もうアキタ、次は青森、北海道。
(おぉ、季語も森や海も入ってリッパな句だ!)
もう終わりにしよう、と言ったのに、
また手をつけてしまった・・・。
ワシの決心、薄氷。
ワシの理性、砂の塔。
(デジタルとアナログの話だ。
オトコとオナゴのゴタゴタ話じゃないぞ)
なんだかなぁ・・・言い足りない。
口から出任せで書いている雑記だ。
ポロっとこぼれたテーマだからこそ、
「何のために生きているのか?」
こういう大げさなテーマで締めくくりたい。
ハッタリは龍頭蛇尾ではツマラナイ。
蛇頭龍尾で、余韻を残すから味がある。
ということで、もう一回書かせてくれぇ。
人生はアナログだ。
いろいろな連続を引きずっている。
「生きる」ってそういう事だ。
割り切れないから、人生だ。
その経験、その出来事、その過去。
この一つ一つはデジタルのカケラだ。
デジタルは「愛」
とても大切で消えないモノ。
「アナログで生き、デジタルを残す」
(水上陽平独善辞典に入れよう♪)
仕組み(理・神)側からの視点ならば、
何のために愚かな人間が生きているかというと、
神(デジタル)に近づく為かもしれない。
デジタルのカケラは神の一部になるから・・・。
人間側としては、そんな事は意識してないけどね。
(タマに意識する人もいるみたい・・・。
でもこの世はヒネクレているからなぁ・・・
リキんで目指すと逆方向に行ったりして・・・)
アナログな生き方でいい。
でも残した経験、体験、思いは、
デジタル(愛)のカケラとなる。
デジタルに終わりはない。
デジタルに大きさもない。
果てしなく膨らむ「愛」でもある。
どんな生き方(アナログ)も、
デジタルのカケラを創るんだなぁ・・・。
今回、いいかげんな出任せで書いたこのテーマは、
ワシ的には、とても大きな学びとなった。
「いいかげん」は、あなどれない、ぞ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」