昨日はいくつも、このブログに日記を更新できたが、
その理由は、ぎゅうぎゅう満員電車の中で、今は読む本も無く、
書くいとまがあったからだ。
昨日、母に電話すると書いたが直後にゃつながらず、
僕が寝る前に風呂に入ろうとしてる時に母からかかってきた。
それで久しぶりに色々話せてよかったが、家庭菜園やニワトリをすすめておいた。
実家にいるとき、屋上で畑して、鶏(チャボ)を飼っていた。
はじめはペットショップで鶏用の配合飼料を買っていた。
しかし餌は独特の臭いがする。
輸入のとうもろこしの粉に、魚の粉などが混ぜられている。
ものによっては、フェザーミールという鶏の羽を粉砕したものも。
粉状の餌なので、ハト豆と違い表面積が広く酸化しやすい。
それで、いつの間にか餌を買わなくなり、同時に飼っていた
十姉妹の餌の、ヒエ、アワ、キビの皮付きのものに
貝殻や卵の殻を混ぜて
与えるようになった。
菜っ葉も大事で、毎日小松菜を刻んでいたが、
ある日時間が無くてそのまま撒いたら、問題なく
ニワトリは葉っぱをついばみ飲み込んでいた。
掃除も、当初は毎日糞を取り除いていたが、
上野公園から、半分腐葉土と化した落ち葉を
どっさり持ってきて、鶏小屋の床に敷いたら、糞が分解されるのか
臭わず、さらに糞のある落ち葉に板を載せておくと、
やがてそこにミミズがふえて、よい餌になった。
そうして、掃除をする必要はなくなった。
10年ほどのニワトリのいる日々の中で、思い出が色々とある。
こんど鶏を飼うときは、餌は買わない。
残飯と野菜くずと雑草、ヌカやおから、そして植物の残さに湧く
ミミズ、なめくじ、団子虫で十分なのだ。
あるものを適当にあげておけば大丈夫。
次に飼うなら卵も大きく、名古屋コーチンはいかがと考えてたけど、
小さくてもエネルギーあればよいので、今度もやはりチャボにしようと。
雄は朝3時くらいから鳴くので、メンドリのみの予定ではあるけど、
もし雄も飼える環境となったとき、自ら卵を抱きあたためる種類は、
もはやチャボとウコッケイくらいだ。
他は品種改良により、抱卵しないようだ。
ウコッケイはだいたいみんな同じ色なので、チャボのほうが色や模様を
たのしめる。
卵を自給するだけでなく、子どもたちにニワトリと暮らす
経験をさせたい。
鶏は大昔に日本に来て以来、ずっと日本人と一緒にいた。
外国でももちろん一般的な家禽だ。
江戸時代くらいまでは、小屋という小屋はなく放し飼いで、
夜は縁の下で寝たり、日常的に庭木にも止まっていた。
肉や卵が目的というより、犬のように当たり前に家の
庭にいたのだろう。目覚ましにもなるかな。
現代の家には、庭自体がほとんど無いし、鶏を不潔として
嫌がる人間もあるだろう。
しかし、スーパーで売られている肉や卵の元の鶏が、
庭で数羽飼うよりよほど不衛生な環境にある。
ブロイラーは、1平方メートルに16羽近い割合で詰め込まれている。
満員電車と同じで、病氣になって当然だから、餌に抗生物質が入れられる。
自分の食べるものを自分で育むという、人の基本へ
立ち返りたい。
| Trackback ( 0 )
|