ナショナルジオグラフィック 2021.05.1
二酸化炭素の急減「オービス・スパイク」と森林再生の関係を調査、最新研究
CO2の激減とは無関係?
このことから、少なくともアマゾンでは、先住民が大量死し始めて以降の森林再生は、小氷期の原因のひとつとなったCO2濃度の減少にあまり寄与しなかったのではないかとブッシュ氏は考えている。「大気中のCO2濃度を顕著に変化させるためには、アマゾンの広大な地域が一斉に変化しなければなりません。過去のどの時期にもそのような変化は見られず、森林の変化は空間的にも時間的にも分散しています」
だからといって、現在進行しているアマゾンの森林破壊を心配する必要はないということにはならない。「現在の火災や森林破壊ははるかに大規模で、アマゾンがCO2の吸収源ではなく供給源となる転換点に到達する恐れは、残念ながら極めて現実的だと思います」とブッシュ氏は憂慮する。(参考記事:「アマゾン盆地、実は温暖化を助長している可能性、研究」)

ギャラリー:アマゾン孤立部族の暮らし 写真33点(写真クリックでギャラリーページへ)
ブラジルの先住民アワ族の5家族が、森へ一泊旅行に出かけていく。彼らはブラジル政府の先住民当局が作った入植地ポスト・アワ村に定住するようになったが、森を恋しく思っており、こうした旅行をすることによって、伝統的な暮らしとのつながりを保っている。ブラジル政府が先住民に対して現在のような非接触政策をとるようになったのは、1987年以降のことだ。(PHOTOGRAPH BY CHARLIE HAMILTON JAMES)
香港大学の地理学者アレクサンダー・コッホ氏は、先住民の大量死と小氷期との関連を示唆する2019年の論文の筆頭著者だ。「花粉のデータからは、特定の場所の森林が再生したかどうかしかわかりません」と氏は指摘する。今回新たに発表された研究は、米大陸全体について言及した2019年の論文の「主な仮説を反証するものではない」と氏は考えている。
コッホ氏は、今回の研究は重要な貢献をしていると評価しながらも、植民地化によって人口が大幅に減少したメキシコ、中米、アンデス山脈に比べて、アマゾンがCO2濃度にもたらした影響は限定的だったのではないかと考えている。「アマゾンの大部分はヨーロッパ人が進出するのは困難で、病気や植民者の影響を比較的受けにくかったのでしょう」。氏の分析では、CO2吸収量の増加のうち、アマゾンでの増加分は全体の4%にすぎなかったとしている。
一方のマクマイケル氏は、「ヨーロッパ人は徐々にアマゾンに進出していったのです」と話す。メキシコやアンデス山脈には、ヨーロッパ人の到来直後に大量死が起こった証拠が多く残る。アマゾンの先住民に最大の打撃がもたらされたのは、それよりも後だったのかもしれない。
紛争と病気ですでに人口が減っていた
多くの場所では森林の再生が、ヨーロッパ人の到来より何百年も前に起きていたという新しいデータを根拠に、ブッシュ氏とマクマイケル氏は、アマゾンの人口はヨーロッパ人の米大陸到来よりもずっと前にピークに達していたのではないかと考えている。そして、この地域の人口が減少し、以前より少ない水準で安定したことで、森林は、人間の活動が最も盛んだった頃の状態から回復することができたのではないかと推測している。
考古学的証拠を用いて人口の増減を研究してきた英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)の考古学者マヌエル・アロヨ・カリン氏も同意見だ。氏は今回の研究には関わっていない。氏は、「ヨーロッパ人による植民地化の結果として先住民集団が崩壊したことは、民族史的な証拠が明確に示しています」と指摘する一方で、自身の研究もまた、アマゾン先住民の人口がピークに達したのは「その何世紀も前だった可能性」を示唆していると認める。
では、ヨーロッパの侵略者がまだ来ていない時代に、なぜアマゾン先住民の人口が減少したのだろうか? ブッシュ氏とマクマイケル氏が論文中で指摘しているのは、西暦1000〜1200年の間に、隣接するアンデス山脈で紛争が増えていたことを示す「割れた頭蓋骨」や「防御柵」などの証拠が見つかっている点だ。他の研究者も、1200年以降になると、アマゾンの集落の要塞化を示す証拠が増えると報告している。(参考記事:「かつてのアマゾンに大量の集落、従来説覆す」)
「これは、人々が分散せずに特定の地域に集まり、守りを固める方向に再編されたことを示しています」とブッシュ氏は指摘し、人々が避けた辺境地域で、森林が回復したのではないかと話す。
また、アンデス山脈では1000〜1300年の間に結核が流行した証拠があり、それが交易を通じてアマゾンに広がった可能性もある。米バンダービルト大学の人類学者ティフィニー・タン氏は、「アマゾンの人々が、波乱の時代を経験した高地アンデスの隣人たちと同じような問題に直面していたのではないか、というのは妥当な考え方です」と話す。氏はアンデスの人々を襲った激動について研究しているが、今回のアマゾンの研究には参加していない。
低地の湖の堆積物に含まれる花粉のデータと、高地での病気や暴力に関する証拠を統合するのは、挑戦的な課題だとタン氏は言う。「だからこそ私たちは、考古学データが豊富に残る地域からより良い環境データが得られることを期待していますし、その逆も期待しているのです」
古生態学者のブッシュ氏とマクマイケル氏も、同じ方向を目指している。「私たちは今、考古学者と一緒に研究をしています。次は、彼らが調べている遺跡の近くの湖に行って、何がわかるか調べたいと思っています」
文=TIM VERNIMMEN/訳=三枝小夜子
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/051700235/?P=2
二酸化炭素の急減「オービス・スパイク」と森林再生の関係を調査、最新研究
CO2の激減とは無関係?
このことから、少なくともアマゾンでは、先住民が大量死し始めて以降の森林再生は、小氷期の原因のひとつとなったCO2濃度の減少にあまり寄与しなかったのではないかとブッシュ氏は考えている。「大気中のCO2濃度を顕著に変化させるためには、アマゾンの広大な地域が一斉に変化しなければなりません。過去のどの時期にもそのような変化は見られず、森林の変化は空間的にも時間的にも分散しています」
だからといって、現在進行しているアマゾンの森林破壊を心配する必要はないということにはならない。「現在の火災や森林破壊ははるかに大規模で、アマゾンがCO2の吸収源ではなく供給源となる転換点に到達する恐れは、残念ながら極めて現実的だと思います」とブッシュ氏は憂慮する。(参考記事:「アマゾン盆地、実は温暖化を助長している可能性、研究」)

ギャラリー:アマゾン孤立部族の暮らし 写真33点(写真クリックでギャラリーページへ)
ブラジルの先住民アワ族の5家族が、森へ一泊旅行に出かけていく。彼らはブラジル政府の先住民当局が作った入植地ポスト・アワ村に定住するようになったが、森を恋しく思っており、こうした旅行をすることによって、伝統的な暮らしとのつながりを保っている。ブラジル政府が先住民に対して現在のような非接触政策をとるようになったのは、1987年以降のことだ。(PHOTOGRAPH BY CHARLIE HAMILTON JAMES)
香港大学の地理学者アレクサンダー・コッホ氏は、先住民の大量死と小氷期との関連を示唆する2019年の論文の筆頭著者だ。「花粉のデータからは、特定の場所の森林が再生したかどうかしかわかりません」と氏は指摘する。今回新たに発表された研究は、米大陸全体について言及した2019年の論文の「主な仮説を反証するものではない」と氏は考えている。
コッホ氏は、今回の研究は重要な貢献をしていると評価しながらも、植民地化によって人口が大幅に減少したメキシコ、中米、アンデス山脈に比べて、アマゾンがCO2濃度にもたらした影響は限定的だったのではないかと考えている。「アマゾンの大部分はヨーロッパ人が進出するのは困難で、病気や植民者の影響を比較的受けにくかったのでしょう」。氏の分析では、CO2吸収量の増加のうち、アマゾンでの増加分は全体の4%にすぎなかったとしている。
一方のマクマイケル氏は、「ヨーロッパ人は徐々にアマゾンに進出していったのです」と話す。メキシコやアンデス山脈には、ヨーロッパ人の到来直後に大量死が起こった証拠が多く残る。アマゾンの先住民に最大の打撃がもたらされたのは、それよりも後だったのかもしれない。
紛争と病気ですでに人口が減っていた
多くの場所では森林の再生が、ヨーロッパ人の到来より何百年も前に起きていたという新しいデータを根拠に、ブッシュ氏とマクマイケル氏は、アマゾンの人口はヨーロッパ人の米大陸到来よりもずっと前にピークに達していたのではないかと考えている。そして、この地域の人口が減少し、以前より少ない水準で安定したことで、森林は、人間の活動が最も盛んだった頃の状態から回復することができたのではないかと推測している。
考古学的証拠を用いて人口の増減を研究してきた英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)の考古学者マヌエル・アロヨ・カリン氏も同意見だ。氏は今回の研究には関わっていない。氏は、「ヨーロッパ人による植民地化の結果として先住民集団が崩壊したことは、民族史的な証拠が明確に示しています」と指摘する一方で、自身の研究もまた、アマゾン先住民の人口がピークに達したのは「その何世紀も前だった可能性」を示唆していると認める。
では、ヨーロッパの侵略者がまだ来ていない時代に、なぜアマゾン先住民の人口が減少したのだろうか? ブッシュ氏とマクマイケル氏が論文中で指摘しているのは、西暦1000〜1200年の間に、隣接するアンデス山脈で紛争が増えていたことを示す「割れた頭蓋骨」や「防御柵」などの証拠が見つかっている点だ。他の研究者も、1200年以降になると、アマゾンの集落の要塞化を示す証拠が増えると報告している。(参考記事:「かつてのアマゾンに大量の集落、従来説覆す」)
「これは、人々が分散せずに特定の地域に集まり、守りを固める方向に再編されたことを示しています」とブッシュ氏は指摘し、人々が避けた辺境地域で、森林が回復したのではないかと話す。
また、アンデス山脈では1000〜1300年の間に結核が流行した証拠があり、それが交易を通じてアマゾンに広がった可能性もある。米バンダービルト大学の人類学者ティフィニー・タン氏は、「アマゾンの人々が、波乱の時代を経験した高地アンデスの隣人たちと同じような問題に直面していたのではないか、というのは妥当な考え方です」と話す。氏はアンデスの人々を襲った激動について研究しているが、今回のアマゾンの研究には参加していない。
低地の湖の堆積物に含まれる花粉のデータと、高地での病気や暴力に関する証拠を統合するのは、挑戦的な課題だとタン氏は言う。「だからこそ私たちは、考古学データが豊富に残る地域からより良い環境データが得られることを期待していますし、その逆も期待しているのです」
古生態学者のブッシュ氏とマクマイケル氏も、同じ方向を目指している。「私たちは今、考古学者と一緒に研究をしています。次は、彼らが調べている遺跡の近くの湖に行って、何がわかるか調べたいと思っています」
文=TIM VERNIMMEN/訳=三枝小夜子
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/051700235/?P=2