普段なら愛人Aが微笑む。
愛人Bも来る。愛人CもDも・・・。
本妻だって、何となくいる。
愛しい人達とはいえ、毎日はうっとうしい。
社会生活というのは煩わしいものなのだ。
ところが、ポカっと空く時間がある。
「孤独」の時がある。
人間やその他のモノや出来事と係わる時から、
「独」の世界に変わる。
「独」は尊い存在と二人きりの新婚空間だ。
「独」に気づいてしまったら
「孤独」が甘美な時間だと知る。
普段なら外側に使う「氣」を内側に配る。
尊い存在からの「優しさ」を十二分に感じる。
観えなかった自分を抱きしめる事ができる。
愛人達や本妻を抱きしめるのは生活の営みだ。
心はこもっているが、ある意味、義務のようなものだ。
人と人は支え合って生きている。
人と人は抱きしめ合って生きられる。
愛しい人達と生きるのは幸せなことだ。
ところが「孤独」には次元の違う「幸せ」がある。
社会生活の幸せではなく、絶対幸福の世界だ。
人と人ではなく
自分と、とてつもなく大きな自分。
「孤独」は寂しがる世界じゃない。
絶対安心の安らげる世界だ。
人は人の中で生きている時間と
「孤独」で過ごす時間がある。
その両方が、とても素敵で貴重な時間だ。
それぞれは、質の違った幸せに満ちている。
どちらの時間を過ごせても奇跡なんだなぁ。
「独」は一人ではない事に気づく言葉。
どんな状況になっても、一人ではないと知る言葉。
自分には、もう一つの大きな自分が常に一緒にいる。
何をしても、包んでくれる存在がいる。
この世に生まれて、生きているというのは
とても
ラッキーだと思う。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」