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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

ウポポイ開館続けていいの? 地元で不安や疑問 多くの公共施設は休館

2021-05-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/22 11:55 更新
 【白老】新型コロナウイルスの感染拡大で北海道に緊急事態宣言が発令され、多くの公共施設が休館する中、白老町内の国立施設、アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」がほぼ通常通り開館しており、地元で不安や疑問が広がっている。町民からは「外出自粛が呼び掛けられる中、開館するのは矛盾を感じる」との声が上がる。
 「(緊急事態宣言を出した)国の施設なのだから率先して休館すべきだ。町外から人が来る施設なので不安だ」。町内の商店主の60代男性はウポポイの営業継続に憤る。
 飲食店経営の70代男性も「町内のお店も経営が苦しい中で営業時間を短縮するなど協力しているのに、おかしい」と話す。
 緊急事態宣言を受け、道は16~31日、白老町を含む「措置区域」の公共施設に対し、「道立施設の原則休館」と「感染状況や施設の目的を踏まえた市町村立施設の休館などの検討」を要請している。感染者が特に多い札幌市など「特定措置区域」では市町村立施設も「原則休館」とされているのに比べ、弱い要請だが、白老町は図書館や生活館など全ての公共施設を自主的に31日まで休館。胆振管内の他自治体も多くの公共施設を休館としている。
 一方、ウポポイは国立施設のため、これらの要請の対象外。運営するアイヌ民族文化財団(札幌)は「休業要請の対象ではないので感染対策を徹底して開館している」と説明する。野外プロジェクションマッピングを30日まで中止としたが、ほかは通常通りの営業。5月の連休中は1日に800~1700人が来場したが、宣言が出された16日は200人に落ち込んだ。同財団は「今後の運営は感染状況を見極めつつ適切に判断したい」としている。
 北海道科学大の秋原志穂教授(感染症看護学)は「札幌市などから感染が拡大している。白老町外からの人の流れを止められないなら、要請の対象外でも対応が必要になるのではないか」とし、ウポポイも休館などの検討が必要との認識を示す。(斎藤佑樹)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/546740

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「私は“即席”でユダヤ人に変えられた」 同化政策の被害者が「孤独に生きてきた日々」を語る

2021-05-23 | 先住民族関連
クーリエジャパン 5/22(土) 10:00
養父母に引き取られたその日から「私はユダヤ人に変えられた」

Photo: Youtube of CBC Docs. モントリオールのネイティブ(先住民族)の女性用シェルターの事務局長を務めるナクセット
「ザ・シックスティ・スクープ(The Sixties Scoop)」。それは1960年代から80年代にかけてカナダ政府が先住民族に対して行った迫害のひとつである。
児童福祉当局は、養子縁組のために、約2万人の先住民族の子供たちを家族やコミュニティから引き離した。カナダメディア「CBC」によれば、多くは母親の知らないうちに連れて行かれたという。
子供たちは、養子縁組用のリストに掲載され、主に白人の、カナダの中流階級の夫婦に引き渡された。なかにはアメリカや西ヨーロッパへ送られた子供もいたそうだ。
現在、モントリオールのネイティブ(先住民族)の女性用シェルターの事務局長を務めるナクセットもそのひとりだ。
彼女の養子縁組は、「ユダヤ人家族サービス(JFS:Jewish Family Service)」によって行われたという。
養子縁組を希望する夫婦のもとには、「分厚い本が送られていた」。それは、まだ里親の見つかっていない、カナダ全土からかき集められた先住民族の子供たちをリストアップしたもので、各々の写真とともに、年齢、性格、持病などが記載されていた。
「その分厚い本を、私の養父母は何ページも捲り、その中から私を選んだのです」
そうして彼女は、3歳の時にカナダのユダヤ人夫婦に引き取られた。すぐにユダヤ教の儀式「ミクワー(水槽に身体を浸す行為)」が行われ、水槽からすくい上げられた瞬間、「私は即席で“ユダヤ人”ということになった」。
彼らは彼女をマーシー(marci)と名付け、ユダヤ人学校に通わせた。金曜の夜にはシナゴーグに行き、ユダヤ教の祝日を祝った。
ナクセットが「CBC」に語ったところによれば、JFSは養父母に、子供には出身地を明かさず、名前を変えて、ユダヤ人として育てよと、アドバイスしていたそうだ。
先住民族の西欧社会への同化政策が推し進められていた当時のカナダ社会では、そうすること、つまり、先住民族の子供のルーツを強制的に取り上げることは、「子供にとって最善」だと考えられていた。「いかにも植民地時代的な考え方」だと、彼女は述べている。
彼女の養父母は、子供ができない故に養子縁組支援サービスを利用し、先住民族の子供である彼女をを養子に選んだわけだが、手続きを進めている最中に、養母の妊娠が発覚した。
そのため養父母は、彼女を養子にして間もなく、実子も持つこととなった。
「私は、母と妹の強い繋がりを目撃しながら育った」。それは、彼女が決して得られなかったものだという。
「母は私の泣き声をとことん嫌った。泣いている時に、テープで口を塞がれたこともあった」。
一方、養夫はどうかというと、「仕事で忙しい人だった」、「私に話しかけることもほとんどなかった」。
「先住民は社会のお荷物だって知らないの?」
彼女は「孤独だった」。家族の一員ではなく、「まるでビジター」であるかのように感じていたと話す。その理由には、彼女の見た目も関係している。家族とは明らかに異なっていたのだ。
彼女には、養子の兄がいたが、その「兄も妹もブロンド。私だけが黒髪だった。肌の色も違った」。養父母は周囲に、「この子はイスラエル人だ」と話していたそうだ。
また、養母は彼女の前で先住民族を罵ることもあったと言う。
「先住民は社会のお荷物だって知らないの?」、「ユダヤ人の家の食卓には、いろんな料理が並ぶけれど、先住民の食卓はアルコールとドラッグばかり」などと、先住民族に対するネガティブなイメージを植え付けられたと、語っている。
それでも彼女は成長するにつれ、自分の見た目はどうみても先住民族だと感じるようになった。両親からはその可能性を「否定された」が、「自分が養子であることは知っていた」。彼女には微かな記憶があった。「私には、本当の母親と妹がどこかにいる」と。
救いは「祖母だけだった」
思春期を迎える頃には「自分の見た目から性格まで、すべてが嫌だった。自信もなかったし、明るい未来が何も想像できなかった」。人とのコミュニケーションを避けがちで、摂食障害にも陥ったと明かす。
それでも、「私は家族やコミュニティにフィット(適応)しようと必死に努めた。なぜなら、私も愛されたかったから」
しかし、両親からの愛情を感じることはなかったという。
このままこの家にいても、孤独しかない。そう思った彼女は、18歳になってすぐ家を出た。「私にとっての救いは、バビ(おばあちゃん)だけだった」
唯一、父方の祖母だけは、いつも彼女に愛情を注いでくれれたという。「今日の私が道を踏み外さずにここまでこれたのは、祖母のおかげでしかない」
そんな祖母のガンが発覚したのは、彼女が家を出て数年後のことだった。祖母は彼女にこう言ったという。「あなたが本当の家族に会えるよう、私が手伝ってあげる」
「祖母は、自分がいなくなった後に、私がひとりぼっちになることを心配していたのです」
二人は、当時の養子縁組に関わっていたさまざまな団体に「実の母親と妹を探している」と、手紙を送った。出身地や家族のこと、覚えている限りの記憶を綴ったという。
「そして、ある団体が私の本当の家族を見つけてくれたのです」
先住民族のこれから 「戦いは今日も続いている」
躊躇していた彼女の背中を押したのも祖母だった。「『行きなさい』と言って、祖母は私に飛行機のチケットをくれた」
彼女は念願の、実の母親と妹との再会を果たし、「もう一度、先住民族として生まれ変わった」。名前もマーシーからナクセットに変えた。ナクセットはミクマク族の神話で「太陽」を意味するのだそうだ。
また、彼女は大学にも戻った。人間科学を学び、卒業後はモントリオールのネイティブ(先住民族)の女性用シェルターでボランティアを始めた。1999年よりさまざまな役職を経て、同センターの事務局長に就任したという。
彼女は現在、モントリオール在住の先住民族の生活の向上を目指すサポート団体の共同会長も務めている。
「ザ・シックスティ・スクープ」に対する謝罪は、これまでに一部の州からはあったものの、連邦政府からはまだないと、「CBC」は述べる。
ザ・シックスティ・スクープの被害を生き抜いたサバイバーらは、カナダ全土の裁判所で複数の訴訟を起こしており、ジャスティン・トルドー首相にも謝罪を求めているという。
先住民族の子供たちを連れ去ったこと、そして、子供たちのその文化的アイデンティティを剥奪したこと──。それらは、連れ去られた個人はもちろん、残された先住民族のコミュニティにも深い傷跡を残したと、サバイバーらは訴えている。
ナクセットも、「悲惨な経験をしたのは私だけではない。他のサバイバーたちもだ」と語り、多くは深刻なトラウマを抱えており、不安定な精神状態からサバイバーの子供たちもまた、里親を必要としている状況だと明かす。
その諸悪の根源には、カナダが行った同化政策、「アイデンティティを剥奪されたこと」があると、彼女は言う。実際、彼女のようにアイデンティティ喪失から人生を再起できたサバイバーは少ないようだ。
彼女が率いるサポート団体は、(先住民族の子供の)里親に向けたガイドラインを作成し、子供にとっての最善は、ルーツを剥奪することではなく、「子供に先住民族としての誇りと自信を持たせることだ」と、訴え続けている。彼女は言う。
「戦いは今日も続いている」
COURRiER Japon
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e804b25b541fb21def8707b82a1e14f72ff3068

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全部読めたらすごい!? 日本全国北から南まで、 旅行作家が選んだ“知る人ぞ知る”オモシロ「難読駅」10

2021-05-23 | アイヌ民族関連
楽天ウーマン 2021年5月22日 21時15分
全国の駅の中には何と読むのか分からない駅名、簡単だと思ったら全然別の読み方だったりする難読駅が少なからずある。JR奥羽本線の及位(のぞき)駅(山形県)やJR山陰本線の特牛(こっとい)駅(山口県)のように難読駅として有名になったものもいくつかあるけれど、ここでは知る人ぞ知る難読駅を北から南まで取り上げてみた。
1. JR留萌本線「北一已」駅【北海道深川市】
北海道にはアイヌ語から転じて漢字をあてた難読駅が数多くある。長万部(おしゃまんべ)駅(JR函館本線&室蘭本線)や音威子府(おといねっぷ)駅(JR宗谷本線)は特急停車駅でもあるので、旅好きの人には良く知られている。
しかし、函館本線の深川駅から分岐する留萌本線は普通列車しか走らないマイナーな路線であるし、廃止が検討されているほどの過疎路線であるので、線内の駅も多くの人には知られていない。

深川駅を発車し、広々とした田園地帯を4分ほどひた走ると最初に停車するのが北一已(きたいちやん)駅だ。まず降りる人がいない駅で、ホームも駅舎も寂れている。JR北海道の公式サイトによると駅利用者は1日平均1名以下とのこと。
北一已の「いちやん」とは鮭の産卵場を意味する「いちゃん」から転じたものとされる。
2. JR宗谷本線「雄信内」駅【北海道幌延町】
稚内行きの特急停車駅である幌延の2つ手前にある小さな駅。列車の行き違いができる駅なので木造駅舎が残ったといわれている。駅のある幌延町は全国で最多となる秘境駅6つを抱える自治体として秘境駅を観光資源にしている。
しかし、2021年3月に2駅が廃止となり現在は4駅のみ。そのうちの1つが雄信内駅だ。かつては集落があったものの、幌延町の公式サイトによると「ゴーストタウン」化している。1.で取り上げた北一已駅同様、1日の利用者は平均1名以下だ。
「おのっぷない」とはアイヌ語の「オヌプウンナイ」(川尻に原野のある川)が転化したものとされる。駅の近くを流れる天塩川の眺めがおススメとのことだ。
3. JR仙山線「愛子駅」【宮城県仙台市青葉区】
仙台と山形を結ぶJR仙山線の駅。仙台駅から30分足らずで到着できるとともに、この駅で折り返す列車が多数ある。仙台~愛子間は快速を含めて1時間に3本走っているので仙台近郊区間として機能している。
愛子といえば女性の名前、とくに天皇陛下の令嬢が愛子さまなので、それにあやかって入場券が多数売れたこともあったという。
ただし、駅名は「あいこ」ではなく「あやし」と読む。愛子という地名は、下愛子にある子愛(こあやし)観音(子安観音)に由来するとの説が有力である。読み方が不思議で、あやしい響きのある地名であり駅名だ。
4. 東葉高速鉄道「飯山満」駅【千葉県船橋市】
東京メトロ東西線の東の終点西船橋駅から延びる東葉高速鉄道線にある駅。電車はほとんどすべて東西線からの直通運転だ。駅名は、どこかに住んでいそうな「いいやま・みつる」さんという人名に由来するものではなく「はさま」と読む。
谷あいの場所、谷と谷のはざま(はさまれた場所)に由来するのではないかとの説がある。地元では「はざま」と言う人もいるので、有力な説であろう。農村から住宅地へと変わりつつあり、開業は1996年と比較的新しいので、まだまだ開発が進みそうだ。
1996年開業だけあって新しい高架の飯山満駅
5. 関東鉄道常総線「騰波ノ江」駅【茨城県下妻市】
趣のある騰波ノ江駅
JR常磐線の取手駅とJR水戸線の下館駅を結ぶ関東鉄道常総線の駅。首都圏では珍しい非電化路線であり、列車はすべてディーゼルカーだ。古い木造駅舎が有名で、映画やドラマのロケ地として利用されてきた。残念ながら老朽化のため2008年に取り壊され、今の駅舎は再建された2代目。木造駅舎の伝統を受け継いでいる。
関東鉄道の駅名標は形がちょっと面白い
騰波ノ江(とばのえ)の駅舎を利用したイベントもしばしば開かれ、町おこしに一役買っている。駅名の由来は万葉集の「鳥羽の淡海(おうみ)」と記された付近の旧村名が駅名として残ったものだ。「栄華盛衰を物語る駅」として関東の駅百選にも選ばれている。
6. 富山地方鉄道立山線・上滝線「岩峅寺駅」【富山県中新川郡立山町】
風格のある岩峅寺駅の駅舎
立山黒部アルペンルートの富山側アクセス鉄道にあたる立山線の駅。電鉄富山駅からこの駅で折り返す電車もあり行先表示にも出る駅名だが「峅」の字が珍しく読めない人が多い。「いわくらじ」と読み、不二越・上滝線とのジャンクションでもあるので、風情のある駅舎が建っている。
岩峅寺駅名標
今では観光で有名な立山であるが、古くは霊山であり信仰の山だった。岩峅寺の「峅」は「神様の降り立つ場所」という意味で、信仰に関係した地名である。
7. JR高山本線「坂祝」駅【岐阜県加茂郡坂祝町】
特急「ワイドビューひだ」の停車駅美濃太田の手前の駅。駅裏にあったセメント工場への貨物列車が多く発着し賑わっていたが、2007年に貨物列車の運行は取りやめとなり、静かな駅になった。
坂祝駅の駅名標
千年以上の歴史があるとされる坂祝(さかほぎ)神社に由来する地名だが、普通列車しか停車しないマイナーな駅なので、読み方を知る人は多くない。JR岐阜駅から普通列車に乗れば30分ほどで到着する。
8. JR桜井線の3つの駅「京終」駅、「帯解」駅、「櫟本」駅【奈良県奈良市、天理市】
京終駅の駅名標
奈良県内を走るJR桜井線は「万葉まほろば線」の愛称のように歴史ある地を結ぶ路線だ。したがって沿線には由緒ある地名が点在する。とくに奈良駅の隣の京終(きょうばて)駅からは帯解(おびとけ)駅、櫟本(いちのもと)駅と難読駅が連続し、さすが「いにしえの地」を結ぶ路線にふさわしい。
京終とは平城京の南端、ここで都が終わる(果てる)の意味だ。最近、古い木造駅舎をリニューアルして観光客にアピールしている。
帯解駅の駅名標
帯解駅は、すぐ近くに安産祈願で知られた帯解寺があることにより命名された。この寺は雅子妃をはじめ皇族が安産祈願で訪れている。
櫟本駅の駅名標
さらに、櫟本駅は、天狗の住む巨大な櫟(イチイ)の木の根元があったという言い伝えに由来する。連続する3つの駅が、いずれも難読駅とは珍しい。
9. JR徳島線「府中」駅【徳島県徳島市】
府中駅と聞くと、首都圏の人であれば京王線府中駅を、広島の人であればJR福塩線の府中駅を、また大阪の人であればJR阪和線の和泉府中駅を思い浮かべるであろう。いずれも「ふちゅう」と読み、「難読駅ではないのでは?」と答えるであろう。
「ふちゅう」ではなく「こう」と読むJR徳島線の府中駅
しかし、徳島にある府中駅は「こう」と読む。「こう」だと言われてもポカンとしてしまう人が大半であろう。したがってJR徳島線の府中駅は難読駅と言わざるを得ない。
府中とは、奈良・平安時代に国府が置かれた地のことで各地に存在する。徳島の府中は阿波国府があった場所で、「ふちゅう」は「不忠」につながると考えた徳島藩は、国府を「こう」とも呼ぶので、それにかけて「こう」と呼ばせた。「こう」は「孝」にも通じるので良い読み方と考えたのであろう。
10. JR大村線「彼杵」駅【長崎県東彼杵郡】
長崎県内の2大都市である長崎市と佐世保市を結ぶJR大村線にある駅。快速「シーサイドライナー」の停車駅でもある。彼杵とは、空から大量の杵が降ってきたという不思議な伝説に由来するなど諸説あり詳しいことはわかっていない。「その杵(きね)」がいつしか変化して「そのき」転じて「そのぎ」になったのではといわれている。
彼杵駅の駅名標
長崎以外では読める人が少ない難読地名、駅名であろう。
難読駅は、まだまだある。これを機に各地の駅名を調べてみてはいかがだろうか。身近な路線にも読み方が特殊な駅名は意外にあり、新たな発見があると思う。
(文:野田 隆(鉄道ガイド))
https://news.infoseek.co.jp/article/allabout_50925/

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大型クルーズ客船2隻 来月の白老港寄港中止 新型コロナ感染拡大を考慮

2021-05-23 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2021.05.22
6月に予定されていた大型クルーズ客船2隻の白老港への寄港が中止となった。13日に商船三井客船(東京)の「にっぽん丸」(総トン数2万2772トン、乗客定員532人)、17日には日本クルーズ客船(大阪市)の「ぱしふぃっく びいなす」(2万6594トン、620人)の寄港が計画されていたが、両社はいずれも新型コロナウイルス感染拡大の状況を踏まえて運航を取りやめた。

日本クルーズ客船の「ぱしふぃっく びいなす」
 商船三井客船は、新潟港発着で白老港と釧路港を巡る「初夏の北海道クルーズ」を6月12~15日を日程として計画。「にっぽん丸」の船内で乗客にブランド牛「白老牛」の料理の提供も企画し、13日に白老港第3商港区に停泊する予定だった。
 しかし、新型コロナウイルス感染者の急増で北海道にも緊急事態宣言が発令されるなど、感染拡大の状況を考慮して21日までにツアーの中止を決めた。
 同社は「クルーズ運航に向けて関係機関と調整を進めていたが、社会状況を鑑みて取りやめることにした」とし、「時期は未定だが、コロナの状況を見ながら、白老寄港の北海道クルーズの企画にまたチャレンジしたい」と言う。
 一方、日本クルーズ客船が運航する「ぱしふぃっく びいなす」は、横浜港発着で6月15~24日を日程とした「日本一周探訪クルーズ」の北海道の寄港先として、17日に白老港第3商港区に入る予定だった。停泊中のオプショナルツアーとしてアイヌ文化発信拠点・民族共生象徴空間(ウポポイ)見学と白老観光も企画していたが、コロナ感染拡大の影響で最少催行人数に達しなかったこともあって、同社は運航の中止を決めた。
 「ぱしふぃっく びいなす」は昨年も新型コロナの影響で、白老港への寄港を組み込んだ「秋の日本一周クルーズ」の催行を取りやめており、中止は2年連続となった。
 町は大型クルーズ客船2隻の寄港に向け、高校生と町民の吹奏楽演奏やアイヌ民族の儀礼などを取り入れた出港時の見送りセレモニーを計画。準備を進めていた中で、両社から中止の連絡が入ったという。白老港の利用促進へクルーズ客船の誘致に力を入れてきた町は、今回の措置について「残念ではあるが、コロナ禍の現状を踏まえるとやむを得ない」としている。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/21745

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