午前、議会だより編集員会。先の編集委員会で、国旗・日の丸掲揚の反対、賛成討論の掲載内容について、反対討論をした6人の多様な主張が反映されていないと感じ、会派にもちかえっての見直しを申し出ていました。基本的な事務局事務作業を事務局に頼っていますが、それを変更したからといって、事務局の労苦を尊重しないわけではありません。
賛成討論をしたのは民主党の平井議員ひとり(会派で代表したと思われる)、反対討論をしたのは戸田、平野、外村、河野、富永、高山の6名(思想信条にかかわる案件なのでそれぞれが発言)。公明党と自民党はこの議案の提案議員で討論をする立場にはありません。1名:6名、これを同量のスペースで掲載するのが議会編集委員会における「公平」。6人全員の発言を掲載するのも不公平とみなされます(そんなんズルい、という発言あり)。事務局職員の苦労のほどがわかります(若い職員が編集事務を担当。信頼性の高いサポートをしてくれています)。
「事務局の公平性と作業の重さを尊重すべき」などを理由に、国旗掲揚に賛成した側の編集委員が変更に難色を示す中(あれこれとあらゆる理由で!)、会派にもちかえっての検討(編集委員は会派から一人、会派に所属しない議員は発言の権利がない)を粘り強く交渉し、翌日、平野、外村議員にそれぞれ事情と戸田の主張を説明し、一任してもらいました。
戸田の発言部分を一部削除し、その内容にもっとも近いと思われる外村議員の発言を未校正会議録から抜粋。3行に収めました。これで最低限の公平性が保たれると考えたからです。しかし、共産党の変更については、さまざまな意見が交差。会議録に載らない言葉を用いて要約することを認めないという強い主張により(主旨が同じならば問題ないと思うが断固としてこれを譲らない委員が存在する)、「要約」のあり方でいつものように混乱しました。12時いっぱいまで費やしました。
午後からの議会改革特別委員会の第一部会。会派制と議会運営について意見交換しました。前回の意見交換を通して、会派の存在そのものは否定しないという前提が定まっていたので、今日のテーマは「一人会派を認めるかどうか」でした。部会は「調査研究」のために自由な議論を交わすという位置づけです。わたしは「政策集団である『会派』が『議会運営のベース』となるべきかどうか」を頭において、これまでの経験と学習から意見を述べました。おおむね次のような内容です。
政治理念や政策を共有しているという「名目」が、議案の賛否は「できるだけ会派でまとめる(=拘束となりえる)」ということになり、その結果、住民から、賛否に至る議論の経過がみえにくくなってしまっている。会派内での議論、調整がいわゆる「水面下」で行われているからである。この「わかりにくさ」が議会のダイナミズムを削ぎ、住民に「議会や議員は何をしているのか見えない」と指摘される一因になっていると感じている。
また、政党を基盤としていない会派(=島本町では、戸田の所属する「人びとの新しい歩み」のみ)は、会派を構成する議員と政治理念や政策をすべて共有できるかというと、必ずしもそうではない。議員が独立した存在である限り、本来それは当然のことであるが、このことは住民から理解されにくいことが多い。これを正していくのが議会改革の役目のひとつと考えている。一人会派は、当然認められるべきと考える。
また、住民に最も身近な地方議会である市町村議会は、地域全てが一つの選挙区であり、候補者個人が選ばれているという側面が極めて強い。一人ひとりの議員が自らの信念、当選した背景、選挙で掲げた政策によって発言し、態度を示していくことこそが重要。このことなくして、住民の信頼は得られない。議員個人を拘束する会派が、それを妨げてしまっている面が少なからずある。
政策決定に至る過程の議論、賛否それぞれの主張(ここにその政策のメリット、デメリットが述べられていることを軽視してはいけない)の透明化。これが議会改革の本丸であるといえる。運営上、会派の存在は否定しないが、一人会派は認めるべきと考える。以上。
議員が自らの思いに従って発言し態度を示せる環境をつくることは、住民主体の政治をめざすうえで極めて重要です。現在、議員定数は16人、会派を介さないでも運営は可能と考えますが、今の島本町でこれを実現するのは現実的には無理でしょう(寄らば大樹、自分で考えるより同調、寄らしむべき知らしめるべからず、そういう傾向が非常に強い)。「一人会派」とは実に妙な言葉(国語的には×)ですが、つまりは、ひとりひとりの議員が独立して活動しているということで、本来これが当たり前なのです。
「会派」という限り「一人」はおかしい、申し送りで二人以上と定められいる以上特例扱いすると明記すべきなどの意見がありましたが、現状を打破することこそが改革ではないのか!という会派に属さない外村議員の言葉が本質をついています。今回、部会長と事務局の努力により、事前に北摂自治体の現況調査資料が提出されましたが(藤原部会長ならでは)、府内の他の町では既に多くが会派の定義を「一人以上」としています。つまり島本町は遅れているということです。
画像は、山の瀬橋周辺の桜(13日撮影)
今年こそと思っていた花見
今年もやっぱり実現しませんでした
来年の今頃は選挙です
賛成討論をしたのは民主党の平井議員ひとり(会派で代表したと思われる)、反対討論をしたのは戸田、平野、外村、河野、富永、高山の6名(思想信条にかかわる案件なのでそれぞれが発言)。公明党と自民党はこの議案の提案議員で討論をする立場にはありません。1名:6名、これを同量のスペースで掲載するのが議会編集委員会における「公平」。6人全員の発言を掲載するのも不公平とみなされます(そんなんズルい、という発言あり)。事務局職員の苦労のほどがわかります(若い職員が編集事務を担当。信頼性の高いサポートをしてくれています)。
「事務局の公平性と作業の重さを尊重すべき」などを理由に、国旗掲揚に賛成した側の編集委員が変更に難色を示す中(あれこれとあらゆる理由で!)、会派にもちかえっての検討(編集委員は会派から一人、会派に所属しない議員は発言の権利がない)を粘り強く交渉し、翌日、平野、外村議員にそれぞれ事情と戸田の主張を説明し、一任してもらいました。
戸田の発言部分を一部削除し、その内容にもっとも近いと思われる外村議員の発言を未校正会議録から抜粋。3行に収めました。これで最低限の公平性が保たれると考えたからです。しかし、共産党の変更については、さまざまな意見が交差。会議録に載らない言葉を用いて要約することを認めないという強い主張により(主旨が同じならば問題ないと思うが断固としてこれを譲らない委員が存在する)、「要約」のあり方でいつものように混乱しました。12時いっぱいまで費やしました。
午後からの議会改革特別委員会の第一部会。会派制と議会運営について意見交換しました。前回の意見交換を通して、会派の存在そのものは否定しないという前提が定まっていたので、今日のテーマは「一人会派を認めるかどうか」でした。部会は「調査研究」のために自由な議論を交わすという位置づけです。わたしは「政策集団である『会派』が『議会運営のベース』となるべきかどうか」を頭において、これまでの経験と学習から意見を述べました。おおむね次のような内容です。
政治理念や政策を共有しているという「名目」が、議案の賛否は「できるだけ会派でまとめる(=拘束となりえる)」ということになり、その結果、住民から、賛否に至る議論の経過がみえにくくなってしまっている。会派内での議論、調整がいわゆる「水面下」で行われているからである。この「わかりにくさ」が議会のダイナミズムを削ぎ、住民に「議会や議員は何をしているのか見えない」と指摘される一因になっていると感じている。
また、政党を基盤としていない会派(=島本町では、戸田の所属する「人びとの新しい歩み」のみ)は、会派を構成する議員と政治理念や政策をすべて共有できるかというと、必ずしもそうではない。議員が独立した存在である限り、本来それは当然のことであるが、このことは住民から理解されにくいことが多い。これを正していくのが議会改革の役目のひとつと考えている。一人会派は、当然認められるべきと考える。
また、住民に最も身近な地方議会である市町村議会は、地域全てが一つの選挙区であり、候補者個人が選ばれているという側面が極めて強い。一人ひとりの議員が自らの信念、当選した背景、選挙で掲げた政策によって発言し、態度を示していくことこそが重要。このことなくして、住民の信頼は得られない。議員個人を拘束する会派が、それを妨げてしまっている面が少なからずある。
政策決定に至る過程の議論、賛否それぞれの主張(ここにその政策のメリット、デメリットが述べられていることを軽視してはいけない)の透明化。これが議会改革の本丸であるといえる。運営上、会派の存在は否定しないが、一人会派は認めるべきと考える。以上。
議員が自らの思いに従って発言し態度を示せる環境をつくることは、住民主体の政治をめざすうえで極めて重要です。現在、議員定数は16人、会派を介さないでも運営は可能と考えますが、今の島本町でこれを実現するのは現実的には無理でしょう(寄らば大樹、自分で考えるより同調、寄らしむべき知らしめるべからず、そういう傾向が非常に強い)。「一人会派」とは実に妙な言葉(国語的には×)ですが、つまりは、ひとりひとりの議員が独立して活動しているということで、本来これが当たり前なのです。
「会派」という限り「一人」はおかしい、申し送りで二人以上と定められいる以上特例扱いすると明記すべきなどの意見がありましたが、現状を打破することこそが改革ではないのか!という会派に属さない外村議員の言葉が本質をついています。今回、部会長と事務局の努力により、事前に北摂自治体の現況調査資料が提出されましたが(藤原部会長ならでは)、府内の他の町では既に多くが会派の定義を「一人以上」としています。つまり島本町は遅れているということです。
画像は、山の瀬橋周辺の桜(13日撮影)
今年こそと思っていた花見
今年もやっぱり実現しませんでした
来年の今頃は選挙です