北海道新聞 05/08 10:04
タイの北部や西部国境に近い山岳地帯で暮らすカレン族などの少数民族が、先祖伝来の土地を追われ、伝統的な暮らしを奪われている。政府は「焼き畑農業などによる環境破壊の防止」を理由に挙げるが、隣国ミャンマーなどの少数民族との連携を警戒し、国境管理を厳格化したいとの思惑も透ける。
ミャンマーとの国境にある「ケーンクラチャン国立公園」に入り、さらに四輪駆動車で山道を2時間半走ると、カレン族が住むバンクロイラーン村に到着した。のどかな農村風景だが、よく見ると迷彩服を着た国立公園職員や、軍人が目を光らせていた。
「ここは私たちの村ではない。祖先から引き継いだ村に何度戻ろうとしても、暴力を振るわれ、引き戻されてしまう」。村のリーダーのアピシットさん(39)はカレン語で訴えた。村に暮らす約700人は、森林管理局により強制移住させられた人とその家族だ。
「祖先から引き継いだ村」は、険しい山中をさらに国境に向かって5日間歩いた「ジャイペンディン」(タイ語で「心の土地」)と呼ばれる場所にある。村人は代々、伝統的な焼き畑農業で自給自足の生活をしていたが、1981年に一帯が国立公園に指定され、96年、政府から焼き畑の禁止と立ち退きを命じられた。
当局は立ち退きに応じた世帯に約1.2ヘクタールの土地を与えると約束したが、実際に用意されたのは岩だらけの痩せた土地。面積も足りず、精霊にささげる儀式に不可欠な陸稲の栽培はできなくなった。
生活に困窮した村人は故郷への集団逃走を試みたが、ヘリコプターで追われ、軍人や警官、公園職員によって、強制送還された。2014年には当局の行為を裁判所に訴えた村の活動家が連行され、その後、貯水池に沈むドラム缶から骨となって見つかったという。
住民の一部が試みた今年1月の逃走も前回同様に強制送還された。アピシットさんは「故郷に残していた家や納屋はすべて焼かれてしまった」と肩を落とす。
ケーンクラチャン国立公園の他にも、国境と接する山岳地帯には数多くの国立公園が設けられている。タイの人権団体「ピームーブ」によると、公園内の規制地域に住むなどしたとして、少数民族が当局に訴えられたり、先住していた土地を没収されたりするケースが各地で頻発。軍事政権となった14年からの5年間で約1万2千件に上った。
山岳地帯の少数民族を強制移住させたり、農地を没収したりする理由について、国立公園局は「公園内の環境保護」と説明する。
特に伝統的に行われてきた焼き畑農業をやり玉に挙げてきた。だが近年、化学肥料を使わず輪作で土地を回復させる焼き畑農業は、自然環境への負荷が小さく、むしろ持続的な農法として評価されてきた。
タイ政府もこうした見方には逆らえず、昨年、北部で焼き畑農業を実践するモデル事業に着手した。それでも抑圧行為をやめないのはなぜか。
「ピームーブ」の顧問バヨン・ドックラムヤイさんは「政府は、国境付近の少数民族に対し、ミャンマーからの不法入国を支援しているとの嫌疑をかけている」と指摘する。国内の少数民族がミャンマーの少数民族武装勢力と結び付き、国境管理が揺らぐことは政府が最も恐れる事態だ。ミャンマーで国軍のクーデターが起きた2月以降は、難民の流入に一段と神経をとがらせている。
ところがタイの少数民族に対する抑圧政策は、思わぬところで注目を集めた。政府は15年以降、3回にわたりケーンクラチャン国立公園を含む森林地帯を世界自然遺産に登録申請したが、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は「先住民族への人権侵害の解決が必要」などの理由でいずれも却下した。
人権団体のクロス・カルチュラル財団の理事長で、カレン族を研究するスラポン・ゴンジャントゥク氏は「強制移住などの一連の行為は、先住民族からの権利剥奪に他ならない。タイも賛成票を投じた『先住民族の権利に関する国連宣言』に著しく反している」と批判する。
政府は「タイの少数民族は先住民族ではない」との反論を繰り返す。だが、少数民族の抑圧政策に向けられた内外の視線は厳しさを増している。(タイ西部ケーンクラチャンで森奈津子、写真も)
<ことば>タイの少数民族 タイ国内にはカレン族、モン族、アカ族など30超の少数民族が山岳地帯で暮らす。計97万人と全人口の1.5%を占め、このうち最多のカレン族は約45万人。多くは200年ほど前に中国雲南省から南下し、ミャンマーなどを経てタイ北部や西部にたどりついた。主に焼き畑農業を生活の基盤とし、独自の言葉や宗教観を持つ。戦後の東西冷戦下では共産主義と結びつくことを警戒し、政府は、低地への定住を促すなど同化政策を進めた。現在でも無国籍者は多く「先住民族」としての権利を求める運動が活発化している。
<ことば>先住民族の権利に関する国連宣言 2007年の国連総会で日本やタイを含む144カ国の賛成多数で採択された。先住民族が伝統的に所有、占有してきた土地と資源に対する権利や、文化を継承する権利を認めた。法的拘束力はない。先住民族に厳密な定義はないが、単に「先に住んでいた人々」ではなく、独自の文化が否定され、土地や資源を奪われるなど抑圧された人々を指す。宣言を踏まえ、世界各地で権利回復へ向けた取り組みが本格化した。日本では19年施行のアイヌ施策推進法でアイヌ民族を先住民族と認めたが、土地や資源に関する権利は盛り込まれなかった。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/541443
タイの北部や西部国境に近い山岳地帯で暮らすカレン族などの少数民族が、先祖伝来の土地を追われ、伝統的な暮らしを奪われている。政府は「焼き畑農業などによる環境破壊の防止」を理由に挙げるが、隣国ミャンマーなどの少数民族との連携を警戒し、国境管理を厳格化したいとの思惑も透ける。
ミャンマーとの国境にある「ケーンクラチャン国立公園」に入り、さらに四輪駆動車で山道を2時間半走ると、カレン族が住むバンクロイラーン村に到着した。のどかな農村風景だが、よく見ると迷彩服を着た国立公園職員や、軍人が目を光らせていた。
「ここは私たちの村ではない。祖先から引き継いだ村に何度戻ろうとしても、暴力を振るわれ、引き戻されてしまう」。村のリーダーのアピシットさん(39)はカレン語で訴えた。村に暮らす約700人は、森林管理局により強制移住させられた人とその家族だ。
「祖先から引き継いだ村」は、険しい山中をさらに国境に向かって5日間歩いた「ジャイペンディン」(タイ語で「心の土地」)と呼ばれる場所にある。村人は代々、伝統的な焼き畑農業で自給自足の生活をしていたが、1981年に一帯が国立公園に指定され、96年、政府から焼き畑の禁止と立ち退きを命じられた。
当局は立ち退きに応じた世帯に約1.2ヘクタールの土地を与えると約束したが、実際に用意されたのは岩だらけの痩せた土地。面積も足りず、精霊にささげる儀式に不可欠な陸稲の栽培はできなくなった。
生活に困窮した村人は故郷への集団逃走を試みたが、ヘリコプターで追われ、軍人や警官、公園職員によって、強制送還された。2014年には当局の行為を裁判所に訴えた村の活動家が連行され、その後、貯水池に沈むドラム缶から骨となって見つかったという。
住民の一部が試みた今年1月の逃走も前回同様に強制送還された。アピシットさんは「故郷に残していた家や納屋はすべて焼かれてしまった」と肩を落とす。
ケーンクラチャン国立公園の他にも、国境と接する山岳地帯には数多くの国立公園が設けられている。タイの人権団体「ピームーブ」によると、公園内の規制地域に住むなどしたとして、少数民族が当局に訴えられたり、先住していた土地を没収されたりするケースが各地で頻発。軍事政権となった14年からの5年間で約1万2千件に上った。
山岳地帯の少数民族を強制移住させたり、農地を没収したりする理由について、国立公園局は「公園内の環境保護」と説明する。
特に伝統的に行われてきた焼き畑農業をやり玉に挙げてきた。だが近年、化学肥料を使わず輪作で土地を回復させる焼き畑農業は、自然環境への負荷が小さく、むしろ持続的な農法として評価されてきた。
タイ政府もこうした見方には逆らえず、昨年、北部で焼き畑農業を実践するモデル事業に着手した。それでも抑圧行為をやめないのはなぜか。
「ピームーブ」の顧問バヨン・ドックラムヤイさんは「政府は、国境付近の少数民族に対し、ミャンマーからの不法入国を支援しているとの嫌疑をかけている」と指摘する。国内の少数民族がミャンマーの少数民族武装勢力と結び付き、国境管理が揺らぐことは政府が最も恐れる事態だ。ミャンマーで国軍のクーデターが起きた2月以降は、難民の流入に一段と神経をとがらせている。
ところがタイの少数民族に対する抑圧政策は、思わぬところで注目を集めた。政府は15年以降、3回にわたりケーンクラチャン国立公園を含む森林地帯を世界自然遺産に登録申請したが、国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は「先住民族への人権侵害の解決が必要」などの理由でいずれも却下した。
人権団体のクロス・カルチュラル財団の理事長で、カレン族を研究するスラポン・ゴンジャントゥク氏は「強制移住などの一連の行為は、先住民族からの権利剥奪に他ならない。タイも賛成票を投じた『先住民族の権利に関する国連宣言』に著しく反している」と批判する。
政府は「タイの少数民族は先住民族ではない」との反論を繰り返す。だが、少数民族の抑圧政策に向けられた内外の視線は厳しさを増している。(タイ西部ケーンクラチャンで森奈津子、写真も)
<ことば>タイの少数民族 タイ国内にはカレン族、モン族、アカ族など30超の少数民族が山岳地帯で暮らす。計97万人と全人口の1.5%を占め、このうち最多のカレン族は約45万人。多くは200年ほど前に中国雲南省から南下し、ミャンマーなどを経てタイ北部や西部にたどりついた。主に焼き畑農業を生活の基盤とし、独自の言葉や宗教観を持つ。戦後の東西冷戦下では共産主義と結びつくことを警戒し、政府は、低地への定住を促すなど同化政策を進めた。現在でも無国籍者は多く「先住民族」としての権利を求める運動が活発化している。
<ことば>先住民族の権利に関する国連宣言 2007年の国連総会で日本やタイを含む144カ国の賛成多数で採択された。先住民族が伝統的に所有、占有してきた土地と資源に対する権利や、文化を継承する権利を認めた。法的拘束力はない。先住民族に厳密な定義はないが、単に「先に住んでいた人々」ではなく、独自の文化が否定され、土地や資源を奪われるなど抑圧された人々を指す。宣言を踏まえ、世界各地で権利回復へ向けた取り組みが本格化した。日本では19年施行のアイヌ施策推進法でアイヌ民族を先住民族と認めたが、土地や資源に関する権利は盛り込まれなかった。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/541443