ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



雨のお蔭で、さるすべりの葉も真下へ。
ちょっと乾いたら集めて、庭の隅に積んでいるが、
このままも綺麗なので、夕方に掃こう。

なんちて、朝から出かけて帰りが夕方なのだ。

今朝は地震があった。一瞬めしっとあり、2~3分後に揺れた。
小まめな地震が、大難を小難に変えるとよいが、
あまり標高の低い位置に建物をたてるのは心配だ。

みな丘や高台の上に住み、低地に行くに連れて畑、
田んぼ、海浜公園とすればよい。
そして、津波の通り道には各所に森をつくっておく。

地震が起きても変わらない暮らしができる町づくりが
未来の世界だ。

水道が止まっても、どこにでも綺麗な川や井戸水が得られる。
電気やガスが切れても、薪や炭や自家発電で、キャンプのようにやりくれる。

レスキューがすぐに来られなくても、町内に助け合いの輪と
訓練が行き届いている。

溺れないように仰向けに浮いている練習は必須だ。

燃えても有害ガスを出さない建材が使われている。

崩れても隙間ができて、生き埋めになりにくい、コンクリートでない
進化した木造、紙、土や漆喰の建築。

周りには田畑や木の実があって、自給自足が成り立つ。

山津波を減らすため、地盤の弱い放置植林を、本来の
植生の樹種にもどしていく。

家族が離ればなれとなりにくいように、なるべく
自宅や自宅周辺が仕事場、勤務先となり得る
社会・経済システムにする。

人災ともいえる二次災害で苦労しないように、
因果の因を、一人一人が改めながら、新しい輪を築いていきたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




未明に目を覚ますと、結構な雨音が鳴っている。

昨日、風呂敷講座後に配る復習用のレジュメを作った。
新しい結びを発見したりでたまに更新している。
前回は昨年の9月だった。今回のは元々、防災をテーマにした講座用に
描き書いたものだが、基本は共通であるし、命に関わるものだから
テーマを問わず使うことにする。

A4の両面に、20種の結び方イラストを何とか詰め込んでいる。
そんなスペースの都合もあり、前回載せて今回外したものもあるが、
厳選されてると思う。

考えることと動くことって、別モードで行けちゃうから、
考え抜いたよさもあるけど、それで燃焼して、実際動いて
かたちにするのが遅々となることがある。

昨日は、考えないことを意識して、ポカンとした結果、
レジュメを含めいくつかのイラストを仕上げることができた。

体が言う
「おまいさんは自分の経験則にすぎない脳みそで考えてばかりだが、
 あたいら体は、遺伝子120億年の記憶をもってして、動きながら考えることもできる。
 任されよ」

私達の暁たるアミノ酸は宇宙から降下していて、
それは地球誕生以前より存在する。

呼吸や心拍のように、考えなくても自律・制御されることがある。
料理でもイラストでも、ちょっとしたウォーミングアップや
習慣化により、考えずともオートモードに没入することができ、
そういうときは時間感覚が薄く、いつの間にかできているもの。

今日はこれから雨が止むかは知らないけど、朝から都心に出、
夕方までには帰宅して持ち寄り会がある。

相変わらず移動時間が長いけど、元々目標やテーマを持たない
たちなので、道程も目的地も意味は変わらない。
あらゆるものに、あらゆるテーマが内在しているから、
自分事につなげて、好きな意味を持たせればよいのだ。

それは後づけでも間に合うし、意味を理解しないままでも
問題ない。

日々、物を丁寧に扱い、みんなのよろこび(無生物からも)で
体が満たされていれば、為すこと全てから、愛の種が蒔かれゆく。
そこから、想定外の美しき花がひらく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日の造形教室。次回で完成の予定。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




電車のりだが、寝台車は経験ない。
まだ指定席じゃなかったころ、
「ムーンライトながら」の通路に座り寝して、
隣合った韓国人女性2人と、カタコトの英語で話したっけ。

もっと無さそうなのが食堂車。今は駅弁ばかりだけど、
せっかくの旅ほど、非日常をたのしみたいもの。

かつての満洲鉄道、藍色の超特急あじあ号には
食堂車があり、なんと御給仕係はロシア人女性も。
白系ロシア人といって、確か皮膚の白さのことでなく
赤い共産党のソ連から亡命してきたロシア人のことだったかな。

もしかして、ロマノフ王室の血縁者とも限らない
姫どのが、食堂車で運んできてくれる料理は何であったか。

揚げ餃子、焼きピロシキ、マントウ、マスの香草蒸し
キムチの胡麻油炒め、きび団子…分からない。

まだ経験者は存命だろうから、調べれば分かるかも。

デザートは、コケモモのクレープ、アヒルの卵黄入りの月餅、ドライパーシモン。
勝手な空想。

今はもうメルヘンの彼方、黒テンの駆けた、王道文殊国。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日は友達と茶飲み話のために、藤沢へ。
ちゅっくらいの容器がなく、お水を1.5リットル持ち歩いてる。
あたたかな焼き芋もあるから、
迷子になっても心強い。

藤沢も茅ヶ崎に近いし、小田急線も使えるから
住むのによいかと思ったけど、それでも都心へのアクセスを
考えると、北鎌倉あたりで古いおうちを借りるか
買うかして、観光地でもあるから、風呂敷店を併設するのも
ありだな~。

そこで縫っていると絵になるから、手作りエプロンつけた人が
足踏みミシンでパッチワーク風呂敷を作っているのが
見えるとよいね。
住所が鎌倉市雪ノ下というのも風情がある。

20代の頃によく行っていた。
北鎌倉で降り、葉祥明美術館や建長寺ぶらぶらしながら
鶴岡八幡宮に着き、脇の小町通りを抜けて材木座海岸。

そこから浜沿いをてくてくして、稲村ヶ崎で野生のリス見ながら
休憩し、ふたたび歩いて江ノ島へ。
島ものこのこ上って…

よく歩く日々、背中にはいつも風呂敷があるから、
そのための背中の筋肉がついて、
斜めがけの左右を入れ替えるとしっくりしない。

ハタチまで軟弱だった僕のからだも、
風呂敷と下駄で別人に。
歩き方が変わり、クラス1足が遅かったのが、低空飛行の心地でぴうと走れるように。
学校で教わらない、裏の体育。

このごろ、木刀を振るってない。

もしどこかさ引っ越すなら、
1.都心へのアクセスがよい
2.近くによい学校がある
3.畑のできる庭
4.にわとりを飼える
5.木刀を振るえる
6.ぶらぶらしてて何かうれしい地域

そんな風が佳い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


Q  


なまずは冬を越せる体にするため、春に生まれて
冬までにはかなりの成長を遂げる。

しかし我が家のなまずは3匹中2匹がマイペースな成長で
まだ10cm代なので、寒さがつらいかもしれない。

そこで、緩衝材のプチプチで、容器にぐるりと巻き、
下には発泡スチロールの板を敷いた。
ちなみに、なまずは共食いするため、1匹ずつ分けている。

ミミズかヌマエビを餌にしている。

生き餌を獲りながらこの先ずっと飼うのは難しいので、
2匹は、春になってから捕った川に逃がすか、誰かに差し上げる予定。

発泡スチロールの下には、うさぎの食べ残し残し
干し草がわさわさと積まれている。

実はさらにその下に、大きなガマがえるが冬眠のために潜っているのだが、
脇にある大きい庭石がぐらぐらするのが心配で
揺すってみたら、蛙を押したのか
「キュー」という、珍しいガマ蛙の声が鳴った。

そこからいそいそと蛙が這い出てきたので、大丈夫だヨと
戻そうとしても、帰る氣はないらしく。
どんどん歩みて、庭のどこかへ消えてしまった。
悪いことをした。

残りのいちごを植えたりした。
げんきな苺がるんるんと実りたる姿をイメージして、
それに似合うような状態にととのえる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





ぱっしりきりりと引き締めると共に、
いざという時の道具となる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日野から、中央線の普通で、甲府の手前の石和温泉さ
向かっちょうので、なかなか長旅電車のどんぶらこ。

でも、駅に着いたらチャッチャと会場まで歩く。
そいでお昼いただいて、着物に着替えていざ出陣。
フーマ族、こたびは武田方に加勢。

戦国武将とか人氣あるけど、実際は生々しい、首獲り合う修羅の世界。

敵の首を持ち帰るのは、怨霊をおそれて、きちんと供養するため。

日本もかつては不安定な内乱状態だったのだ。

最後の内戦は西南戦争であるか。
国を思い、腐敗した明治新政府を建て直そうとした
義士たちも、大きな流れに飲まれ潰えたが、
その心は日本の空に息吹いているだろう。

故郷の浅草にも近い上野は、戊辰戦争で深い森が焼け野原と化した。
ここで、江戸時代に幅をきかせた
狐、狸、他様々の妖怪たちが消えたのか。

江戸の町は関東大震災で消失。
その名残を含んだ下町の長屋も東京大空襲という、

幼児赤ちゃんを含む下町の人たちみんなを焼き殺した犯罪に伴い、
跡形なく消えた。

この時焼き殺されたお年寄りの多くは、江戸時代生まれの人がた。

この、あまりにつらく悲しい時を乗り越えながら、
再び木造長屋を建て直すが、20年も経ぬうちに
モルタルやコンクリート住宅が増えてくる。

木は燃えるこわさがあるが、石は崩れると助からない。

日本は土建の国で、技術も高いけれど、表面は化学建材が
多いから、焼けたり生き埋めになる前に、
その煙を吸って倒れる。

化学建材は木や漆喰のように呼吸しないから、
結露してカビさせ腐らせるし、有害ガスが逃げずに溜まる。

様々な問題があるけれど、みなの思いの根っこには、
(我が子に限らず)子どもを守りたい本能があるから、
ひとつずつ、ひっそりと、よくなっていくのです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




明日は、山梨の石和温泉で風呂敷講座のため
朝早めに出かける予定だが、
今はまだ新宿(21:17)。この時間ともなれば
電車はぎゅうぎゅうでないなれど、
うちに着くのは22時過ぎか。

そこからご飯食べてお風呂入ったら、寝るのは0時くらい?
早起きして着物や風呂敷を準備するが、庭の掃除や水やりもしたいので
6時には起きよう。それだけ寝ればまずまずだが、
食べ方によって睡眠は延びる。

ともあれ、楽しい明日となるよう、丁寧に動こう。

急ぐからと、物を乱雑に、音を立てて扱えば、
結局自分が消耗する。

いらいらした時にドアをバシーン!と閉めて、
スカッとした氣になっても、
自分自身が傷ついて後腐れることになる。

物の置かれるべき所は、音をたてずに置いたところだ。

要するに、表面的にそれらしくやっつけても、どういう所作で
ものしたかにより、反作用として醸される、見えない微細な振動は変わる。
それこそが雰囲氣を決定する。

しかし、見てるようで、頭で記号化し、
本当に見ることなくたかをくくっとるきらいのある
人間にとっては、表面のパッケージングさえよろしければ、
中身が糞でも味噌でも構わなくなる。

おじいさんはおじいさんというラベル、女子高生には女子高生という
ラベルを貼り、そういうフィルタに閉じる。

だけど現実には1人1人全く違った経験を持ち、
赤ちゃんとして産まれた日があり、いずれ息を引き取るときが来る。

それを思えば、一人一人の今この瞬間は尊くて、
人を肩書きによる先入観でくくることが
いかに閉じているかに氣づく。

人生においても、ガンとか肥満とか、独身とか、バツイチなど
言葉の呪いにとらわれやすいが、
さようなるものは、自分の、ローカルなほんの一部分にすぎない。

そんな条件を元に、様々な選択を限定しちゃうのは、
いみじく、をこなることよ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日はいくつも、このブログに日記を更新できたが、
その理由は、ぎゅうぎゅう満員電車の中で、今は読む本も無く、
書くいとまがあったからだ。

昨日、母に電話すると書いたが直後にゃつながらず、
僕が寝る前に風呂に入ろうとしてる時に母からかかってきた。

それで久しぶりに色々話せてよかったが、家庭菜園やニワトリをすすめておいた。

実家にいるとき、屋上で畑して、鶏(チャボ)を飼っていた。

はじめはペットショップで鶏用の配合飼料を買っていた。
しかし餌は独特の臭いがする。

輸入のとうもろこしの粉に、魚の粉などが混ぜられている。
ものによっては、フェザーミールという鶏の羽を粉砕したものも。

粉状の餌なので、ハト豆と違い表面積が広く酸化しやすい。

それで、いつの間にか餌を買わなくなり、同時に飼っていた
十姉妹の餌の、ヒエ、アワ、キビの皮付きのものに
貝殻や卵の殻を混ぜて
与えるようになった。
菜っ葉も大事で、毎日小松菜を刻んでいたが、
ある日時間が無くてそのまま撒いたら、問題なく
ニワトリは葉っぱをついばみ飲み込んでいた。

掃除も、当初は毎日糞を取り除いていたが、
上野公園から、半分腐葉土と化した落ち葉を
どっさり持ってきて、鶏小屋の床に敷いたら、糞が分解されるのか
臭わず、さらに糞のある落ち葉に板を載せておくと、
やがてそこにミミズがふえて、よい餌になった。
そうして、掃除をする必要はなくなった。

10年ほどのニワトリのいる日々の中で、思い出が色々とある。

こんど鶏を飼うときは、餌は買わない。

残飯と野菜くずと雑草、ヌカやおから、そして植物の残さに湧く
ミミズ、なめくじ、団子虫で十分なのだ。
あるものを適当にあげておけば大丈夫。

次に飼うなら卵も大きく、名古屋コーチンはいかがと考えてたけど、
小さくてもエネルギーあればよいので、今度もやはりチャボにしようと。

雄は朝3時くらいから鳴くので、メンドリのみの予定ではあるけど、
もし雄も飼える環境となったとき、自ら卵を抱きあたためる種類は、
もはやチャボとウコッケイくらいだ。
他は品種改良により、抱卵しないようだ。

ウコッケイはだいたいみんな同じ色なので、チャボのほうが色や模様を
たのしめる。

卵を自給するだけでなく、子どもたちにニワトリと暮らす
経験をさせたい。

鶏は大昔に日本に来て以来、ずっと日本人と一緒にいた。
外国でももちろん一般的な家禽だ。

江戸時代くらいまでは、小屋という小屋はなく放し飼いで、
夜は縁の下で寝たり、日常的に庭木にも止まっていた。

肉や卵が目的というより、犬のように当たり前に家の
庭にいたのだろう。目覚ましにもなるかな。

現代の家には、庭自体がほとんど無いし、鶏を不潔として
嫌がる人間もあるだろう。

しかし、スーパーで売られている肉や卵の元の鶏が、
庭で数羽飼うよりよほど不衛生な環境にある。
ブロイラーは、1平方メートルに16羽近い割合で詰め込まれている。

満員電車と同じで、病氣になって当然だから、餌に抗生物質が入れられる。

自分の食べるものを自分で育むという、人の基本へ
立ち返りたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




久しぶりに、母にtelしよう。

うっとこの両親は、もう15年くらい前かな、に離婚し、
その後それぞれ再婚したが、

母は現在、愛媛県に住んでいる。
向こうに行って、50歳過ぎて車の免許を取り、
現在は高齢者のグループホームで働いている。

旦那さまは文章と編集の仕事をしている。読みやすく人を惹きこむ
名文を書くので、今度ご指導給わりたい。

母はピアノが得意で歌も好きなので、職場でもそれを生かせているようだ。

高齢者に寄り添い、体をよく動かすだろうから、
食いしん坊の母でもうまくやっておられるのだろう。

母のすごさは、素直で影響を受けやすいが、あっさり手放せて
固執せず、僕はよく
「お母さんの思想は、今読んでいる本によって変わる」
なんて評したものだ。

保険を解約して得た1000万円を、持ちアパートのリフォームに全額使い、
そのアパートも同額くらいで売却し、
そのお金で愛媛に家を買うが、また売却。

ですので、母の所持金は、1000万円かゼロかのどちらかなのだ。

僕も似てるなあ。あれば全部使うか誰かにあげるので、
無いときはほんっとにない。
20代には、キャッシュカード3枚の残高合計しても3ケタ
(千円代)という日もよくあった。

それでも借金はなく、プラマイゼロで奇跡的に導き守られてきた。
支払い当日に、以前の報酬が振り込まれて何とかなったり。

まだ現在だとしゃれにならないので、もうちょっと落ち着いたら、
どれだけお金を持ってなかったか伝説の手記を書きたいくらいだ。

でも、だからこその助け合いや工夫や人情もいっぱい経験した。
山本周五郎さんの小説の世界みたくあった。

不思議とたのしき思い出ばかりだ。
金はなくても時間はあって、
幼かった長男を自転車にのせて、一緒に歌いながら
色々と出かけたり、

庭いじりに浸りながら、カナヘビと見つめ合った
永遠の今がある。

学校教育で得られなかったものを、イチから取り戻したような
僕の20代。遠回りの人生のようでいて、
道を見失わないうちに、いちばんの近道を選んでいるのかも。
なにせ、せっかちではっきりしてる、江戸っ子だもんで。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




僕は普段、下はワークマンの作業着のズボンを履いていることが多い。
紺色が特に氣に入ってる。

そのズボンには、ベルトではなくひもを通している。
昨日までは、風呂敷を作って余ったリネンの生地を
縫った、平たいヒモだったが、最近、寿命でホロッと
していたので、何かに新調をと考えていた。

そんな折、昨日自転車の転倒防止に張った綿ロープは、
長めに買ったので余りがある。

2m80cmのロープを輪に結ぶと、1m30cm強の二重になる。
それをベルトループに通したら、腰ひもの要領で
2回からげてから逆向きに引き、余りは挟んでおく。

このロープベルトを、股上の丹田辺りで締めると、
何とも氣がひきしまり、内より力が湧く。

元々は、それが目的というより、イザてふ時に
ロープを使えるための携帯だが、
締め心地が予想以上にいけてたので、今後の継続へと決めた。

僕はさらに、腹部に風呂敷を折りたたんだ幅広の
ぽかぽかぽけっと(腹巻)を巻いているので、相乗効果で
おしゃ~とみなぎる。

学生時代から、同じような道ばかりくるくる歩いているけど、
同じ道にも新しい発見があるから、これからもきっと
変わらず、
下駄で、
帯して、
ふんどしで、
風呂敷しょって、
よく歩いて、
下向いて生きもの探し、
忍者走りとナンバ歩きで、
絵を描き、
ふろしき縫って
いきていくのだろう。

目指すところは美しき環境。
具体的には、安全におよげる、豊かな東京湾。

ひとりひとりの力は大きく、
足せば足し算以上に広がる。

時間をかけて素直な思いを語り合い、
持ち味を生かした協力を結び広げよう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




茅ヶ崎に住もうかな。

海すきだし。

都心まで1時間かからない。

今まで、都心へは新宿経由だったのが
横濱経由になる。
中華街もすき。

茅ヶ崎で、庭が広めで疎菜畑できて鶏も飼えそうなところを
探そう。

浅草から西へ→小平→多摩平→高幡不動ときて、
今度はそこから茅ヶ崎へ南下。

行く末は、丸を描くように東へ流れて、
いつか故郷の浅草に戻るのかもしれない。
でも畑したいから、浅草に住むなら千葉に畑を借りる?

まだ引っ越すか分からないけど、いつでも引っ越せるように
物を整理しておこう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日はお昼から出かけて、田町で用事の後、隣の品川で
夕方から歯医者(高輪クリニック)。

先日詰めたのを抜き、さるべき物に詰め変えるのでしょう。

あの頃の痛み、よく堪えていたなあ。もっとも、親知らずに関しては、
堪え難きをたえるうちに、神経が完全に虫歯菌に食われて
痛みが消え、さらに歯も根元からぱっきり折れて安定してしまった。
あの頃あたしゃ、若かった。

さて、近頃は糖質制限ブームで、ご飯を減らして肉を食べよう、という向きがある。
100歳以上の長寿者が、肉を好んで食べているという記事もあった。

だけど、これらご長寿の方々は、若いころからずっと
ふんだんに肉を食べてきたのだろうか。

以前聞いた別のインタビューでは、「肉が大好き!でも貧しくて、
たまにしか食べられなかった」という老人の声があった。

卵も高級品だった時代の人にとって、お肉は特別なご馳走
だったわけで、今になっては毎日食べていても、
幼少時から沢山肉を食べてこその長寿、とはいえないだろう。

むしろ、麦ご飯(分づき米に大麦入り)と味噌汁、漬け物に
海藻や貝類を中心とする和食が多かったと推測される。

自給自足の村が多く、過食できるほど余ってなくて、発酵食品も
多かったから、内臓と酵素を温存できて、現在の長寿へつながり、
今は好きな物を食べられる余生にあるのだろう。

米の価格は1俵1万円にまで下落し、国は日本の農業を見限っているようにも思える。
TPPが適用されれば、外国からさらに安い肉が入ってくるだろう。

しかし、市場原理の中、家畜は劣悪な環境で、物として生産され、
当然病氣で倒れるところを、抗生物質の餌で維持している。
いくら安いからといって、不健康で、命の尊厳なく作られた
肉を買い求めることは、我が身のためにも、世の中全体をよくする
ことにもならないだろう。

事大主義、事なかれ主義で、裏に隠された現実を知ることなく、
何でも感謝して食べればよいという題目だけで
流されていっては、心と体は濁っていく。

生命エネルギーという視点で、元氣に育ったいのちを頂くことで
自分もげんきになることを意識し、
流行りや情報ばかりに左右されず、
大自然のげんき、自分のげんき、みんなのげんきが
循環するような仕組みを思い、それにつながる食の選択と
なればよいですね。

糖質は生きるのに不可欠な燃料。それ自体が悪のわけがなく、
食べ過ぎと運動不足で残りご飯が体内で腐ったり、
病原菌の餌となるのが問題。金魚も餌をやりすぎれば水が腐る。

そして、過食や廃棄が減れば、農業自体も量より質を大切にしながら
経営が成り立つ。

これからこそ農業だろう。まずは家庭菜園や鶏からでも。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、玄関脇に駐輪している自転車の前座席(子ども用)に
3才のおてんばの長女が乗って遊んでいたのだろう、
どしんと自転車ごと倒れて、彼女は大泣き。腕を軽く擦った程度で済んだ。

妻の電動自転車で、重量もあるから危ない。

そこで、今日の中学校の風呂敷講座の帰りにホームセンターに寄った。

口を開閉できるフックのナスカンと、綿ロープを求める。

自転車が倒れないように、脇にロープを張っておくためだ。

ロープの片側は、柵に外れにくい「もやい結び」でくくり、
もう一方の先にはナスカンを付けて、柵にはめたカードリング
(英単語など覚えるためのカードを束ねるリング)
に、フックをかける。

これでOKと思いきや、ロープに万が一子どもが首を引っかけて
遊んだら、窒息してしまう。

そこで、自転車全体ではなく、カゴ部分だけロープで
留めて、余分な隙間が無くなるようにした。

だけどもう1点。
自転車が出かけているとき、残されたロープを
きちんと整えないと、それもまた遊んで首を絞めかねない。

その対策もして、何とか落ち着いた。
綿のロープにしたのは、何かで火がついたとしても
有毒ガスが出ないようにするため。

安全対策は、多方向の視点やシミュレーションが問われる。
安全のためにと行なったことが、新たな脅威を生むこともあるからだ。

つくづく感じたのは、人類の技術文化は子育てを通して進化してきたということ。

子どもを危険から守るために、あれこれこと細やかに工夫する。

技術には、攻守があり、
子育ては守る技を、狩りは攻める技を進化させた。

戦争はそのどちらも含んでいるが、攻める技術の威力、加害力が
限度を超え、大自然の手のひらの上でのささいな喧嘩と
仲直り、という規模では済まなくなり、憎悪と報復の連鎖を起こしている。

今はっきり思うのは、もはや攻めの技術は要らない。

追いかけて、騙して、奪いとる、狩りや殺しの技術がなくても、
人は温帯~熱帯を中心に、ドングリやフルーツ、稲作、
鶏の卵拾い、潮干狩り等、その地にあった無理のない農業や
その場で拾える恵みが自然と湧くポテンシャルにあるから、
そういう環境を保持する、守りの技術の進歩に徹すればよい。

そして、土地からの恵みに乏しい、寒い地域は、素材を加工する
工業に力を入れて、南と交流、交易すれば、持ちつ持たれつの
協力関係となる。

守るというのは、決して鎖国的に閉じこもることではない。
車が危ないから子どもを室内で遊ばせる、ではなくて
子どもが外でのびのび遊んでも危なくないように対策することだ。

川に近づかないのではなく、誤って川に落ちても
助かるような川の在り方、助け方、浮かび方を思い慮り
形にしていくことも守りである。

どこかへ攻めることをやめて、今いる所を生かし楽しんで
存続させる意識が、新しい時代を築きゆく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »