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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

米先住民の大量死は17世紀の寒冷化に影響した? アマゾンで検証

2021-05-18 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック 2021.05.1
二酸化炭素の急減「オービス・スパイク」と森林再生の関係を調査、最新研究
CO2の激減とは無関係?
 このことから、少なくともアマゾンでは、先住民が大量死し始めて以降の森林再生は、小氷期の原因のひとつとなったCO2濃度の減少にあまり寄与しなかったのではないかとブッシュ氏は考えている。「大気中のCO2濃度を顕著に変化させるためには、アマゾンの広大な地域が一斉に変化しなければなりません。過去のどの時期にもそのような変化は見られず、森林の変化は空間的にも時間的にも分散しています」
 だからといって、現在進行しているアマゾンの森林破壊を心配する必要はないということにはならない。「現在の火災や森林破壊ははるかに大規模で、アマゾンがCO2の吸収源ではなく供給源となる転換点に到達する恐れは、残念ながら極めて現実的だと思います」とブッシュ氏は憂慮する。(参考記事:「アマゾン盆地、実は温暖化を助長している可能性、研究」)

ギャラリー:アマゾン孤立部族の暮らし 写真33点(写真クリックでギャラリーページへ)
ブラジルの先住民アワ族の5家族が、森へ一泊旅行に出かけていく。彼らはブラジル政府の先住民当局が作った入植地ポスト・アワ村に定住するようになったが、森を恋しく思っており、こうした旅行をすることによって、伝統的な暮らしとのつながりを保っている。ブラジル政府が先住民に対して現在のような非接触政策をとるようになったのは、1987年以降のことだ。(PHOTOGRAPH BY CHARLIE HAMILTON JAMES)
 香港大学の地理学者アレクサンダー・コッホ氏は、先住民の大量死と小氷期との関連を示唆する2019年の論文の筆頭著者だ。「花粉のデータからは、特定の場所の森林が再生したかどうかしかわかりません」と氏は指摘する。今回新たに発表された研究は、米大陸全体について言及した2019年の論文の「主な仮説を反証するものではない」と氏は考えている。
 コッホ氏は、今回の研究は重要な貢献をしていると評価しながらも、植民地化によって人口が大幅に減少したメキシコ、中米、アンデス山脈に比べて、アマゾンがCO2濃度にもたらした影響は限定的だったのではないかと考えている。「アマゾンの大部分はヨーロッパ人が進出するのは困難で、病気や植民者の影響を比較的受けにくかったのでしょう」。氏の分析では、CO2吸収量の増加のうち、アマゾンでの増加分は全体の4%にすぎなかったとしている。
 一方のマクマイケル氏は、「ヨーロッパ人は徐々にアマゾンに進出していったのです」と話す。メキシコやアンデス山脈には、ヨーロッパ人の到来直後に大量死が起こった証拠が多く残る。アマゾンの先住民に最大の打撃がもたらされたのは、それよりも後だったのかもしれない。
紛争と病気ですでに人口が減っていた
 多くの場所では森林の再生が、ヨーロッパ人の到来より何百年も前に起きていたという新しいデータを根拠に、ブッシュ氏とマクマイケル氏は、アマゾンの人口はヨーロッパ人の米大陸到来よりもずっと前にピークに達していたのではないかと考えている。そして、この地域の人口が減少し、以前より少ない水準で安定したことで、森林は、人間の活動が最も盛んだった頃の状態から回復することができたのではないかと推測している。
 考古学的証拠を用いて人口の増減を研究してきた英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)の考古学者マヌエル・アロヨ・カリン氏も同意見だ。氏は今回の研究には関わっていない。氏は、「ヨーロッパ人による植民地化の結果として先住民集団が崩壊したことは、民族史的な証拠が明確に示しています」と指摘する一方で、自身の研究もまた、アマゾン先住民の人口がピークに達したのは「その何世紀も前だった可能性」を示唆していると認める。
 では、ヨーロッパの侵略者がまだ来ていない時代に、なぜアマゾン先住民の人口が減少したのだろうか? ブッシュ氏とマクマイケル氏が論文中で指摘しているのは、西暦1000〜1200年の間に、隣接するアンデス山脈で紛争が増えていたことを示す「割れた頭蓋骨」や「防御柵」などの証拠が見つかっている点だ。他の研究者も、1200年以降になると、アマゾンの集落の要塞化を示す証拠が増えると報告している。(参考記事:「かつてのアマゾンに大量の集落、従来説覆す」)

「これは、人々が分散せずに特定の地域に集まり、守りを固める方向に再編されたことを示しています」とブッシュ氏は指摘し、人々が避けた辺境地域で、森林が回復したのではないかと話す。
 また、アンデス山脈では1000〜1300年の間に結核が流行した証拠があり、それが交易を通じてアマゾンに広がった可能性もある。米バンダービルト大学の人類学者ティフィニー・タン氏は、「アマゾンの人々が、波乱の時代を経験した高地アンデスの隣人たちと同じような問題に直面していたのではないか、というのは妥当な考え方です」と話す。氏はアンデスの人々を襲った激動について研究しているが、今回のアマゾンの研究には参加していない。
 低地の湖の堆積物に含まれる花粉のデータと、高地での病気や暴力に関する証拠を統合するのは、挑戦的な課題だとタン氏は言う。「だからこそ私たちは、考古学データが豊富に残る地域からより良い環境データが得られることを期待していますし、その逆も期待しているのです」
 古生態学者のブッシュ氏とマクマイケル氏も、同じ方向を目指している。「私たちは今、考古学者と一緒に研究をしています。次は、彼らが調べている遺跡の近くの湖に行って、何がわかるか調べたいと思っています」
文=TIM VERNIMMEN/訳=三枝小夜子
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/051700235/?P=2

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<ウポポイ オルシぺ>15 探究展示 テンパテンパ 物と伝承者 触れて感じて

2021-05-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/17 05:00
 博物館の基本展示室は、「私たちのことば」など六つのテーマに分かれていますが、その「すきま」の位置に、サケ、シカなどのブルーグリーンのサインがついた、少し風変わりな展示コーナーがあります。「探究展示 テンパテンパ」というコーナーです。
 そこには、サケの解体模型と料理カード、昔のコタン(集落)のジオラマ、素材や刺繍(ししゅう)まで再現されたミニサイズの着物、シカのぬいぐるみ、むかしの家が組み立てられる模型など、18種類の体験ユニットが用意されています。引き出しを開けると、イタ(盆)、マキリ(小刀)、ラッコの毛皮など、関連した実物の資料が出てきます。
 「テンパテンパ」は「さわってね」という意味のアイヌ語です。探究展示は(コロナ禍でなければ)ほぼ全てがさわって体験できる展示物です。見た目は子ども向けに見えるかもしれませんが、大人の方にもいろんな体験をしていただき、情報を持ち帰っていただけるように設計しています。
 探究展示のユニットや、引き出しの中にある新しい民具は、アイヌ文化の伝承者の方々に、この展示のために制作していただいたものです。実際に資料、「モノ」にさわっていただくことで、その背後には技術の伝承を長く続けておられる「ヒト」がいることを感じていただきたいと考えています。そして、展示室の展示資料や事柄、「コト」とつなげて体験していただけるように、博物館のエデュケーター(教育担当学芸員)も博物館の「ヒト」として、そのお手伝いをしたいと考えています。(笹木一義=国立アイヌ民族博物館研究主査)

 新型コロナウイルスの感染防止のため、5月現在、探究展示はさわって体験していただくことができませんが、エデュケーターによる解説・対話を行っています。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/544448

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マンハッタンのオープンカフェで人種差別を考えてみた

2021-05-18 | 先住民族関連
JBpress 2021/05/17 12:00
日本人の眼
 ニューヨークはワクチン接種がエネルギッシュに進み、COVID-19による制限が緩和されてきている。マスク着用の義務も緩やかになり、秋にはブロードウェー公演も再開される見込みがついてきた。賑わいのなくなったタイムズスクエアには、ショービジネス関係者専用のワクチン接種会場ができている。
 さて、久しぶりにマンハッタンのオープンカフェでマスクをしながらも春の日差しを浴びていると、昨年の緊急事態宣言が出てからの日々がスライドショーのように脳裏を過ぎていく。私も含めWork from Home(在宅勤務)が続くなか、曜日の感覚もあいまいになるBlursdayといわれる状態から脱している人たちの表情は明るく、交わされている会話もハ長調である。まるで長い冬眠からようやく覚醒している感がある。
 そんな人たちの顔は実にバラエティに富んでおり、ピープルズ・ウォッチングが好きな私にとってマンハッタンは格好の場所である。しかし、春を愛でている心のなかには澱のようなものがある。その澱はニューヨークに住み始めて30年あまり、いやそれ以前から心のどこかに存在し、それとじっくり対峙してみたい欲求にかられながらも、それがあまりにも恐ろしく、複雑で、センシティブで、エクスプローシブであるがゆえに、意識的に遠ざけていたようだ。それとは、日本では日常的に見聞きすることのない”人種差別”である。
 今まで私自身も被害者になったことがあるし、また、無意識だけれど加害者になっていたであろうとも思う。1982年にリリースされたスティーヴィー・ワンダーとポール・マッカートニーの”EBONY and IVORY"という曲は、白人と有色人種をピアノの黒鍵と白鍵にたとえた、ふたつのキーがあるから完全なハーモニーができるという内容だ。思い出す人も多いだろう。あれから約40年、かなしいかな完全なハーモニーはまだ出来上がっていない。
 私がカリフォルニアの大学院にいた1970年代、ルームメイトはイラン人だった。そのころ、イラン人学生がテヘランのアメリカ大使館を占拠する事件があり、キャンパス内ではイラン人留学生だけでなく他のアラブ諸国の学生までも、イスラム教徒であるというおおざっぱな理由で一括りにされた。そして、白人学生を中心としたハラスメントが彼らに向けて多く発生した。
 あるときルームメイトの彼は、イランから持ってきた細長い形をしたナッツを私にくれながら、我々はこれを”日本人の眼”と呼ぶんだ、と口に運びながら言った。続けて日本人の眼は細いからね、と屈託なく笑った。しかし、私は笑えなかった。なんだか行き場のない憤りを感じたことを覚えている。ジョークとして放った言葉かもしれないが、その悪意の不在(Absence of Malice)の言葉を言い続けて拡散すれば、それがノーマルとなるという恐ろしい法則を見つけたからだ。
 今回も前大統領の稚拙で思慮のない、一国を名指しで非難する言葉が不運にもSNSでノーマライゼーションを加速させ、COVID-19で精神的不安と経済的に追い詰められている人たちの行き場のない憤りの導火線に火をつけた。改めて現代のコミュニケーションの形態は”両刃の剣”であると自覚させられた。
Black Lives Matter NOW
 建国以来アメリカは、人種差別と民主主義の親和しない二つを内包し続けている。1960年代は黒人差別に対する運動があり、公民権運動を語るうえで特別な時代であった。これは大きなエポックメイキングになっただけでなく、人種の壁を越え、政治家、宗教家、アーティストなど様々な人々が声を上げる契機となった。そんななか、東部のユダヤ系の若者もその運動の支援のため南部に向かう。この時点では、紀元132年、ハドリアヌス帝ローマ軍とのバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)に負けて以来、様々な国で迫害を受け続けていたユダヤ系の住民と、黒人社会が結びつくと思われた。
 しかし現在、ユダヤ系の人たちは差別を受けながらもその社会的地位を確立し、経済的にも豊かである。一方で、黒人社会はそのようにはならなかった。”おいてけぼり”感や失望感、孤立感をひきずりながら今に至っている。スパイク・リー監督の代表作『マルコムX』(1992年製作)では、この部分を鋭く描写していた。
 まだ記憶に新しい南部の人種隔離政策や、マーティン・ルーサー・キング牧師事件などのセンセーショナルな映像は、一定の効果を生み出し黒人差別問題は一応の前進をみたものの、人々の心にはあまり深く定着せず、火種を残したままになったように感じる。
 コロナワクチン接種が加速している今でも、この国にはAnti-vaxxerと呼ばれる狂信的なワクチン反対論者がいる。また一部の黒人層がもつVaccine Hesitancy(ワクチン接種に対するためらい)は、過去に起きた「タスキギー事件」が理由だと言われている。これはアラバマ州に住む黒人399名が、梅毒に罹患していることを知らされず治療もされず、その経過観察のためだけにアメリカ公衆衛生局が主導した、人体実験(1932年から1972年まで実施)だ。日本で知る人の数少ない悍しい事件である。
 そして2019年、インディアナポリス起きた白人警官による黒人男性死亡事件をきっかけに、今までよりも力強いBLM(Black Lives Matter)運動が始まった。それまで心の片隅にしかなかった人種差別への関心が高まり(とはいっても、他国に比べると人種差別に関するセンシティビティは高いと思うが)、今まで以上に人種差別撲滅のための様々な行動がなされてきている。しかしながら相変わらず、黒人が白人警官に射殺される事件は後を絶たない。
黄禍再び。アジア系住民へのヘイトクライム
 今までアメリカという国のなかで、少なくともニューヨークは様々な人種のデリケートなバランスを保ちながら運命共同体を構成できている、と考えていた。ところが黒人差別問題だけではなく、COVID-19パンデミック以降、多くの都市でのアジア系住民へのヘイトクライムやハラスメントを、連日のようにメディアは報じている。アジア系アメリカ人同盟(AAF)によると、昨年のヘイトクライムはニューヨーク市だけで約500件の報告がされているけれど、立件されたのはわずか30件ほどだという。
 40年近く住んでいるこの国で、しかも多くの人種が住み暮らすニューヨークで、ここまであからさまに暴力や暴言でアジア系住民を攻撃する不幸な出来事を、私はかつて見たことも経験したこともなかった。不幸にも前大統領が政治の道具としてつくり上げた”チャイナウィルス“や”カンフル”(カンフーとインフルエンザでつくった造語)は、黒人社会よりはるかに小さいアジア系住民社会をさらに脆弱な存在にしている。
 近年、中国本土からの移民が急増している。が、それでも黒人社会やヒスパニック系社会と比較すれば、まだマイノリティのほんの一部である。これまでもアジア系への差別や偏見はあったし、侮蔑する言葉も存在していた。アジア人被害者は周りを気にして届け出ない。波風立てないという態度であり、問題とされなかったのも事実である。さらに最近は、今世紀最大の地政学上の挑戦と言われる米中関係も悪化し、アジア系へのヘイトクライムを助長している。またさらに胸が痛むことは、加害者や容疑者の多くに人種偏見を受けてきた人たちがいることである。
 マンハッタンの住民にとって、中国をはじめ日本、ベトナム、タイ、韓国などの料理は日常生活の一部である。街角にはあらゆる国のフードトラックに行列ができている。それぞれの故国や祖国にちなんだパレードやお祭りがあり、人種を超えそれを楽しんでいる。そんな街でヘイトクライムは起こっている。ダブルスタンダードと簡単に言い捨てるには、問題が大きすぎる。
 社会が危機に直面しているとき、人々はうろたえ行き場のないフラストレーションを感じる。混乱するのは当たり前のことである。しかし、国家権力はその社会不安を真正面から受け止る努力をせず、スケープゴートとしてアジアの一国を選んだのだ。その国を故国や祖国とするアメリカ国民がいることをマイノリティのごく一部であるがゆえに、無視することは許されてはならない。
 ようやくこの不幸なヘイトクライムの急増で、アジア系住民が声を上げだしたことは大きな一歩であり、こんごも、この声を発し続けることを忘れてはならない。この国は声を上げないものに耳を貸そうとはしないのだから。
社会不安での人種差別+負の情報拡散=ヘイトクライム
 1980年代、日米貿易摩擦の下での日本車排斥運動では、不幸にも中国系アメリカ人男性が日本人に間違えられ殺害された。このデトロイトの事件だけでなく、ロサンゼルスの大暴動では、韓国系住民の地域をも巻き込んだ。9.11では、アラブ系住民がヘイトクライムの被害にあったことを記憶している人は多いと思う。19世紀末から20世紀初頭、西海岸では中国人や日本人労働者の排斥法が可決されているし、そのあとの日系アメリカ人の強制収容も歴史に刻まれている。
 ここで少々意地の悪い話をする。1918年から1920年、最初のH1N1亜型感染の報告がされたのはアメリカの陸軍基地だった。第一次大戦中のスペインは情報統制下になく、初期にスペインからこの感染拡大の情報がもたらされたために、”スペイン風邪”と呼ぶようになったのだ。もしそのとき、今のような情報伝達システムがあったとしたら”スペイン風邪”などとは呼ばれずに、最初の症例が報告された地に因んで”アメリカ風邪”とされていただろう。
 COVID-19パンデミックのなか”イギリス変異株”などと国名を使ったことは正しかったのであろうか? つい最近になってアメリカ国内ではその名称を”B117”と変更している。日本でも同様の動きがあると聞く。少し心が軽くなった人も少なくないと思う。
入植者とマイノリティ
 先住民、そのあと入ってきた入植者たち、そして入植者たちが強制的に連れてきた人々との関係性が人種差別の温床だ。今さらながらアメリカが抱える白人と有色人種との確執を知らされる。白人入植者は、その数と知恵で圧倒し先住民をいとも簡単にマイノリティに追いやったのだ。
 アメリカンインデイアンはいまだにインデイアン居留地で暮らす人たちが多い。貧困や薬物中毒の問題に悩んでいる。アラスカ州周辺に住み暮らすイヌイットと呼ばれる先住民族も同様である。日本人には最もなじみ深いハワイは元王国である。ハワイ語でハオレと呼ばれる白人がパワーでアメリカの一部にしたといっても過言ではない。
 『Hawai’i 78』は、卓越した才能で知られるハワイ州出身アーティストIZこと、
Israel Kamakawiwoʻole(イズラエル・カマカヴィヴォオレ)の代表曲のひとつ。失われた美しいハワイに対するあふれる愛を感じる名曲だ。IZは、かつてのハワイ王や女王が変わり果てた現在のハワイの姿を見たらどう思うだろう、と静かに嘆く。本当のハワイを取り戻そう、と歌う。心が痛むのは私だけではないと思う。
 人種差別はアメリカの特異な問題なのか? いや、決してそうではない。人種差別は宗教がからみ、さらに問題を複雑化させている。旧宗主国の無謀ともいえる国境の線引きでなどで生じた、様々な問題も世界には存在している。
 中国のウイグル族に対する処遇は、人権問題として国際外交に大きく取り上げられている。ミャンマーにおけるロヒンギャもそうである。韓国では、中国出身の朝鮮族の人たちへの世間の風当たりは強いと聞く。アフリカにおいても複数の部族による集合体であるため、一つの国家を信条的に確立できず内紛を起こすという例がいくつもある。日本も沖縄やアイヌ民族、在日朝鮮半島系(北も南も)、中国系と、様々な問題が多かれ少なかれ存在している。
 途上国の若者が”実習生”として日本で仕事をしているが、そこでも差別が存在するようである。南アメリカに目を向ければ、パタゴニアの先住民は、ヨーロッパからの入植者がもたらした病気により、免疫力がないためほとんどの種族が滅びている。南アメリカ・フエゴ諸島の南端の島々に存在し、日本人とおなじモンゴロイドのDNAをもつヤーガン族もまた、私が訪れた2016年、純潔な血統をもつ人としては老女がひとり残っているだけと聞いた。
 ヨーロッパに目を向けると、古くから存在するユダヤ系の人たちや、ロマ(ジプシーとされる集団のなかで、主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族)と呼ばれる人たちへの迫害や偏見があった。ドイツでは30年ほど前から、労働力不足を補うため大量にトルコ系の移民を受け入れた。結果、現在ではフランクフルト駅前はトルコ料理のレストラン街となっている。また近年、中東の国々の紛争は多くの難民を発生させた。北欧やヨーロッパの国では多くの難民を受け入れ、人種問題が表面化し政治的アジェンダとなっている。
 外国人のスキルや労働力を受け入れることで経済が維持される。難民を受け入れることが当たり前となっている世界では、ホモジーニアスな社会であるがゆえに安易に成立してきた、NORM(社会の標準的規範)の維持が難しくなっているのではないだろうか。
エキゾチック
 少し話はそれるが、ひとつの民族が別の民族を支配しようとするにはいろんな方法がある。そのなかで、いちばん簡単なものは言葉であろう。先住民の言葉をなくしてしまうことだ。現在アメリカンインデイアンで、それぞれの種族の言葉をつかえる人はどれくらいだろう? ハワイでは、学校でハワイ語を教えることを法律で禁止していた時期があった。ハワイではなくサンドウィッチ諸島と、ハワイ諸島の旧称で言われたら全く違うイメージを描いてしまう。さいわいハワイはハワイ語の地名が多く残されており、その地名の意味を知ることで文化をより深く理解することができる。
 ニューヨークでも、マンハッタン、ポキプシー、ロンコンコマなど、先住民の言葉が使われているところが残っているが、ニューヨークという地名も含め入植者の祖国への思いからか英語名がほとんどである。日本はどうであろう。やまと人は北方民族や琉球王国に対してはどうだったのであろう?
 アメリカのテレビや映画でも多くのばあいアジア系の俳優はエキゾチックな存在として配役され、ハワイやチャイナタウンのロケや戦争映画、マーシャルアーツの作品は別として、日常のシーンで登場することはあまりなかった。エキゾティックとロマンティックを結びつけるとポジティブなイメージになるのかもしれない。とてもシニカルなものの見方だろうけれど、エキゾティックと思うとき、それは”コンキスタドール”の眼で見ているのではと私は心配になる。
 最近テレビ番組でもアジア系映画の人気もあってアジア系俳優が主人公の番組が多くなった。また、BLMに始まった人種差別に対する運動と呼応して、テレビのCMでも白人以外俳優の登場が目立って多くなってきた。これが一過性のものでなくニューノーマルになることを期待したい。
Americanness
 移民のことに話を戻そう。どんな国に移民するばあいでも、その国に第一歩を踏んだときからサヴァイヴァルが始まる。その手段として自己本能的に同じ故国をもつ人に頼り、助け合う互助組織ができるのは自然な成り行きだ。リトルトーキョー、コリアンタウン、チャイナタウン、などアジア系が密に暮らす街ができる。ユダヤ系でもイタリア系でもそれは同じある。が、アジア系住民のなかには、英語になじまないが故に出身地の文化や言葉に固執し、自分がいま住んでいる国のことには関心を示さず、自分たちが持ち込んできたマナーや習慣をそのままこの国で通そうとする人もいる。
 マズローの理論では、「安全の欲求を満たされていないのに他人にかまっていられない」というレベルなのだから仕方がない、と科学的なジャッジを下されるかもしれない。が、それでは共生社会は成り立たなくなる。移民としての歴史が浅いアジア系の人々のなかには、自分はアメリカ人であるが、”Americaness”(アメリカ人らしさ)とは何か、と潜在的な悩みをもつ人が少なくない。とくに移民二世では、両親の故国と自分が生まれたアメリカとの板挟みになっていると感じる、と多くのアジア系の友人から聞いた。
アガペー
 市内バスの車中で周りを気にせず大声で話をするくせに、注意されると英語ができないふりをする。そんなエトランゼに出くわすことがある。こういう出来事が、気が付かないうちに心のなかにバイアスのかかったモノの見方を、記憶として蓄積させるのかもしれない。センシティビティの欠如は、ほかの人種を含め長くこの地に住んでいる人たちとの間に軋轢を生むことになる。
 When in Rome, do as Romans do.<郷に入れば郷に従え>という、使い古された言葉の意味を今一度考える必要もあるように思う。これは既存のものにすべて盲従するということではない。人種差別に関するセンシティビティやリテラシーの向上を考え、今一度多民族国家であるということを認知することで互いの文化、習慣や宗教を尊重し、”折り合い”を付けていくしかないのではないのだ。それがアメリカ”合衆国”であり、Americanであると信じたい。
トランスフォーメーションからくるパラダイムシフト
 最近DX をはじめトランスフォーメーションという言葉がいろんなところで使われている。
 アメリカの白人社会には、永年にわたり構築したNORM(標準、基準)のなかで快適に暮らし、マイノリティは、そのNORMのなかでおとなしくしていればいいと考える白人至上主義者が存在する。他民族共生社会の国が成熟する過程では、いままでの多数派のただの”習慣“と受け取られることになってくる。しかし人々は、そういったNORMでつくられた目に見える権威にしか目を向けない危険性がある。そして”進化”しないNORMは差別を生む火種となる可能性がある。今まで気持ちのうえでマジョリティであった人たちにとって、数のうえからも”声が大きくなるマイノリティ“は脅威と感じていると思う。その昔、故国を捨ててこの国にやってきたときの移民の精神は、今の移民であっても変っていないことに気づいていないのだ。
 あらゆる面で世界は大きく、そして驚くほどのスピードで変わっている。必要なのは、ゆく先を長期に見据えたものの考え方だ。アメリカは、夢のような目標を掲げる人たちを受け入れ、応援する社会である。そしてそれを支えていくのは多様性である。いろんな価値観やモノの見方をもち、文化、言語や宗教も違う人たちがそれを支えているのである。アメリカはこのまま人種差別を深刻なまま放置し続け、その結果多様性を受け入れる力を失うことが、どれほど致命的になるかを知っているはずだ。過去の大多数が構築したNORMに拘泥するあまり、変革を恐れることは死滅を意味するとさえ感じる。
 社会心理学に、”in group"と”out group”という考え方がある。我々はいとも簡単に自分がグループに属することで安心を得る。反面、自分とは違うグループを理解もせず、違うという理由だけで主体的に判断し簡単に敵対行動をとり、怒りのはけ口にする。それが現在の人種差別という社会の“ひび”を深くしている。我々自身が相対的に相手を見て理解することが、その“ひび”を埋めていく解決の大きな契機になるはずだ。
 この街は世界に類のない多民族都市になり、人々はコスモポリタンになりつつあった。これからも進み続ける変革のためには、幼いころから相対的なモノの見方を養い司法のコントロールでなく、相手の痛みを理解するという根気のいる、根源的なことから始めなければならないと強く思う。
WHAT A WONDERFUL WORLD
 マンハッタンのカフェで春の日差しを浴びながら、沈思にふけったこの話はここで擱筆したいと思う。私は恐ろしく大きな人種差別に対してまだまだ理解が浅く、人種差別という人権侵害に対して具体的に明快な解決策を出せてはいない。ただこの問題に対する所感を述べるに終わったが、問題意識を心のどこかにもちながら声を上げ、行動に反映させるという当たり前のことをしようと思う。なんだか気持ちの沈む話が多かったが、我々の住むこの世界は現実的に、人種差別を肯とする人々こそマイノリティである。我々ひとり一人の心のなかに差別に対する敏感なレーダーを稼働し続けることが、人類が素晴らしいと思う世界の礎の一つになると信じたい。
 イランから来た友人が発した、”日本人の眼”に関するコメントにへこんだ私であったが、それには後日談がある。ある日私は高熱でベッドから起き上がれない状況だった。そのとき、同じ研究をしていたウガンダの友人に研究室へ行けないと話した。彼は独裁者イディ・アミンから逃れ、命からがらアメリカの大学院で極貧生活しながら勉強していた。私の部屋にやってきた彼が手に持っていたものは、ウガンダの部族に古くから伝わる様々なハーブを煎じた薬であった。おかげで、私はたちまちのうちに回復した。そしてその材料を探すのを手伝ったのは、件のイラン人の友人であった。
 ルイ・アームストロングの代表曲の一つである“What a Wonderful World”を私はこれからも大切に心のなかで歌い続けたい。
(沼田 隆一)
https://news.goo.ne.jp/article/jbpress/world/jbpress-65197.html

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室蘭撮影映画「モルエラニの霧の中」坪川監督ら来函【函館】

2021-05-18 | アイヌ民族関連
函館新聞 2021.05.17
映画の見どころや撮影秘話を語る坪川監督(左)と出演した市民キャスト
 室蘭市で撮影した映画「モルエラニの霧の中」の坪川拓史監督(49)と出演した市民キャストを招いたトークイベントが15日、上映中の函館市民映画館シネマアイリスで開かれた。
 同作は、NPO法人室蘭映画製作応援団の製作で、2014~18年に全編を室蘭で撮影。多くの市民キャストが参加し、7話連作形式で移ろう季節と街の風景、人々の人生を描いた。「モルエラニ」はアイヌ語で「小さな坂道を下りた場所」という室蘭の語源とされ、坪川監督は「アイヌ語の響きが美しく、タイトルにした。海の温度が違う内浦湾と太平洋に囲まれ、名物にすればいいくらい霧が流れ込んでくる」と話した。
 市民キャストの竹野留里さん(21)は撮影時は中学生。オーディションで江差追分を披露したことがきっかけで出演が決まった。「中学生の時はずっと室蘭の何がいいのだろうと思っていたが、映画に出て魅力や人の温かさを強く感じた。少しでも伝わってほしい」と話した。坪川監督が所属するバンドのライブを客として訪れてスカウトされたという橋本麻依さん(39)は「会いたい人や大切な場所を思い出したりするきっかけになる映画。私も通り過ぎていた場所に愛着やドラマを感じるようになった」と話した。
 また、村田博さん(65)は「よくもこんな奇跡的な映画に我々のような素人が参加させてもらえたと今は思うが、当時は無我夢中だった。今後もこの映画の巣立ちにご協力いただければ」と話した。
 大杉漣さん、小松政夫さんら出演したプロの俳優たちも、室蘭になじもうと、撮影のない時間にも出歩く姿が見られたという。坪川監督は「漣さんは『映画は船旅。大変なことはあるけど絶対いつかすてきな港に着くから』と言ってくれていた。やっと映画館という港に着いたのに」と完成した作品を観ることなく亡くなった関係者への思いにも触れた。
 同館での上映は20日まで。問い合わせは(0138・31・6761)へ。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/21684

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チリ、新憲法つくる男女均等議会誕生へ 先住民枠も 国民投票で実現

2021-05-18 | 先住民族関連
毎日新聞 2021/5/17 10:58(最終更新 5/17 17:17) 有料記事 496文字
 南米チリで15、16の両日、新憲法の草案をつくる議員155人を選ぶ制憲議会選が行われ、16日開票された。男女がほぼ半数になる規定で、世界に例を見ない男女均等の議員の手による憲法が生まれる見通し。現地メディアが報じた。制憲議会選は、昨年10月の国民投票で約8割が新憲法制定に賛成したことを受けて実施された。
 制憲議会議員は候補者1300人以上の中から選ばれる。17人の先住民枠も設けられている。性別や民族による差別や不均衡をなくす内容の新憲法が期待されている。
この記事は有料記事です。 残り266文字(全文496文字)
https://mainichi.jp/articles/20210517/k00/00m/030/033000c

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