ワシはかなり嘘を書く。
い、いや、ホントなんてホトンド無いかも・・・。
い、いや、真実が判断できないのだから、
実は、ホントも結構あるかもしれない・・・。
嘘は意識して書くから、罪は少ないだろう。
嘘と知りながら嘘をつくよりも、
知らないで嘘をつくほうが大罪だぜ。
騙される方はどちらが多いと思う?
無邪気な嘘は警戒しないから騙されるものだ。
しかも張本人も騙した事に気づかないから、
自身の良心の呵責も無い。
無責任なんだ。
だからエンマ様は、知らずの嘘を許さない!
善男善女や敬虔な信者が時々地獄に落ちるのは、
知らずの嘘による苦しみを他に与えたからなんだ。
正義の為の戦争なんて、知らずの嘘が多いんだ。
苦しむモノたちは、知らずの嘘の犠牲者だ。
知っての嘘は、許すと思うよ。
だって、神様も大偉人も嘘つきだよ。
幸福への道標は、嘘でないと伝わらない。
残された言葉を読み直してみればわかる。
受け取るのが愚かな人間だもの。
ヒネクレているんだもの。
ということで衝撃の告白の続き。
「心は曖昧(アナログ)ではありません!」
元々悩み(曖昧)なんて無いのでした。
一つ一つの事柄は独立して連続してません。
多種多様な出来事はアナログですが、
それを受け止める心はデジタルでした。
アナログをデジタルに置き換えていました。
でもねぇ・・・
わかりずらいでしょ。
心の仕組みがデジタルだと言っても。
昔から達人は言っていたけどねぇ。
「飯を食う時は飯を食いなされ」
「ウ○コの時はウ○コしなされ」
これが心のデジタルの仕組みを指摘した言葉だけど・・・。
禅や冥想で心を「観」すると、
単なる事実として「心に迷い無し」となる。
デジタルなんだから、当たり前なんだ。
じゃあ・・・迷ってばかりいるワシの心は何?
という疑問があるよね。
デジタルとアナログの履き違え。
心の感情は個立したカケラ(デジタル)なのに、
アナログの情が好きだから、なんだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」