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ごみ問題学習会島本プロジェクトのメンバーで行った「~市民と一緒に検討しました~し尿処理課題についての検討報告会」。本降りの雨にもかかわらず、10名近くの方が参加してくださいました。
前半1時間を報告会とし、後半は6人のメンバーを含めて、参加者全員で意見交換しました。報告の内容を次に示します。また。これらは現在、検討報告として文書にまとめ、編集作業を進めているところです。
1.島本町のし尿処理の現状と課題
これまでの経過
生活排水処理について
し尿処理施設(島本町衛生化学処理場)の概要
処理の仕組み
現施設の問題点
し尿処理施設に関わる経費
新しい方式の仕組み
2. し尿処理施設の調査に基づく5つの提案
調査した施設
①高槻市唐崎クリーンセンター
②乙訓環境衛生組合 クリーンプラザおとくに
③城南衛生管理組合 クリーンピア沢
3.新たな中間処理施設(希釈後放流方式)や広域化の比較検討
今日の報告会のタイトルには「市民とともに検証しました!」とあるのですが、住民からの参加がなければ、報告内容はここまで熟成したものにはならなかったと思います。このことは、アドバイスをお願いしている学識経験者の先生がわかりすく講評(理由を解説しての批評)してくださいました。
それは「経済・財政」「技術」の視点から「し尿処理問題」をみる視点が多くの議員に欠けているということ。たったふたりの住民参加が、これを補うどころか見事な「市民力」で活動を支え、導いたことを高く評価してくださいました。
専門家ではないので能力的に欠けているのは、ある意味やむをえないにしても、課題検証に欠かせない重要視点を抜きにしての議員活動などあってはならないのです。そこで市民参加が鍵となります。
市民が、自ら民間企業と自治体の運営には異なる視点が必要ということを理解し、就業により永年で培った知識と経験を活かして市民活動を育て、政治を育てる原動力となる。今回の報告会では、そのことが肌身にしみてわかりました。
わたしは、議員は市民の代弁者であってはならないと考えます。誤解を招く表現ですが、代弁するだけではだめという意味です。その先の一歩が「政治」であると・・・まだまだ微力ですが、住民のみなさんともに「市民力」「議員力」を養えるよう頑張ります。
自ら住んでいる町に「市民」としての関心を注ぎ、いままであまりにも無関心、任せきりだったのではないか、と、メンバーが今日、静かに発言しました。深く感動しました。「市民力」とはこういうものかと実感できた瞬間でした。既にある資料を精査するのに、なんの権力も必要としないことを、黙々と示してくれたメンバーです。
自分はあまりにも無関心であった、政治に背を向けていた責任があるのではないか。この感覚は、わたし自身が、かつて短い間ながら一票の権利をもたずに、幼子とに暮らした海外経験で得たものと共通しているはずです。議会のなかにいると忘れますが、見失うことはありません。
発露はひとりひとり違っていてよい。政治が暮らしそのものであることを気づいたら、それがはじめの一歩です。思えば、30年前、メゾン水無瀬で、澤嶋真紀子さんの活動をみていて学んだことです。つながっています。
画像は、5月の大原寂光院参道の新緑
前半1時間を報告会とし、後半は6人のメンバーを含めて、参加者全員で意見交換しました。報告の内容を次に示します。また。これらは現在、検討報告として文書にまとめ、編集作業を進めているところです。
1.島本町のし尿処理の現状と課題
これまでの経過
生活排水処理について
し尿処理施設(島本町衛生化学処理場)の概要
処理の仕組み
現施設の問題点
し尿処理施設に関わる経費
新しい方式の仕組み
2. し尿処理施設の調査に基づく5つの提案
調査した施設
①高槻市唐崎クリーンセンター
②乙訓環境衛生組合 クリーンプラザおとくに
③城南衛生管理組合 クリーンピア沢
3.新たな中間処理施設(希釈後放流方式)や広域化の比較検討
今日の報告会のタイトルには「市民とともに検証しました!」とあるのですが、住民からの参加がなければ、報告内容はここまで熟成したものにはならなかったと思います。このことは、アドバイスをお願いしている学識経験者の先生がわかりすく講評(理由を解説しての批評)してくださいました。
それは「経済・財政」「技術」の視点から「し尿処理問題」をみる視点が多くの議員に欠けているということ。たったふたりの住民参加が、これを補うどころか見事な「市民力」で活動を支え、導いたことを高く評価してくださいました。
専門家ではないので能力的に欠けているのは、ある意味やむをえないにしても、課題検証に欠かせない重要視点を抜きにしての議員活動などあってはならないのです。そこで市民参加が鍵となります。
市民が、自ら民間企業と自治体の運営には異なる視点が必要ということを理解し、就業により永年で培った知識と経験を活かして市民活動を育て、政治を育てる原動力となる。今回の報告会では、そのことが肌身にしみてわかりました。
わたしは、議員は市民の代弁者であってはならないと考えます。誤解を招く表現ですが、代弁するだけではだめという意味です。その先の一歩が「政治」であると・・・まだまだ微力ですが、住民のみなさんともに「市民力」「議員力」を養えるよう頑張ります。
自ら住んでいる町に「市民」としての関心を注ぎ、いままであまりにも無関心、任せきりだったのではないか、と、メンバーが今日、静かに発言しました。深く感動しました。「市民力」とはこういうものかと実感できた瞬間でした。既にある資料を精査するのに、なんの権力も必要としないことを、黙々と示してくれたメンバーです。
自分はあまりにも無関心であった、政治に背を向けていた責任があるのではないか。この感覚は、わたし自身が、かつて短い間ながら一票の権利をもたずに、幼子とに暮らした海外経験で得たものと共通しているはずです。議会のなかにいると忘れますが、見失うことはありません。
発露はひとりひとり違っていてよい。政治が暮らしそのものであることを気づいたら、それがはじめの一歩です。思えば、30年前、メゾン水無瀬で、澤嶋真紀子さんの活動をみていて学んだことです。つながっています。
画像は、5月の大原寂光院参道の新緑