現在の東秩父村御堂に移住し、在名の大河原郷を氏とした丹党大河原氏が
思い浮かんでしまいます。
その他にも大河原氏を称したものが県内外に存在するようですが、それらの関わりについては分りません。

この木が立ち並ぶところが館跡のようです。
道路の両側が微高地になっていますが、この道路(農道)は堀跡? どこまでが館域だったのでしょうか?

右側の土塁に囲まれた方形部分を館跡と捉えているようです

土塁

逆方向から見ています

館跡は小笹で覆われていますし、外から見るだけでしたので郭内の状況はよくわかりませんでした

櫓台跡のような高まりが見えます
道路(農道)以外の三方は住宅が建ち並ぶという状況に変っていましたので全体の形を把握するには至りません
でした。館跡と言われれば確かにそんな感じはしますが、それ以上の感想はありません。
散策日:平成30年(2018)4月12日(木)