ワシは特に美しくなくてもいい。
充分綺麗だし・・・
(本気にしないで下さいね・・・アホの言うことだから)
多少・・・幸せを削ってもいい。
「幸福感」が虚しいモノでもいい。
ワシは虚しいモノも結構好きなのだ。
持てるだけ持ちたいとは思わないが、
たまには持ってみたい。
その、虚しいモノを味わってみたい。
プア イズ ビューティフル は
きっとその通りだと思う。
でも、リッチの虚しさも捨てがたい・・・。
精神世界では「心の豊かさ」を競うところがある。
競う(自他どちらでも)自体が貧しさなのだが、
精進しちゃうんだなぁ・・・。
マジメだから、マジメは心が貧しいから、
「心の豊かさ」「魂の大きさ」を持とうとするんだなぁ。
ワシも貧しかった・・・今も立派に(?)貧しい・・・
持たない・持てないを「俗欲」に限定する。
「豊かな心」は持っていいんだ、と納得させる。
「立派な心」も持っていいんだ、とうなずく。
「正義な志」は持つべきだと、思ってしまう。
「優しい心」を持つ事に異論はないだろう・・・。
どうも都合のいいことは理屈になるなぁ・・・。
「持たざる者」に限定があるのだろうか?
この言葉の深さに気づいたのは、この疑問からだった。
深い言葉は素直に受け取るものだと知っている。
ならば「何もかも持たない・持てない者」だろう。
心の豊かさや魂の大きさも、持たない・持てない者達。
それは・・・誰にでも当てはまるかもしれない、と思った。
人間って・・・かなり貧乏かもしれない。
「持たざる者が幸せ」
「持たざる者も幸せ」
ワシはどちらか判らなくなっていた。
ワシの小さな脳ミソと小さな心と小さな魂は、
判らなくなり続けることに耐えられない。
で・・・ヤケになる。
どっちでもいい。
どうせ何かを持とうとする。
物質でも満足でも精神的なモノでも。
そして、思うように持てない場合が大半だ。
それでも、大丈夫だぁ。
「幸福」は「持つモノ」の対象ではないようだ。
持とうが持つまいが、どっちでもいい。
いずれにしても貧乏な人間(心・魂のことだよ)だ。
皆、美しい・・・かもしれない。
(そ、そうは思えない?
ま、まぁ・・・思えないこともあるけど、
深い言葉は、いろいろあるのだよ・・・)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」