この連休中に新潟の長岡に行ってきました、親父とともに。親父との二人旅は何年ぶりだろう?もしかして初めてかもしれない。親父と外出(遠出)するときには常に横におふくろがいた。おふくろが亡くなって7年、初めて親父と二人での外出となった。とある葬儀に出席するためである。車で片道3時間半、一泊二日の強行日程。
この歳になると色々な方の通夜や葬儀に出席することが多くなった。言葉は悪いが、どうにもいたたまれない葬式もあればどちらかというと満足感がある葬式もある。前者の場合は参列者としても何ともやりきれない。俘虜の事故、若くしての不運。今回はどちらかというと後者と感じた。病気との闘い、家族の献身的な看病、そして高齢。それらのことを通して家族もそれとなく感じていたこの結末。通夜、葬儀を通して喪主が言っていたのは家族の大切さであった。闘病生活を通して家族の絆がいっそう深くなったと何度も繰り返していた。その言葉を聴いて、自分も家族を大切にしないとと痛感した。
おふくろが亡くなった今、いづれ順番からいけば助手席で寝ている親父のその時を見取らねばならない。葬式を出したときに、いい葬式だったと周りのみんなから言われるようにしたい…。そのために自分にやれることは何だろう?今、何をやればいいのだろう?家族にしてやれることとは?ましてや順番が変わるようなことがあってはならない。そんなことを考えながらの帰りの3時間半はあっという間に過ぎた…。
この歳になると色々な方の通夜や葬儀に出席することが多くなった。言葉は悪いが、どうにもいたたまれない葬式もあればどちらかというと満足感がある葬式もある。前者の場合は参列者としても何ともやりきれない。俘虜の事故、若くしての不運。今回はどちらかというと後者と感じた。病気との闘い、家族の献身的な看病、そして高齢。それらのことを通して家族もそれとなく感じていたこの結末。通夜、葬儀を通して喪主が言っていたのは家族の大切さであった。闘病生活を通して家族の絆がいっそう深くなったと何度も繰り返していた。その言葉を聴いて、自分も家族を大切にしないとと痛感した。
おふくろが亡くなった今、いづれ順番からいけば助手席で寝ている親父のその時を見取らねばならない。葬式を出したときに、いい葬式だったと周りのみんなから言われるようにしたい…。そのために自分にやれることは何だろう?今、何をやればいいのだろう?家族にしてやれることとは?ましてや順番が変わるようなことがあってはならない。そんなことを考えながらの帰りの3時間半はあっという間に過ぎた…。