毎日新聞2016年9月27日 東京朝刊
持続可能な社会に向け、国境を超えて連携を−−。「アジア学生交流環境フォーラム」(主催・イオン環境財団、後援・毎日新聞社、中国青年報社、朝鮮日報社、トイチェ社)が8月3〜8日、東京や北海道などで開かれた。参加したのは日本の早稲田大学を含めアジアの計7大学の若者たち。「生物多様性と叡智(えいち)」をテーマに、生態系の保全と人々の暮らし、社会のあり方について考え、未来を見つめた。【明珍美紀】
「21世紀は環境の世紀。環境を守るためにできることは何かを自問自答しながら日々を過ごしてほしい」
東京都新宿区の早稲田大学であった開講式。主催者を代表して登壇したイオン環境財団の岡田卓也理事長(91)の言葉を胸に、一行は最初のフィールドワークの地、世界自然遺産を擁する北海道の知床半島に向かった。
「知床全体がヒグマの生息地。森を歩くのはヒグマや動物たちで、ケージ(おり)に囲われているのは我々、人間だと思ってください」。知床財団の企画調整参事、岡本征史さん(51)が、ユーモアを交えながら説明する。
「野生動物が人里に下りる理由は生息地の減少などいくつかあるが、知床では人間が与えた餌や森の中に捨てた食べ物が理由になっている」
一度、人の食べ物の味を覚えてそれらを奪おうとすれば「駆除の対象」だ。「こうしたことを近隣の住民や観光客にどう伝えるか。環境保護の実践にはコミュニケーションの技術も必要になる」
謙虚な気持ちで自然に接し
翌日は世界自然遺産の登録エリアにある知床国立公園へ。NPO「知床ナチュラリスト協会」の代表理事、岩山直さん(52)らの引率で遊歩道を進むと、トドマツやミズナラなどの原生林の向こうに湖畔が見えた。
豊かな植生に囲まれながら自然の世界を体感した=知床国立公園で
「ホイッ、ホイッ」。岩山さんが時折、大声で叫び、「パン、パン」と手をたたく。周囲に潜んでいるかもしれないヒグマに、人間が来たことを知らせるためだ。「途中で遭遇しても慌てず、騒がず、ゆっくり離れて」。プノンペン大のチェン・ソフィアさん(23)は「大自然の前では人間は無力。私たちはもっと謙虚でなければいけない」と緊張した面持ちになった。
100年後を見据えた森づくり
一度、壊された自然は回復できるのか。国の天然記念物、シマフクロウが生きられる環境づくりに住民主導で取り組む標茶(しべちゃ)町を訪れた。
舘定宣さん
「森と川、海、大気はつながっている。これらを保全してシマフクロウの生息地を復元すれば、地域の基幹産業、ひいては私たちの命が守られる」。実践者の一人で「虹別コロカムイの会」会長の舘(たて)定宣(さだよし)さん(74)が若者たちの顔を見渡した。
北海道にはかつて約1000羽のシマフクロウが生息していたとみられるが、過度の森林伐採や河川改修で1970年代には約70羽まで減少。絶滅の危機に追い込まれた。
「分断された河畔林を植樹でつなごう」と同会では94年、地元の西別川流域で「シマフクロウの森づくり100年事業」をスタート。そのほかヒナが誕生しやすいよう河畔林に巣箱を設置。住民の工夫や環境省の保護増殖活動で、現在は道東を中心に約140羽まで増えた。「爺(じじ)たちは100年後を見据えてこれからも森づくりに励んでいく」。舘さんが宣言すると拍手がわいた。
学生たちはさらに虹別コロカムイの会のメンバーらに聞き取りをした。元旭川市職員で写真家の田中博さん(67)は今春、写真集「シマフクロウの聲(こえ)がきこえる。」を刊行。収録されている迫力あるシマフクロウの写真を見せながら、「普通の鳥と違ってこのフクロウは大きな木の洞(うろ)の中で卵を産み、子育てをする。自然がなければ生きられない」と言葉に力を込めた。
生態系ピラミッドの頂点を守れ
斉藤慶輔さん
北海道での最後の夜は猛禽(もうきん)類医学研究所(釧路市)代表で獣医師の斉藤慶輔さん(51)の話を聞いた。
「豊かな自然をどのように守れば一番効率がいいか」。斉藤さんの問いかけに学生たちが首をひねる。「生態系ピラミッドの頂点に位置する生き物の生息する場が保たれれば全体が守られる。そこで(頂点にいる)ワシやタカ、フクロウなどの猛禽類に着目した」
根室市と別海町にまたがる風蓮湖は冬になると氷結し、漁師たちが氷の下に網を入れて「氷下待ち網漁」を行う。この時期、風蓮湖にワシが集まっている写真をスライドで見せた斉藤さんは「ワシたちが狙っているのは漁師たちが放置した魚。野生といえども人間がつくり出した環境を賢く利用する。言い換えると野生生物から人間に近づき、その副作用として事故が発生する」と解説した。
例えばシマフクロウの死因には交通事故や感電死があり、オジロワシは交通事故のほか風力発電のブレード(羽根)や柱への衝突(バードストライク)などがある。一羽の命を助けることが種の保存に関わってくる。
「傷ついた動物は自然界からのメッセンジャー。私たちは治すだけでなく環境を『治療』する」
バードストライクへの対応について早稲田大の大久保綾華さん(20)が質問した。斉藤さんは「ワシがどのように衝突したかの検証実験を行っており、その結果をもとにブレードの改良案を提案したい。人間には知恵がある。2者の需要をマッチングさせてよりよい道を探っていきたい」と答えた。
アジアの叡智を生かし
ソーラン節を踊ったグループは「アジアの叡智」を強調
最終日は、千葉市内でグループ別に成果発表が行われた。生態系の保全と持続可能な発展を両立するために必要な「叡智」を生み出すキーワードに「愛と責任」「パッション(情熱)」「伝統知」などを掲げた。なかには日本のソーラン節を踊って「アジアの叡智」を強調したグループも。マラヤ大のロー・フェイエンさん(22)は「それぞれの国で培われた伝統や文化、技術などを共有し、互いに協力しながら未来を築いていく。それが私たちの気持ちです」と前を向いた。
閉講式で修了証を授与され、フォーラムは閉幕。早稲田環境学研究所客員准教授の吉川成美さん(47)は「学生たちは命に向き合うエコロジーの本質を五感で体感し、アジア共通の叡智とは何かを考え抜いて発表した。アジアの未来は経済発展だけではないことをつかみ取ったと思う」と語った。
先住民族の「叡智」に学ぶ
環境思想の分野で近年、注目を浴びる「先住民族の叡智」。フォーラムでは、自然と共生する世界観を持つアイヌ民族の秋辺デボさん(56)とも交流した。
地面に降った雨を大地がきれいにする。大地が出す乳が温泉。大地にはシカやクマ、フクロウ、キツネやタヌキ、無数の虫や目に見えない微生物など多様な生き物があふれ、「無駄なものは一つもない」と秋辺さん。「アイヌの価値観や精神文化を今こそ社会に生かしてほしい。それをできるのはみなさんのハート」。秋辺さんが呼びかけると学生たちの瞳が輝いた。
植樹も体験
標茶町では、学生たちも森づくりに参加した。虹別コロカムイの会や隣接する別海町の森林組合の協力で、元は牧草地だった空き地にミズナラやシラカバなどの苗木を植樹した。
「お互いを知ること」が重要
今回は過去最多の7カ国の大学の学生らが集まった。初参加となったインドネシア大のファンディ・A・チンドラプトラさん(19)はアニメを入り口に日本に興味を持ったが「高校の授業で戦時中、日本がインドネシアに侵攻したことを知ったときは『日本は怖い』と思った」と打ち明ける。実際に話してみると「フレンドリーで親切」。友人をつくっていけば「どんな国の人とも理解し合える」と確信した。
韓国・高麗大の姜〓周(カンミンジュ)さん(20)=同中=は「過去の溝は埋めることが必要。それにはお互いを知ること」と言う。北海道でアイヌ民族と対話し、日本の新たな部分に接した気がした。「彼らは近代的な生活をしているけれど『民族の伝統や自然と共生する精神は受け継いでいる』との言葉が印象的。それを、生物多様性の保全に取り入れる発想が新鮮だった」
早稲田大の大和田愛乃さん(20)は、獣医の斉藤慶輔さんが示した「2者の需要をマッチングさせてよりよい道を探る」という方法は、環境問題だけでなく「国際関係にも通じる」と感じた。「共生の道を見いだすために知恵や技術を駆使し、リーダーシップに生かすべきだと思う」と提言した。
アジア学生交流環境フォーラム(Asian Students Environment Platform)
イオン環境財団の岡田卓也理事長が母校の早稲田大学と、文化活動などで親交がある中国の清華大学、韓国の高麗大学に提案して2012年に始まった。初回は「環境とは何か」という基本的な主題を掲げて日本で開催。東日本大震災で被災した岩手県田野畑村や世界遺産の中尊寺、京都などを訪れた。以後、フォーラムは韓国、中国、ベトナムで実施。参加校はベトナム国家大学ハノイ校、マレーシア・マラヤ大学、カンボジア王立プノンペン大学と回を重ねるごとに増えてきた。今回は初参加のインドネシア大学を含め7大学の計84人の若者が集まった。
http://mainichi.jp/articles/20160927/ddm/010/040/002000c
持続可能な社会に向け、国境を超えて連携を−−。「アジア学生交流環境フォーラム」(主催・イオン環境財団、後援・毎日新聞社、中国青年報社、朝鮮日報社、トイチェ社)が8月3〜8日、東京や北海道などで開かれた。参加したのは日本の早稲田大学を含めアジアの計7大学の若者たち。「生物多様性と叡智(えいち)」をテーマに、生態系の保全と人々の暮らし、社会のあり方について考え、未来を見つめた。【明珍美紀】
「21世紀は環境の世紀。環境を守るためにできることは何かを自問自答しながら日々を過ごしてほしい」
東京都新宿区の早稲田大学であった開講式。主催者を代表して登壇したイオン環境財団の岡田卓也理事長(91)の言葉を胸に、一行は最初のフィールドワークの地、世界自然遺産を擁する北海道の知床半島に向かった。
「知床全体がヒグマの生息地。森を歩くのはヒグマや動物たちで、ケージ(おり)に囲われているのは我々、人間だと思ってください」。知床財団の企画調整参事、岡本征史さん(51)が、ユーモアを交えながら説明する。
「野生動物が人里に下りる理由は生息地の減少などいくつかあるが、知床では人間が与えた餌や森の中に捨てた食べ物が理由になっている」
一度、人の食べ物の味を覚えてそれらを奪おうとすれば「駆除の対象」だ。「こうしたことを近隣の住民や観光客にどう伝えるか。環境保護の実践にはコミュニケーションの技術も必要になる」
謙虚な気持ちで自然に接し
翌日は世界自然遺産の登録エリアにある知床国立公園へ。NPO「知床ナチュラリスト協会」の代表理事、岩山直さん(52)らの引率で遊歩道を進むと、トドマツやミズナラなどの原生林の向こうに湖畔が見えた。
豊かな植生に囲まれながら自然の世界を体感した=知床国立公園で
「ホイッ、ホイッ」。岩山さんが時折、大声で叫び、「パン、パン」と手をたたく。周囲に潜んでいるかもしれないヒグマに、人間が来たことを知らせるためだ。「途中で遭遇しても慌てず、騒がず、ゆっくり離れて」。プノンペン大のチェン・ソフィアさん(23)は「大自然の前では人間は無力。私たちはもっと謙虚でなければいけない」と緊張した面持ちになった。
100年後を見据えた森づくり
一度、壊された自然は回復できるのか。国の天然記念物、シマフクロウが生きられる環境づくりに住民主導で取り組む標茶(しべちゃ)町を訪れた。
舘定宣さん
「森と川、海、大気はつながっている。これらを保全してシマフクロウの生息地を復元すれば、地域の基幹産業、ひいては私たちの命が守られる」。実践者の一人で「虹別コロカムイの会」会長の舘(たて)定宣(さだよし)さん(74)が若者たちの顔を見渡した。
北海道にはかつて約1000羽のシマフクロウが生息していたとみられるが、過度の森林伐採や河川改修で1970年代には約70羽まで減少。絶滅の危機に追い込まれた。
「分断された河畔林を植樹でつなごう」と同会では94年、地元の西別川流域で「シマフクロウの森づくり100年事業」をスタート。そのほかヒナが誕生しやすいよう河畔林に巣箱を設置。住民の工夫や環境省の保護増殖活動で、現在は道東を中心に約140羽まで増えた。「爺(じじ)たちは100年後を見据えてこれからも森づくりに励んでいく」。舘さんが宣言すると拍手がわいた。
学生たちはさらに虹別コロカムイの会のメンバーらに聞き取りをした。元旭川市職員で写真家の田中博さん(67)は今春、写真集「シマフクロウの聲(こえ)がきこえる。」を刊行。収録されている迫力あるシマフクロウの写真を見せながら、「普通の鳥と違ってこのフクロウは大きな木の洞(うろ)の中で卵を産み、子育てをする。自然がなければ生きられない」と言葉に力を込めた。
生態系ピラミッドの頂点を守れ
斉藤慶輔さん
北海道での最後の夜は猛禽(もうきん)類医学研究所(釧路市)代表で獣医師の斉藤慶輔さん(51)の話を聞いた。
「豊かな自然をどのように守れば一番効率がいいか」。斉藤さんの問いかけに学生たちが首をひねる。「生態系ピラミッドの頂点に位置する生き物の生息する場が保たれれば全体が守られる。そこで(頂点にいる)ワシやタカ、フクロウなどの猛禽類に着目した」
根室市と別海町にまたがる風蓮湖は冬になると氷結し、漁師たちが氷の下に網を入れて「氷下待ち網漁」を行う。この時期、風蓮湖にワシが集まっている写真をスライドで見せた斉藤さんは「ワシたちが狙っているのは漁師たちが放置した魚。野生といえども人間がつくり出した環境を賢く利用する。言い換えると野生生物から人間に近づき、その副作用として事故が発生する」と解説した。
例えばシマフクロウの死因には交通事故や感電死があり、オジロワシは交通事故のほか風力発電のブレード(羽根)や柱への衝突(バードストライク)などがある。一羽の命を助けることが種の保存に関わってくる。
「傷ついた動物は自然界からのメッセンジャー。私たちは治すだけでなく環境を『治療』する」
バードストライクへの対応について早稲田大の大久保綾華さん(20)が質問した。斉藤さんは「ワシがどのように衝突したかの検証実験を行っており、その結果をもとにブレードの改良案を提案したい。人間には知恵がある。2者の需要をマッチングさせてよりよい道を探っていきたい」と答えた。
アジアの叡智を生かし
ソーラン節を踊ったグループは「アジアの叡智」を強調
最終日は、千葉市内でグループ別に成果発表が行われた。生態系の保全と持続可能な発展を両立するために必要な「叡智」を生み出すキーワードに「愛と責任」「パッション(情熱)」「伝統知」などを掲げた。なかには日本のソーラン節を踊って「アジアの叡智」を強調したグループも。マラヤ大のロー・フェイエンさん(22)は「それぞれの国で培われた伝統や文化、技術などを共有し、互いに協力しながら未来を築いていく。それが私たちの気持ちです」と前を向いた。
閉講式で修了証を授与され、フォーラムは閉幕。早稲田環境学研究所客員准教授の吉川成美さん(47)は「学生たちは命に向き合うエコロジーの本質を五感で体感し、アジア共通の叡智とは何かを考え抜いて発表した。アジアの未来は経済発展だけではないことをつかみ取ったと思う」と語った。
先住民族の「叡智」に学ぶ
環境思想の分野で近年、注目を浴びる「先住民族の叡智」。フォーラムでは、自然と共生する世界観を持つアイヌ民族の秋辺デボさん(56)とも交流した。
地面に降った雨を大地がきれいにする。大地が出す乳が温泉。大地にはシカやクマ、フクロウ、キツネやタヌキ、無数の虫や目に見えない微生物など多様な生き物があふれ、「無駄なものは一つもない」と秋辺さん。「アイヌの価値観や精神文化を今こそ社会に生かしてほしい。それをできるのはみなさんのハート」。秋辺さんが呼びかけると学生たちの瞳が輝いた。
植樹も体験
標茶町では、学生たちも森づくりに参加した。虹別コロカムイの会や隣接する別海町の森林組合の協力で、元は牧草地だった空き地にミズナラやシラカバなどの苗木を植樹した。
「お互いを知ること」が重要
今回は過去最多の7カ国の大学の学生らが集まった。初参加となったインドネシア大のファンディ・A・チンドラプトラさん(19)はアニメを入り口に日本に興味を持ったが「高校の授業で戦時中、日本がインドネシアに侵攻したことを知ったときは『日本は怖い』と思った」と打ち明ける。実際に話してみると「フレンドリーで親切」。友人をつくっていけば「どんな国の人とも理解し合える」と確信した。
韓国・高麗大の姜〓周(カンミンジュ)さん(20)=同中=は「過去の溝は埋めることが必要。それにはお互いを知ること」と言う。北海道でアイヌ民族と対話し、日本の新たな部分に接した気がした。「彼らは近代的な生活をしているけれど『民族の伝統や自然と共生する精神は受け継いでいる』との言葉が印象的。それを、生物多様性の保全に取り入れる発想が新鮮だった」
早稲田大の大和田愛乃さん(20)は、獣医の斉藤慶輔さんが示した「2者の需要をマッチングさせてよりよい道を探る」という方法は、環境問題だけでなく「国際関係にも通じる」と感じた。「共生の道を見いだすために知恵や技術を駆使し、リーダーシップに生かすべきだと思う」と提言した。
アジア学生交流環境フォーラム(Asian Students Environment Platform)
イオン環境財団の岡田卓也理事長が母校の早稲田大学と、文化活動などで親交がある中国の清華大学、韓国の高麗大学に提案して2012年に始まった。初回は「環境とは何か」という基本的な主題を掲げて日本で開催。東日本大震災で被災した岩手県田野畑村や世界遺産の中尊寺、京都などを訪れた。以後、フォーラムは韓国、中国、ベトナムで実施。参加校はベトナム国家大学ハノイ校、マレーシア・マラヤ大学、カンボジア王立プノンペン大学と回を重ねるごとに増えてきた。今回は初参加のインドネシア大学を含め7大学の計84人の若者が集まった。
http://mainichi.jp/articles/20160927/ddm/010/040/002000c