上里町帯刀に鎮座する菅原神社に寄ってみました。実は、同じ帯刀地内にある福昌寺を訪ねる過程において通りがかりましたので寄った次第でした。
初めからの予定なら寄ったではなく訪ねたとするのですが、変なこだわりがありまして菅原神社さん申し訳ありません(まあ、寄ったも訪ねたも同じことではあるのですが・・・)
合格祈願の幟がはためいていました。菅原神社の名の通り学問の神様菅原道真公が祀られています。同神社のHPには次の通り紹介されています。
御祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
武夷鳥神 (たけひなとりのかみ)
火雷神 (ほのいかづちのかみ)
由緒
平安時代、菅原道真公が九州は太宰府で望郷の思いかなわず没した延喜3年(903)2月25日、その御意を全国に広めるべく、陰陽博士(おんようはかせ)の紀友成は、
菅公の御影を背負い日本回国の旅に出発し、同年5月25日、当地へお立ち寄りになりました。村人たちは村の鎮守とすべく道真公の絵姿を乞い、村内の清浄な地を選び
小さな祠を建立し、併せて神代の神々より武夷鳥神(たけひなとりのかみ)、火雷神(ほのいかづちのかみ)をお祭りしたことが当社の創建と伝えられております。
以来、開運招福・一門繁栄を願う地方の名主の尊崇を集め、たびたび補修・寄進が行われ、村の鎮守社としてばかりでなく、学問の神様として往来する一般民衆にも広く信仰される神社となりました。
当社は往古より天満宮(天神さま)と称されておりました。明治5年に埼玉県児玉郡長幡村村社に列し、同33年には郷社に昇格、同34年社名が菅原神社と改称され、現在に至っております。
鳥居 社号「菅原神社」の扁額が掲げられています
鳥居の前にある社号標 旧社格の郷社の文字が残っています
鳥居をくぐったすぐ右手にある案内板には次のように由緒が記されています。
菅原神社 所在地 上里町帯刀235
菅原神社は縁起によると、治承年間(1177~1181)に伊藤祐親が改築したが、度重なる戦火に焼失し、
建武2年(1335)村民により再建されたと伝えられているので、かなり古い時代に創立されたものと思われる。
江戸時代に至り地頭伊藤刑部左衛門により修繕されたといわれている。
古くは天満宮と称されていたが、明治時代の始めに菅原神社と改称された。
祭神は、武夷鳥神、火雷神、菅原道真公である。
また、境内には、厳島神社、秋葉神社、稲荷神社、八坂神社、八幡皇太春日神社がまつられています。
昭和61年3月 埼玉県 上里町
参道はコンクリート舗装 拝殿の手前左にある建物は社務所
玉垣に掲げられている菅原神社御由緒 内容は他のものと変わりはないです(当然ですが)
拝殿前の左右には菅原神社らしく梅の木が この写真は左側のものです
拝殿 新築されてまだ10年未満のようです。
拝殿を横から
社号「菅原神社」の扁額
拝殿の右にある境内神社の稲荷神社・愛宕神社 拝殿と境内社の間の裏側に見えるのは古墳です
拝殿背面です 右下の小高い部分は古墳です
予定外の菅原神社参拝でしたが、これを機に学問に励みましょうか 何を学ぶかはこれから考えます・・・学ばずに終えそう
散策日:2016(平成28)年12月19日(月)