先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

サハリン州郷土博物館を訪れて、(写真)

2016-09-28 | アイヌ民族関連
ウーマンエキサイト-2016年9月27日

サハリン州郷土博物館です。
正面玄関には狛犬があり、護国神社から移設したものだそうです。
日本時代に樺太庁博物館として建てられたものです。現在も当時の展示方法を踏襲しているそうです。
ロシア人親子、子供達はどの子も細いです。
周りはアパート群です。
こんなに北海道が近いとは、
アイヌの衣装をたっぷりと保存してあり、毛皮で作っているのだけではなく、魚の皮とか、草木もあるのです。
これも珍しい材料で、メモが見つかりません。
アイヌの民族説明もたっぷり聞かされました。東京の大学に留学していた若い女性のガイドさんはこの博物館専門で、大変上手な日本語でよく分かりました。
アイヌに関してこんなに多くの展示を見たのは初めてでした。
アイヌの博物館と言っても良いくらい沢山あります。
アイヌの人と現地の人、
こんな住まいで、 狩りなどができる様に、荷造りして移動していた様です。
樺太の昆虫類です。
キツツキとか鳥類も珍しいものが見えます。
ミミズクやフクロウが可愛くて、
大きなフクロウですね。
このサメからキャビアが取れるのです。
亀でさえデザインが異なります。
樺太の動物たち、できれば動物園も見たかったです。
オオカミでしょうか、
熊は大きいですね。
雷鳥だというのですが、
雷鳥でしょうか?雪があるときと色がかわります
当時、サハリンを当時していた人、名前は忘れました。
こんなに北海道と樺太が近いとは思いませんでした。やはり、博物館は面白いですね。
http://woman.excite.co.jp/blog/sanpo/sid_3169911/




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新ひだか アイヌ民族の英雄しのぶ法要祭 /北海道

2016-09-28 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年9月27日 地方版
 江戸時代に松前藩の収奪に抵抗し、蜂起したとされるアイヌ民族の英雄シャクシャインをしのぶ法要祭が、新ひだか町の真歌公園で開かれた。道内各地から集まったアイヌと和人(アイヌ以外の日本人)が共に祈りをささげ、民族共生に思いをはせた。アイヌの首長だったシャクシャインは寛文9(1669)年、松前藩の不公平な交易方針などに抵抗して一斉蜂起し、同10月23日に松前藩との和睦の席で謀殺されたとされる。法要祭は命日の約1カ月前に当たる秋分の日に開かれ、今年で70回目。
http://mainichi.jp/articles/20160927/ddl/k01/040/130000c

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文協=各国の伝統文化継承の場に=第45回国際民族舞踊祭 ...

2016-09-28 | 先住民族関連
ニッケイ新聞2016年9月28日

伝統衣装で挨拶するウクライナ国サンパウロ名誉領事のジョルジ・リビカさん
 ブラジル日本文化福祉協会の国際民族舞踊委員会(林アンドレ実行委員長)主催による「第45回国際民族舞踊祭」が24、25の両日、文協大講堂で開催され、各国移民の子孫、関係者らが自国の伝統舞踊を披露し会場を華やかに彩った。来場者数は2日間で2500人、出演者は23カ国33団体、約1千人が様々な文化を発表し楽しんだ。
 ブラジル移住開始125周年と、ソ連崩壊による祖国独立25周年を祝うウクライナのコミュニティが、両日とも開幕を飾った。初日には同国名誉領事が挨拶し、コミュニィの舞踊団が、ドラム、ピアノ、タンバリンなどの楽器隊に合わせて、明るく開放的な伝統舞踊が披露され、会場から手拍子や歓声が上がるなど、開演に相応しい盛り上がりとなった。
 台湾の「エスコーラ・サン・コンフーシオ」(聖市ビラ・マリアーナ区)は初日2番目に出演。19人の小学生、中高生が2組に分かれ、ウクライナの陽気な演目と打って変わり、穏やかで神秘的な音楽と舞を披露し会場を魅了した。
 同チームの小学生らを指導したメアリー・シェンさん(36)は「恥ずかしがっているところもあったが、楽しめたと思う。もっと台湾の民族性を表現できるようにしたい」と語った。
 客席はほぼ埋まり、立ち見客も出るほどの盛況を見せた。ポルトガルは総勢30人の団体で舞台を埋め、バンドの演奏とともに踊り歌って会場から手拍子を誘った。
 日本はレプレーザ連が徳島阿波踊り、レキオス芸能太鼓(同市ヴィラ・カロン区)は沖縄舞踊を発表した。レプレーザ連は30人のダンサーを男女に分けた。女性陣の艶やかな踊りと男性陣の激しい動きで会場を圧巻、また、全員が手に持った扇をあわせ伯国旗、日本国旗を見せ会場から大きな拍手と歓声を浴びた。
 林委員長は45周年を迎え、「また今年も開催できて嬉しい。今日踊っている子らは45年前の出演者の子孫。伝統の継承を見られることは、この祭の委員長として感慨深い」と喜びを語った。
 母・籠原マサコさん(82、二世)と来場していたリエさん(53、三世)は息子の阿波踊りを鑑賞した。「どの国も素晴らしかったが、やっぱり阿波踊りが一番。ボリビアの歴史を表した演目も良かった」と語った。マサコさんも「ホールの各国料理も良かったです。どこの国か忘れてしまったけど、トルタが美味しかったわ」と大満足の様子だった。
□関連コラム□大耳小耳
 国際民族舞踊祭では、リトアニアは作物の種まきと収穫を表現する民族舞踊を披露し、ロシアの発表ではコサックダンスが披露されるたびに会場から歓声と拍手が起きた。ボリビアは先住民族の王の結婚式をテーマに羽の付いた大きな頭飾りを振り回しながら踊った。最後にスペインの兵士が現れ、王が服従する歴史的な演出に会場から歓声とともに拍手が贈られた。移民集住都市サンパウロの面目躍如といえるイベントだ。
http://www.nikkeyshimbun.jp/2016/160928-71colonia.html

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映画『太陽の子』で考える「名前を奪う」行為の罪深さ

2016-09-28 | 先住民族関連
Newsweekjapan-2016年09月27日(火)16時45分

写真提供:筆者
<二重国籍問題の際、蓮舫氏の「中国風の名前」を指摘する声もあったが、誰でも対外的に使いたい名前を使う自由がある。そんな「名前」の問題について考える格好の素材となるのが、筆者が日本での上映プロジェクトに関わる台湾映画『太陽の子』。台湾先住民にとって、名前はアイデンティティそのものだ> (写真:日本でのイベントで歌を披露する主演女優のアロ・カリティン・パチラル)
 一般の日本人が普段はあまり意識しない「名前」の問題について、考えてみたい。
 蓮舫・民進党新代表の国籍問題が、ひとしきり話題になった。その二重国籍問題の是非とは別に、蓮舫氏への批判のなかで中国風の名前を使っていることが、国会議員として(あるいは首相候補の一人として)ふさわしくない、という指摘があった。
 蓮舫氏は、もともと台湾姓の謝蓮舫であり、後に日本国籍を取得して斉藤蓮舫になり、結婚して村田蓮舫になった。ただ、芸能界には蓮舫でデビューし、その後、キャスターとして蓮舫を使い続け、国会議員としても蓮舫を通している。蓮舫氏とのインタビューでその理由を聞いたところ、「蓮舫という名前は、自分が過去から今日まで、唯一使い続けた名前」であることから、蓮舫という名前に強い愛着があるとのことだった。
 大前提として、通称として公的な場で使用する名前は戸籍上の名前と一致する必要はないので、知名人でも、あるいは市井の一人でも、対外的に使いたい名前を使う自由がある。政治家の場合も立候補届けは本名だが、通称使用は広く認められている。どんな名前を使うかで蓮舫氏の日本という国家に対する忠誠心を問うような議論には同意することはできない。そもそも、忠誠心は、政治家としての行動や言論によって問われるものだし、漢文教養が根底にある日本社会において、どの名前が中国風で、どの名前がそうではないのかを判別することなど事実上不可能な作業である。
 さて、筆者は台湾映画『太陽の子』(原題:太陽的孩子)を紹介するプロジェクを立ち上げ、有志の方々の協力のもと日本各地で上映会を行っている。『太陽の子』は、台湾先住民のアミ族の村が、中国人観光客のためのホテル開発に直面したとき、伝統の土地と農業を守るべきかどうか悩みながら、家族や地域の一体感を取り戻していくプロセスを描くもので、先頃、蔡英文総統の謝罪によって注目された台湾の先住民問題を理解するうえでも格好の素材であり、できるだけ多くの人に見てもらいたいと思っている。
【参考記事】台湾映画『太陽の子』と、台湾の「奪われた者」たち
小学校に上がると中国語名を使わなくてはならなかった
 この映画のなかで、こうした「名前」という問題について、別の角度から我々に思索のチャンスを与えてくれるシーンがあった。
 主人公でアミ族の女性パナイが、農地の水路修復に対する支援を求めるため、専門家を前に演説を行うのだが、そこでパナイは「名前」をめぐる自分の過去について語り始める。やや長くなるがその下りを紹介したい。
『小さいころ、スピーチコンテストに出るといつも最初はこう自己紹介しました。"皆さん、こんにちは、林秀玲です"。その瞬間、審査員の皆さんはびっくりしてこう言うのです。「このアミ族の子は大したものだ。言葉になまりがない」。そして表彰されるのです。「村の誉れ」。そんな名前の賞です。でも、私はその賞が本当はとても嫌でした。なぜならそれは私が精一杯自分をごまかし、アミ族でない振りをしたご褒美だったからです。私は林秀玲ではありません。私にはとても美しい名前があります。パナイという名前が。皆さん、こんにちは、私はパナイです。パナイは「稲穂」を意味します。小さいころ、村には一面の美しい稲穂がありました。でも今は何もありません。私はそれを復活させたい。"パナイ"を取り戻したいのです』
 このほど、上映会のために来日したパナイ役のアロ・カリティン・パチラルさんに、このシーンを演じた経緯について語ってもらったのだが、そこで彼女は、自らの個人的体験をこんな風に明かした。
 彼女は、台湾東部の花蓮にあるアミ族の村で生まれた。生まれた時に「歌う神」を意味するアロという名前をつけられた。アミ族の名前には姓がない。そして、母系社会である。アロは名前で、カリティンは母親の名前。パチラルは太陽という意味があり、アミ族のなかでの氏族集団の名前である。姓と名を中心とする我々儒教文明の名前とは概念からして異なっている。
 アロという名前で周囲から呼ばれ続けた彼女だが、戸籍では中国語名で登録しなくてはならない。彼女は中国語の名前もつけたが、家庭では使うことはなく、そんな中国語の名前は忘れて育った。
 しかし、小学校に入る時には中国語名を使わなくてはならなくなった。クラスで皆の前で自己紹介をしたとき、中国語にアミ族のなまりがあることで、クラス中から大声で笑われてしまった。その後もクラスメイトに言葉をからかわれ続けた。そこで彼女は二度とアミ語を使うまいと心に決め、中国語を一生懸命勉強し、3年生になるころには、スピーチコンテストで優勝するほどになった。家庭でも祖母がアミ語で話しかけても、中国語で答えるほど徹底し、大学に合格したときは「国語」が最も得意な科目になっていたという。
 そんな彼女に転機が訪れたのは大学1年生の時だった。育ての親だった祖父が亡くなった。故郷の花蓮に帰ったとき、祖母をアミ語で慰める言葉が一つも思い当たらなかった。そのことがショックで、花蓮から台北までの帰りの列車で数時間泣き続けたという。彼女がそこで決めたことが二つあった。一つはアミ語による楽曲の創作をてがけることでアミ語を学び直し、同じような境遇に置かれているアミ族の子供たちに、アミ語に誇りを持ってアミ語を捨てないでもらうこと。そして、自分自身がアミ語の名前を取り戻すことだった。
 映画でこのシーンを演じた彼女の演技が、初の映画出演でありながら、極めて真に迫るものであったことは、映画を見た人々の共通する意見だが、その背後にこのような本人の体験があったとは想像を超えたことだった。
主流の文化に「適合」を迫られ続けた先住民の歴史
 台湾には、人口54万人、全人口の2%を占める先住民16部族が暮らしている。先住民は台湾で「原住民」と呼ばれる。その字のごとく、台湾という土地にもとより住んでいた人々だ。彼らのいた土地に漢人が移住し、日本が統治し、戦後また多くの外省人が国民党の台湾撤退と共に台湾に流入した結果形成された多元社会が、台湾社会の姿である。
 そのなかで先住民は少数であるが故に清朝時代から日本時代、戦後の国民党政権下で、常に主流の文化に「適合」を迫られる対象となり、名前の変更を求められてきた。そんな彼らが1980年代の民主化と共に本格化した先住民の権利回復運動のなかで「伝統的名前の回復」を掲げて取り組み、1995年に「姓名条例」などの改正が行われ、漢人名称ではなく、先住民の名称を選択できるようになった。アロさんも大学時代に名前を伝統のものに戻したという。
 先住民文化においては、姓という概念はなく、名前+母(父)の名前+氏族(多くは土地や自然と関わる名称)と指摘したが、名前が先住民文化のなかで、自分の存在のみならず、自分のつながる過去や土地と分ちがたく結びつくものを証明するアイデンティティそのものであることが分かる。
 そうした背景を考えながらこの映画を見ていると、「自分を取り戻す」ことと、「名前を取り戻す」ことが、ほとんどイコールになっており、人々から「名前を奪う」という行為の罪深さも同時に深く感じるところである。
 理解すべきは、名前の問題を論じるとき、我々はその相手のアイデンティティを論じているのに等しい、ということである。アイデンティティは人間存在の最深部に属するものだ。名前を奪うことがいかに他者を傷つけるかは、台湾の先住民に限らず、日本自身も戦前に手痛い経験を経てきている問題である。映画『太陽の子』は、そんな「名前」の大切さを我々に気づかせてくれる。そのことに対する配慮をいかなる場合でも忘れまいと改めて心に刻みたい。
*映画『太陽の子』の日本における上映情報は FBファンページからご参照下さい。10月7日(金)夜には、東京・虎ノ門の笹川平和財団で上映会を行います。この上映会の上映情報はこちらへ。本作品の上映プロジェクトについては野嶋剛の公式HPでその経緯や理由を詳しく説明しております。
http://www.newsweekjapan.jp/nojima/2016/09/post-6.php

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