毎日新聞2016年9月3日 大阪夕刊
かつて交流した中米グアテマラのマヤ先住民族男性と先月、十数年ぶりに言葉を交わした。フェイスブックで「知り合いかも」と名前と写真が表示されたのだ。連絡すると、すぐに返信があった。近況を伝えながら、当時を思い出した。
名はフアン・レオン。内戦下で軍に弾圧されたマヤのリーダーの一人で、自らも1980年前後に迫害され、父を殺された。95年の選挙でマヤ初の副大統領候補となったが、右派の攻撃が懸念された。ジャーナリスト志望の学生で現地にいた私は、NGOの紹介で15歳上の彼の外国人同行者となり、いわゆる「人間の盾」として3カ月寝食を共にした。
当時は携帯電話も電子メールも使えず、連絡を取るには会って話すしかなかった。その後も2、3回、同国と日本で再会したが、次第に縁遠くなった。それが今や簡単に無料で言葉を交わせる。丸くなった互いの顔にも時の流れを感じた。
彼は今、同国の駐キューバ大使だ。先住民族の文化を守る活動を続けている。私はと言えば新聞社の支局次長。あの頃の志は持続しているか。時空を隔てた再会に、そう自問させられた。【太田裕之】
http://mainichi.jp/articles/20160903/ddf/041/070/009000c
かつて交流した中米グアテマラのマヤ先住民族男性と先月、十数年ぶりに言葉を交わした。フェイスブックで「知り合いかも」と名前と写真が表示されたのだ。連絡すると、すぐに返信があった。近況を伝えながら、当時を思い出した。
名はフアン・レオン。内戦下で軍に弾圧されたマヤのリーダーの一人で、自らも1980年前後に迫害され、父を殺された。95年の選挙でマヤ初の副大統領候補となったが、右派の攻撃が懸念された。ジャーナリスト志望の学生で現地にいた私は、NGOの紹介で15歳上の彼の外国人同行者となり、いわゆる「人間の盾」として3カ月寝食を共にした。
当時は携帯電話も電子メールも使えず、連絡を取るには会って話すしかなかった。その後も2、3回、同国と日本で再会したが、次第に縁遠くなった。それが今や簡単に無料で言葉を交わせる。丸くなった互いの顔にも時の流れを感じた。
彼は今、同国の駐キューバ大使だ。先住民族の文化を守る活動を続けている。私はと言えば新聞社の支局次長。あの頃の志は持続しているか。時空を隔てた再会に、そう自問させられた。【太田裕之】
http://mainichi.jp/articles/20160903/ddf/041/070/009000c