「異との遭遇」には条件がある。
「縁」というヤツだ。
「縁」はネットワークの仕組みだ。
中継点(相手や出来事)を幾つか通り、
やがて「異」に出会う。
それらの中継点を受け入れる(面白がる)と、
普段なら出会えない相手や出来事に当たる。
わけがわからんモノと出会えたのだ。
さぁ、どうする?
ここが分岐点になる。
既成のモノなら安心かもしれないが、
生命力は穏やかな衰退に向かう。
だが、異のモノなら期待できる。
安全か危険かはどちらも同じだ。
既成は安心に思えるが、安全とは限らない。
既成だけだと不安は増していく。
いや、不安が増すのではない。
生命力があると「不安を気にしない」のだ。
生命力が衰退するから、不安が大きく感じる。
同じ場から動こうとしない事を「閉じこもり」という。
何も部屋だけが「閉じこもり」じゃないのだ。
同じ意識から動こうとしないのが「閉じこもり」だ。
今や、日本中のほとんどの人が「閉じこもり」傾向だ。
閉じこもりは・・・生命力を衰退させる。
不安を取り除く力が衰退する。
不安だらけの・・・国の意識。
人間は5分先の事さえわからない。
時間的未来が安全だと確信できる人間は無い。
誰でも、いつでも、不安が当たり前なんだ。
不安の道を歩くように創られている。
だから・・・不安がどうした?
不安は普遍にあるものだ。
問題は不安がある事じゃないだろう。
不安に「氣を取られる」事が問題だ。
問題には・・・答えが必ず用意されている。
解答用紙にはこう書こう。
「生命力の活性化」(98点!)
(何も100点取らなくてもいいだろ?)
答えを書いたら、実行だ。
実行には幾つも方法がある。
活性化には幾つも方法がある。
その一つが「異との遭遇」
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」