四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

内藤氏陣屋(埼玉県久喜市)

2018年05月19日 | 100名城以外の城館跡


埼玉県久喜市菖蒲町下栢間(旧菖蒲町)にある「内藤氏陣屋跡」を訪ねて来ました。「栢間」=「かやま」地名の読みは難解
陣屋跡と言っても遺構はなく説明板が建っているだけです。内藤氏陣屋の跡地がこの栢間小学校の敷地になっています。
陣屋の歴史等についてはいつもの手抜きで説明板の写真アップで・・・
この小学校の校庭は広いですね。郊外にあるということもあるのでしょうが、以前、中学校もここにあったそうですから、そ
の分広いようです(先生から聞いた話しです)




内藤氏は、徳川家にとっては三河以来の旧臣で、徳川幕府の創建に大きく貢献した武将の一人であるのにこの石高は少ないの
ではないかと考える方が多いようです。
しかし、家康の伊賀越えに同行した酒井重勝や森川氏俊の2000石に比べれば伊賀越えに同行していない内藤氏は破格の扱いで
す。なお、同行者の中のひとりに内藤新五郎という名が見えますので、これが孫の内藤新五郎忠俊を指すのであれば孫が同行
していたことにはなりますが。




予定にはなかったのですが、説明板の中に内藤氏累代の墓石があると記されていた善宗寺に寄ってみました。




山門を入るとこの光景  まさに絵になっています




山門を入ってすぐの右手にある六地蔵尊




善宗寺の嘉永三年銘宝篋印塔及び宝塔記碑
最初これを目にしたとき、これが内藤氏累代の墓かと思ってしまいましたが、何か違うと思ったらやはり違いました。




何なのかはこの説明板にあります




ここにも六地蔵尊  実は最初に気付いたのはこちらで、山門を入ってすぐの所にあったのは後から気付いたのです




本堂




山号の扁額の文字は「國豊山」とあります

星紋のひとつである「九曜紋」ですが、調べてみたら内藤氏の家紋は「下り藤紋」ですし、善宗寺の宗派は浄土宗で宗紋は、
「 月影杏葉紋 」という紋のようですから、この九曜紋は当寺の寺紋でしょうか。




内藤家歴代の墓所  説明板




22基の宝篋印塔全部が入った写真を撮るのは難しい、かと言って1基づつ撮ってもしようがないので両側からと




反対側から




帰り際に本堂前から山門方向に撮ってみました




菖蒲城趾(菖蒲城趾あやめ園)に移築されている内藤氏陣屋の裏門(伝)

実は内藤氏陣屋跡を訪ねる11日前にたまたまこの前を通り、ちょっとだけ寄ってみたのですが工事中でした。
以前あった萩の垣根もなくなっており、見た目もだいぶ劣化していました。




裏門の移築の経緯が書かれた説明板  読める状態ではありませんね




そこで2009年6月に撮った写真を探し出してみました。これなら読めますね。

内容は陣屋跡の栢間小学校脇に建てられた説明板の内容と同じですが、移築の経緯について次のように記されています。

明治以降、陣屋は廃止解体されましたが、この門は当時名主であった三須家に移築され、今に伝わりました。
このほど三須昭氏のご厚意により、この門が町に寄贈されたことにより、城跡あやめ園に移築したものです。  
  平成十年三月     菖蒲町(久喜市)

散策日:平成30年(2018)4月26日(木) ※菖蒲城址については4月15日(日)