ワシはマジメな話が苦手というわけではない。
マジメを続けるのが苦手なのだ。
何事も続ける根性が少ないのだ。
だから途中で文章がグレるのは、ワシが素直な証拠だ。
「素直は・・・モノにならない・・・」
(これも深い言葉なのに、世間的にはウケない・・・)
マザーテレサのよく使う言葉で
「プア イズ ビューティフル」というのある。
この人達が使う言葉は、意味が幾重にもある。
受け取る人の段階で、それぞれ必要な意味を引き出せる。
言葉は一つでも意味は多重構造になってしまう。
意識して使ったのではなく、深い観方から素直に言うからだ。
「素直は(モノにならなくても)深い・・・」
実際にインドでチョー貧しい人々と係わる。
マザー達の仕事(ライフワーク・生き方)だ。
そこでの実感なのだろう。
「貧しい人は、とても美しく素敵だ」
(貧しいとは、金銭的な貧しさだけじゃないぜ)
金持ちの笑顔より、貧しい人は「いい笑顔」をする。
(一般的にであり、もちろん個々で違いはある)
「いい笑顔」の環境で働きたい(生きたい)。
だから貧しい人々との係わりは幸せでもある。
貧しい人が幸せを感じる事が少なくても、
深く、素直な幸せになる事は多い。
「幸福感」と「幸福」の違いがここにある。
「幸福」が解らない我々は、
替わりに「幸福感」を求めてしまう。
「苦しみ」と引き換えに「幸福感」を得る。
「幸福感」として「持つモノ」を求める。
「幸福感」は続かないから、次を求める。
赤い靴が得られたら、青い靴が欲しい。
同じく「幸福」が解らないまま、
「幸福感」も得る事ができない持たざる人々は、
やはり多くの「苦しみ」を受けてしまう。
だが、持たざる故に、持てない故に、
「幸福」を直接つかんでしまう事がある。
「幸福」は深く人を変えるから、
一瞬でも・・・永遠になる。
なんてこの世はヒネクレているのだろう。
「持たざる者は幸いだ」
キリちゃんの言葉もシンプルだから深い。
観念論でなく、単なる事実だから深い。
深いけど・・・
事実だけど・・・
「幸福」も「幸福感」もあっていい。
このほうが素直だと思うけどなぁ・・・。
「素直には段階があるようだなぁ・・・」
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」