ワシは十代の終わりに「精神世界」に触れた。
とてもアヤシイ世界だ。
今は「アヤシイ」と「当たり前」が多少は区別つくが、
自分が無知だと気づく前は区別が出来ない。
この世の仕組みはヒネクレている。
自分が無知・アホだと知ったら、少しは目が見える。
そういう世界に行き来していると「奇」と遭遇する。
ワシは母方の祖母の影響で免疫力があったのが幸いした。
祖母は特殊な能力を自然体で使っていたのだと思う。
それでも、スゴイ事を体験した、と勘違いしがちだ。
神秘体験なんて言葉で包むとアブナイ・・・。
(そんなのに惹かれて狂団に入る人達がいたなぁ・・・)
後年、この道に入るキッカケとなった生駒山。
故御師匠様の毎日、毎回の「奇跡」を見ていたら、
「奇跡は日常」と思えるようになった。
こちらは「奇」でなく「当たり前」だった。
奇跡と見えたのは、
ワシが「無知」であり「未知」だったからだ。
龍村師匠と初めて言葉を交わしたのも、ある出来事だった。
詳しい話は書かないが、朝のとてもありえない体験だった。
龍村師匠はニコニコと笑い、
「まぁ、そういうこともあるわなぁ」と言った。
あまりに軽く、肩透かしをくったような気がした。
その真意が理解できるのは、更に後年だ。
龍村道場に通って、いろいろな学びをした。
当然、龍村師匠も奇体験をしている。
龍村師匠の師匠、故沖先生に「あれは何でしょう?」と尋ねた。
「そういう事に惑わされない心が大切だ!」
故沖先生の奇体験は更に多かったろうが、
何が大切かを見失う事はなかった。
精神世界は落とし穴のワナがある。
試験のようなものだが、落ちると本当に「落ちる」
現状維持にならないのだ。
手は二つ。試験を放棄するか、クリアするかだ。
解答はいつも同じ「とらわれない・惑わされない」
答えはシンプルでも実行は難しいぞ。
特殊な体験と感覚だから心を奪われやすい。
「奇との遭遇」には
「まぁ、そういうこともあるわなぁ・・・ハハハ」
ワシも、今ならそれだけだ。
あれこれ、氣を向けない意味がわかるからだ。
今回のテーマは「奇」ではなく「異」だ。
師匠達のお陰で「奇」と「異」の違いは判る。
昔「未知との遭遇」という映画があった。
宇宙人を登場させていたが、意識の「未知」を描いた。
「未知」との対応法を描いた作品だと思う。
人が「未知」に出会った時、どう行動するか?
それによって「未来(明日)」が開ける・・・かも。
宮崎駿監督のアニメの多くは、この部分が底辺にある。
主人公達は「未知」や「異」を素直に受け入れる。
「異との遭遇」を、日常へ溶け込ました。
トトロと友達になり、カオナシに優しくし、
オームを守り、カルシファーとも仲良くする。
「異との遭遇」で主人公達の「生命力」はどうなった?
心の「やわらぎ」がどんな力を生むか、
あの作品は教えてくれている。
激しさではなく、力強さでもない。
生命の活性化は「やわらかさ」が引き出すようだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」