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ヘイトスピーチ対策法施行 今後の課題は?

2016-06-26 | アイヌ民族関連
dot.- (更新 2016/6/26 11:30) by 編集部・古田真梨子

じわじわと追いつめられていったデモ隊は、最後は神奈川県警の説得に応じ、デモの中止を決めると、警察官に囲まれながら東急元住吉駅へと退散した。デモ行進は10メートルほどで終わった(5日午前、川崎市中原区) (c)朝日新聞社
 ヘイトスピーチ対策法が施行された。国として「差別を許さない」という姿勢が明確になった意義は大きいが、課題も残る。
 6月5日、川崎市。十数人のデモ隊員が、数百人の反対派(カウンター)の市民に取り囲まれた。デモ隊はプラカードや日の丸を手にしているが、掲げることはなく、下を向けたまま。表情はそろって硬い。ヘイトスピーチ対策法が施行されて初めて迎えた週末でもあり、カウンターからは、ひときわ大きな「帰れ! 帰れ!」コールが響く。「ヘイトは違法だ」などと書かれたプラカードの数は圧倒的だ。
●和解の希望見えた
 大混乱の中、同市でヘイトデモ反対の先頭に立ってきた在日コリアン3世の崔江以子さん(43)は、デモの主催者である男性に、手紙を手渡した。
「『私たち、出会い直しませんか。加害、被害のステージから共に降りませんか』と書きました。施行前には、受け取ってもらえなかった手紙です。対話による和解は無理だと絶望していましたが、希望に変わりました」
 崔さんはそう言って、安堵とうれしさ、差別を受けた悲しい記憶が入り交じったような深いため息をついた。
「ヘイトスピーチ」という言葉が知られるようになったのは、2012年ごろのことだ。13年には、新語・流行語大賞のトップ10入りし、その存在は看過できないものと認識されるようになる。政府の実態調査によると、ヘイトスピーチを行うデモは、12年4~12月は237件、13年は347件、14年は378件、15年1~9月は190件。計1152件、29都道府県にのぼる。
 国として、対策を──。高まる声を受けて成立した同法だが、課題は残る。今回のデモでは、川崎市が市の管理する公園の使用を不許可にしたほか、横浜地裁川崎支部が、崔さんが勤める社会福祉法人の半径500メートル以内でのデモを禁止する仮処分決定を出したが、神奈川県警はデモ隊の道路使用を許可。具体的な禁止規定や罰則がない「理念法」であるために、警察は直接取り締まることができないからだ。結果、デモ隊は道路を使うことができ、冒頭の大騒動となった。同県警関係者は、「デモ行進を警察が実力行使で止めると、賠償責任を問われてしまう。人体を傷つけるような明らかな暴力行為がない限り、警察はあくまでトラブル防止の『お願い』しかできないのが現状です」と、もどかしい思いを口にする。これまでも警察は、デモ隊ではなく、道路に座り込むカウンターを排除しなければならないことがあったが、今後も同様の事態が続く可能性があるという。
●慎重な条件設定を
 また、ヘイトスピーチの対象が「適法に居住する在日外国人とその子孫」と定められたことから、アイヌ民族や難民認定申請者などへの差別が許されると解釈される恐れも。海外のヘイトスピーチ規制に詳しい静岡大の小谷順子教授(憲法学)は、
「他国は、法律の中で禁止することを明言し、刑罰を設けるなど、人種差別の撲滅にきちんと向き合っている。一方、日本のヘイト対策法の条文には『人種』『民族』という言葉が一度も出てきません。表現の自由を規制しようという法律なのだから、人種差別を撤廃しようという国際的な流れを汲んだ上での、もっと慎重な条件設定が必要です」と指摘する。
 課題を抱えながらの船出。だが、同法の成立に奔走した民進党の有田芳生参院議員は、「今回の川崎のデモで、実効性は示されたと思います。明確な罰則はなくとも『法律違反』ではあるために、デモ隊に萎縮が見られましたし、反対派によって押し戻すこともできた。何より、ヘイトスピーチに中立の立場をとってきた国が、明確に『差別はダメだ』と言ったことの意味は大きい」
前出の崔さんも、「キラキラ輝く、宝物のような法律です」と話す。差別がなくなる日にむけた一歩が踏み出されたことは間違いない。(編集部・古田真梨子)
※AERA  2016年6月27日号
http://dot.asahi.com/aera/2016062300240.html

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ロシア極東 先住民族が伝統文化アピール

2016-06-26 | 先住民族関連
NHK-6月26日 9時25分

ロシア極東のサハリンで、先住民族の人たちが、エネルギー開発などが進んで、薄れつつある伝統文化を紹介し、保護をアピールするイベントを開きました。
サハリンでは、ニブヒ人やウイルタ人などの先住民族の人たちがおよそ4000人暮らしていますが、石油や天然ガスのエネルギー開発が進んで、生活に必要な漁や狩りをする場所が狭まるなど、伝統文化が薄れつつあります。
25日、先住民族の4つの部族が、自分たちの伝統文化の保護をアピールするイベントを共同で開き、サハリンの港町、ポロナイスクの海岸に、1000人以上が集まりました。
はじめに、来月1日に始まる沖合のサケマス漁を前に、民族の料理を海に供える神事を行い、安全と豊漁を祈願しました。
そして、民族衣装をまとって踊りや歌を披露したほか、竪穴式の住居をつくって、その外に保存用の魚を干すなど伝統の暮らしぶりを紹介しました。
また、若い男性たちがチームを組んで、漁や狩りの伝統にちなんで、弓で矢を放って的に当てたり、海でボートをこいだりして、技術を競いました。
参加したニブヒ人の女性は、「若い人たちに民族の伝統文化を知ってもらう取り組みを続けていくことがとても大事だと思います」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160626/k10010572251000.html

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沖縄独立はこのようにして可能だ

2016-06-26 | ウチナー・沖縄
dot.- (更新 2016/6/25 07:00) by 松島泰勝

松島泰勝(まつしま・やすかつ)
1963年沖縄県石垣市生まれ。龍谷大学経済学部教授。著書に『沖縄島嶼経済史』『琉球独立への経済学』他。2013年、琉球民族独立総合研究学会を設立 (c)朝日新聞社
 沖縄独立について、龍谷大学教授の松島泰勝さんがアエラ6月27日号にご寄稿くださった。特別に全文を公開する。
*  *  *
 昨年9月、翁長雄志知事は国連人権理事会において「沖縄の自己決定権が蔑ろにされている」と訴えた。国際法で保障された民族(人民)の自己決定権は、内的自己決定権(自治)と外的自己決定権(独立)に分かれる。民主主義的な手続きでどんなに基地撤廃を訴えても日本政府が琉球人の人権を蔑ろにするのであれば、琉球人は独立への過程を平和的に進める権利を持っている。辺野古新基地建設を強行し、日米地位協定を改正しない日本政府の頑なな姿勢が独立運動に拍車をかけている。
 独立は次のようなプロセスで進むだろう。沖縄県議会が、国連脱植民地化特別委員会の「非自治地域」リストに「沖縄県」を加えることを求める決議案を採択。同リストに登録された後、国連の支援を得ながら独立を準備する。国連監視下で住民投票を実施し、独立支持の有権者が過半数を占めれば、世界に独立を宣言する。世界の国々が国家承認し、国連の加盟国になる。その際、世界に住むウチナーンチューが自国の政府に働きかけて琉球国の国家承認を促す。
 琉球独立は「分離独立」ではなく「復国」となる。琉球国は1879年まで存在していたが、日本政府がそれを解体した。私が『琉球独立宣言』(講談社文庫)で明らかにしたように日本政府は現在まで琉球国の存在を認めていない。しかし近年琉球では「琉球併合は国際法違反」であり、米国、仏国、蘭国と琉球国が締結した修好条約原本の返還を求める声が高まっている。「復国」はかつての王制ではなく、立憲主義に基づく非武装中立を掲げた連邦共和制の国になるだろう。今、安倍政権が捨て去ろうとしている「憲法9条」を琉球国は自らの憲法の柱にして、独立後、「琉球の平和」が回復される。
 2013年5月、琉球民族独立総合研究学会が設立された。年2回の大会・総会のほか、オープンシンポを開催し、毎月研究部会を開き、独立を具体的、国際的に議論し、学会紀要で研究成果を蓄積してきた。学会会員約330人の大半は基地反対運動、言語復興運動等を行う市民である。外務省沖縄事務所への抗議、国連による日本政府勧告の撤回を求める豊見城市議会意見書への抗議等の社会的実践を学会として行った。米国からの独立を問う住民投票を今年11月に実施するグアムのチャモロ人と連携しながら脱植民地化を進めてきた。基地を廃絶し、植民地支配から脱却するための独立という選択肢が、夢物語ではなく、実現可能なものであると考える人が増えてきた。地元紙でも独立を含む「自己決定権」という言葉が日常的に使われ、一般市民が口にするようになった。
 琉球独立運動が台頭してきた背景には次のような要因がある。(1)琉球人が米軍関係者に殺されても日米地位協定を改正しない日本政府への怒り。(2)琉球人の訴えを無視し、カネの力で基地を押し付けようとする日本政府への不信と嫌悪。(3)独立によって日本と対等な政治的地位を獲得することで、平和と経済自立を実現できるという自信の拡大。(4)琉球人が先住民族であり、基地の押し付けを人種差別であるとして日本政府に勧告を行ってきた国連を琉球の味方につけたこと。
 日本は米国から独立したと言えるのか。琉球独立運動は日本の今を映す鏡である。(寄稿/龍谷大学教授・松島泰勝)
※AERA 2016年6月27日号
http://dot.asahi.com/aera/2016062300186.html

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苫駒大、国際文化学部17年度から募集停止

2016-06-26 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2016年 6/25)
 苫小牧駒沢大学(佐久間賢祐学長)は、2017年度から国際文化学部国際文化学科(入学定員75人)の学生募集を停止する。募集は同部キャリア創造学科(同75人)のみとなり、国際文化学科は19年度末で廃止、20年度から単科大学となる見通し。佐久間学長は「定員は減るが、大学が存続するための前向きな学科再編」と話している。
 23日に開いた学校法人駒沢大学(東京)の理事会で正式決定し、24日付で文部科学省に届け出た。
 佐久間学長は今回の決定について「これまでの学生の充足率や少子化の影響などを考慮すると、現状の入学定員150人は現実的に厳しい数字だと判断した」とし、「今後も東胆振・日高で唯一の4年制大学として存続するための決断」と説明する。
 同大は1998年の開学以降、入学者の減少が続き、2015年度には30人を下回る危機的状況となった。全体の学生数は24日現在197人で、総定員数600人の3分の1以下となっている。佐久間学長は、定員を減らすことで「コンパクトな大学にし経営の合理化を図っていきたい」と話す。
 募集停止する国際文化学科は、専門科目として▽仏教文化▽日本文化▽北海道・アイヌ文化▽地域社会・行政―の4コースを設け、「グローバルな視野、ローカルな力」の育成を目指してきた。同科は現在の1年生が卒業を迎える19年度末に廃止し、教育カリキュラムや研究内容はキャリア創造学科へ統合するという。
 一方、キャリア創造学科は17年度入学者から新たなカリキュラムを導入。▽ビジネス基礎力▽キャリア教育▽異文化教育―を柱とし、学生が目指すキャリアに応じた幅広い知識を学べるようにするという。佐久間学長は「ビジネス即戦力、社会人基礎力の育成を目指す新しいキャリア創造学科に期待してもらいたい」としている。
 同大は、国際文化学部国際文化学科の単科大学として開学。02年度に国際コミュニケーション学科を設置し、13年度に同科をキャリア創造学科へ転換した。開学初年度は定員200人に対し志願者数は500人を超え、288人が入学。その後、定員割れが続き、15年度の新入生は過去最少の29人となった。学生募集の強化や学内の組織改革などを図り、16年度は61人まで回復した。
http://www.tomamin.co.jp/20160639889

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