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城 名:多賀谷氏館(たがやしやかた)
別 名:―
形 態:館
時 期:平安時代末期
築城主:多賀谷氏
城 主:多賀谷氏
遺 構::―
指 定:―
現 状:大福寺
所在地:埼玉県加須市内田ヶ谷(旧・騎西町)
多賀谷氏は道智氏の一族で武蔵七党のひとつ野与党に属し。武蔵国埼玉郡騎西荘多賀谷郷を本拠とした
建久元年(1190)源頼朝が上洛した際には、多加谷小三郎の名が残り多賀谷氏の初見とされる。寛正年間(1460~1466)頃に多賀
谷氏は常陸国下妻城へ移り、結城氏の家臣となった。大福寺は多賀谷氏の館跡の一部とされるが遺構はない。
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参道入口に設置されている大福寺の説明板 中に多賀谷氏に関する記述もあります
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赤い屋根で目立つ山門
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鐘楼
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大福寺板碑の説明板
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目的は板碑ではなかったので板碑群を写真に収めただけで個々については見ておりません
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武士の名が入った板碑もあるようですが、多賀谷氏との関係は不明のようです
「武士などの名を連ねた特殊な交名板碑」交名板碑とは初めて見聞しました(メモしておきましょう)
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本堂
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扁額 何と読むのか頑張ってみたのですが、自身の能力知識では無理でした(恥)
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館跡(大福寺)は参道を含めて周囲の田んぼより微高地となっています。湿地対策と権威の象徴でしょうか?
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このくらいの位置から見ると周囲の田んぼとの高さの差が如実です
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田んぼの中に浮かぶ大福寺 田んぼが緑一面に変ったときの遠景はまた格別でしょう
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大福寺の斜め後方に立派な長屋門を構えた大きな屋敷が・・・
散策日:平成30年(2018)4月17日(火)