先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

フィリピン支配やハワイ併合…米国の孤立主義と棍棒外交に学ぶ中国

2014-11-25 | 先住民族関連
2014.11.24 09:47 産経デジタル
 中国の習近平国家主席(61)が掲げるスローガンや実行するキャンペーンは、毛沢東(1893~1976年)を気取っているとも分析されるが、失敗例の学習は滅亡時期が早まり歓迎したい。しかし、南北米大陸に勢力圏を構築するに至る19世紀の米国《モンロー(孤立)主義》や、「成功例」のフィリピン支配/ハワイ併合といったモンロー主義に続く《棍棒外交》を学んでいるとすれば、大きな災いがわが国に降りかかる。
 共通する背景
 米国は先住民掃討完了(フロンティア消滅宣言=1890年)後10年も経ずしてスペインに戦争を仕掛け、フィリピンやグアム島などスペイン領を奪い取りハワイも併合。棍棒外交を駆使し怒濤の勢いで太平洋を席巻、莫大な権益を得る。消滅宣言以前の米国は移民建国~西部開拓時代で、広大な土地を有し、欧州列強のように国外に植民地を求める必要がなかった。だが、白人入植者が西海岸に到達すると、開拓地がなくなる。そこで米大陸内で力を蓄えてきた米国は、消滅宣言まで看板だった、安全保障・経済上の生命線である米大陸以外は不干渉を貫くモンロー主義に軸足を残しつつも封印し、植民地強奪レースに参戦したのであった。
 当時の米国と現代中国には共通の背景が在る。すなわち▽チベット/ウイグル文化を葬る民族浄化に狂奔▽経済発展で資源・食料が必要となり、チベット/ウイグル以外に領域を拡大▽軍事・経済力が伴わぬ内は抑制的=孤立主義的だったが、力を付けるや凶暴に-など。
 凶暴さを増した米国は、太平洋を越え中国大陸を目指し、必然的に大日本帝國と激突した。習氏が5月《アジア相互協力信頼醸成措置会議》で行った講演にも「中国版モンロー主義」宣言=棍棒外交激化前夜の凶暴性が潜んでいた。
 「アジアのことは、詰まる所アジア人民がやればよい。アジアの問題は、詰まる所アジア人民が処理すればよい。アジアの安全保障も、詰まる所アジア人民が保てばよい」
 「中国はアジア安全保障観の積極的唱道者で、路線を確実に実践する」
 習氏の講演は(1)日本や韓国を含むアジア各国と米国との同盟は不必要(2)アジア太平洋の政治・安全保障環境安定に向けたASEAN(東南アジア諸国連合)地域フォーラム(ARF)に加盟していても、アジア以外の米国や豪州は口出しするな-と恫喝したに等しい。
 際限ない「戦略的国境」
 実際(1)に関連するが、習氏は国家主席就任前から、米国はアジアの諸問題対処に当たり、まず中国と協議せよと求める《新型大国関係》を提案している。米国と日韓など同盟国との間にくさびを打ち込む誘い水だ。(2)に関しても、そもそも米モンロー主義は欧州への不干渉姿勢を維持する一方、逆に南北米大陸より欧露列強を除き、北米や裏庭=中南米に過剰介入すれば敵対行為とみなす、戦いも辞さぬ決意表明と換言できる。
 モンロー主義は敵対行為に敏感とはいえ、中国の反応は過剰にして正常ではない。例えば、外国軍艦艇・航空機による自国EEZ(排他的経済水域)内での軍事的監視活動を拒絶する。国際法上の少数意見というだけでなく、国際法上の《航行・上空飛行の自由》原則を否定する「縄張り宣言」だ。ところが、自らは他国のEEZはじめ領域や係争海域にさえ侵入・占領を平然としてのける。
 モンロー主義は、実力や必要がない場合に「不干渉」を強要。実力や必要に応じて、棍棒外交を開始し激化させ、やがて勢力圏の盟主に就く。烈度を比較的低く抑えているつもりでいる中国の棍棒外交は、必ずエスカレートする。世界の海洋の3分の1を占めるEEZ。国際法に逆らう中国の《法律戦》を放置すれば、「欲しい所が領域」と考える地政学上の理屈《戦略的国境》は際限なく膨らむ。
 18日の中露国防相会談にも、イヤな前兆を観た。両国防相は、アジア太平洋地域における米国の軍事・政治面での影響拡大を牽制し、地域集団安全保障体制構築で一致。しかも来春、地域ばかりか地中海での演習実施も合意した。地中海はクリミア問題を抱えるロシアとのお付き合いにせよ、太平洋~東シナ海~南シナ海~インド洋の広い地域・海域で武威を高め、経済・エネルギー覇権を狙う、中国の野望が透ける。
 限界が有るシナリオ
 だのに、ASEAN諸国やインドの危機意識は濃淡を繰り返す。ASEANが17日に発表した東アジアサミットの議長声明は、予想通りとはいえ失望した。中国の海洋侵出を念頭に「海洋の平和と安全が脅かし続けられている」との、東アジアサミットでも海洋安全保障を扱うべしとする従来案が撤回され「平和的解決が重要」と格段に薄められた。これも、米国などサミット参加強国の関与を嫌う中国の工作。ASEAN各国は経済・金融支援で中国に一本釣りされ、警戒感は持ちながらも切り崩されている。
 なすがまま切り崩されていくか否かは、地域諸国に対する中国版モンロー主義のさじ加減による。確かにモンロー主義は、南北米大陸と太平洋でスペインの覇権を一掃したが、覇者が米国に変わったに過ぎぬ。当初こそ中南米諸国は歓迎したが、米国は次第に政治・経済や安全保障面で干渉を増大させた。そして一連の政策が頓挫すると、各地で反米政権を誘発した。
 もっともそれ以前の問題として、米国が欧露列強を排除したごとく、中国が勢力圏から米国を除けるかは疑問も指摘されている。ユーラシア大陸より離れた「島」=北米とは、異なる地政学的前提に立つためだ。陸地で14カ国、海洋を隔てて5カ国と、計19カ国+台湾と国境を接する中国が、いずれの国とも摩擦を起こさず中国版モンロー主義→棍棒外交を達成するシナリオには限界が有る。加えて、中国は信頼に足る強力な同盟・友好国を持たない。かくして、カネと武威でつなぎ止める中華戦略が国際社会で通用しなくなれば、安全保障上は大朗報だ。
 共産主義帝国は歴代中華王朝同様、凶暴・傲慢だが哀れでもある。経済崩壊と、その後に訪れる孤立で「孤独死」する前に、わが国に、領有権問題は存在しない現実を認め歴史問題で謝罪してはいかが。真実と正しく向き合うのなら、お友達になれそうな国を紹介して進ぜる。応じる国があればよいが…。(政治部専門委員 野口裕之)
http://dmm-news.com/article/899558/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室蘭栄高で体験型イベント、魅力満喫胆振「三大遺産」

2014-11-25 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年11月23日(日)朝刊】
 洞爺湖有珠山ジオパーク、アイヌ古式舞踊、縄文遺跡群による「胆振の『三大遺産』」の魅力に触れる体験型イベント「きて!みて!さわって!三大遺産」が22日、室蘭市東町の室蘭栄高校で開かれ、訪れた市民らは世代を超えて「胆振の財産」を楽しんでいた。
 胆振総合振興局の地域政策推進事業(独自事業)「地域文化の学校~学ぶ・繋(つな)がる・発信する」広域展開事業」の一環。「三大遺産」の住民理解促進や地域文化発信の基盤づくりと、北海道新幹線500日前記念イベントも併せて行われた。
 実験・体験屋台とステージの各イベントを通じ胆振の“宝物”を学んだ。洞爺湖有珠山ジオパークゾーンでは、カルデラ地形を作る実験などを通じ火山の仕組みを知り、アイヌ古式舞踊ゾーンでは、ムックリ演奏やアイヌ文様刺しゅうなどでアイヌ文化の一端を体験。縄文遺跡群ゾーンでは、粘土での土偶づくりなどもあり、家族連れらが世代を超え胆振の魅力を満喫した。
 ステージでは、子ども向け縄文講座、北海道新幹線クイズ、アイヌ古式舞踊・絵本朗読、初心者向けジオパーク講座―などが行われ、来場者は伝統文化や歴史、自然、将来の交通などの体験イベントを楽しんでいた。
(松岡秀宜)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/11/23/20141123m_01.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐賀)女声ソレイユ、2年連続文科相賞 全日本合唱コン

2014-11-23 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年11月23日03時00分
 高松市のアルファあなぶきホール(香川県県民ホール)で22日に始まった第67回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)大学職場一般部門で、九州支部代表として室内合唱の部(6~24人)に県内から出場した「女声合唱団ソレイユ」は金賞に輝き、昨年に続いて部の最優秀にあたる文部科学大臣賞も受賞した。
 自由曲に選んだのはハンガリー語の「夜」など2曲。「夜」では、木の葉のざわめきや鳥の羽ばたきなどを様々な発声で表現し、会場に夜の森の表情を紡ぎ出した。北欧の先住民族サーミ人の即興歌「ヨイク」では、足踏みをしたり手をたたいたりして、楽しそうに演じた。
 副団長の浦田千尋さん(28)は「自分たちも楽しめて、会場に曲の面白さが伝わるといいなと思って歌いました」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASGCC6RY8GCCUNBS01B.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸でメキシコ在住アーティストによる展覧会-日墨の移民と文化テーマに

2014-11-22 | 先住民族関連
神戸経済新聞-2014年11月21日
 海外移住と文化の交流センター(神戸市中央区山本通3)内の「CAP STUDIO Y3」(TEL 078-222-1003)で11月22日より、メキシコ在住アーティストによる展覧会「幻影、気配をとらえて」が開催される。
 駐日本メキシコ合衆国大使館、C.A.P.(特定非営利活動法人 芸術と計画会議)、メキシコ日本2014実行委員会が主催し、イベント「メキシコと日本 それぞれの視点 移民と文化変容」の一環で行われる同展覧会。「プログラム1」は、10月26日~11月1日に「交錯する文化-死者の日をとおして」と題してレクチャーとワークショップ中心に開催した。
 「プログラム2」となる今回は、現代のメキシコを代表する写真家のグラシエラ・イトゥルビデさんの写真作品をはじめ、メキシコ在住で美術家のはぎのみほさんと建築家のタロウ・ソリジャさんのメキシコにおける日本人移民と子孫を扱った作品など、メキシコ民俗文化と移民をテーマに展覧会と関連レクチャーを開く。
 C.A.P.担当者の下田展久さんは「2年前、メキシコ在住の日本人アーティスト・矢作隆一さんが来日した際の会話の中で、2014年の支倉常長400年と合わせて『日本とメキシコ、移民と文化の変容』というテーマが出てきた。そこから、いろいろなタイプのアーティストに参加いただくことになり、メキシコの大使館も一緒にこの企画を進めることになった。まさに2年越しの企画」と明かす。「メキシコは移民の国。そして現在の神戸も実はさまざまな国の人たちが集まり、多様な文化がミックスして形成されている。優れたアートを通して、またさまざまな立場の人の声に耳を傾け、文化のミックスを積極的に受け止める機会にしたい」とも。
 1970年代からメキシコの先住民族、地方共同体の宗教儀式や生活を独自の視点で撮影してきたグラシエラ・イトゥルビデさんの写真展「仮面と儀式」は、独特な詩情と対象との間合いが映っているイトゥルビデさんの膨大な作品から選び抜いた代表作を展示。はぎのさんとソリジャさんによる「きおくのなかのくに」は、アメリカ大陸へ渡った日本人移民とその子孫が、家族から何を学び何を継承して来たかがテーマ。2008年から2013年までの5年間、忘れられつつある日本人移民の中で継承してきたことに視点を絞り、メキシコ各地を巡り制作した写真・言葉・ビデオから成り立つ総合作品を紹介する。
 神戸には初めて来たというイトゥルビデさんは「神戸の皆さんに私の作品を見ていただけるのをうれしく、とても楽しみにしている」と話し、はぎのみほさんは「メキシコの文化や移民のことなどを深く紹介するのはなかなか難しいと思うので、このような機会を頂けて本当にうれしい」と話した。ソリジャさんは「今回は、神戸に滞在しながら作品を制作することがメーンで、それに合わせて僕らの活動を展覧会とトークを通じて伝えたいと思っている。ぜひ多くの方にお越しいただきたい」と来場を呼び掛ける。
 初日には、はぎのさんとソリジャさんによる「きおくのなかのくに」についてのトーク(15時~)、イトゥルビデさんのトーク(16時30分~)も行われる。今月28日には、ソリジャさんによる講演「DREAM HOUSE -アメリカへ移民するメキシコ人と建築」(19時~)、イトゥルビデと写真家の畠山直哉さんの対談(20時~)なども予定する。
 開催時間は10時~19時。月曜休館(祝日の場合は翌日)。入場無料。12月28日まで。
http://kobe.keizai.biz/headline/1914/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンパる・なにコレ!?:札幌大ウレシパ奨学金 アイヌ民族に進学の道

2014-11-22 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2014年11月22日(土)
 今年3月、北嶋由紀さん(41)は、札幌大学の卒業式に自作のアイヌ民族衣装で出席した。手芸が好きで「縫い物をしているときは神様が見守っていると聞いたことがあるんですよ。完成するのは神様に好かれているからだって」と話す。
 北嶋さんは2010年4月、36歳の時に、新聞記事で知った「ウレシパ奨学金」を利用して札幌大の門をたたいた。「ウレシパ」とはアイヌ語で「育て合い」を意味する。同大文化学部が、アイヌ民族のために同年度から設けた返済不要の奨学金制度で20万円の入学金と授業料(年間77万円)を給付する。
 北海道が5月に発表した調査によると、道全体の大学進学率が43・0%だったのに対しアイヌ民族は25・8%。アイヌの人々は、近代化の中で独自の文化を奪われ抑圧された歴史を持つ。差別や格差の問題は、現在の生活になお影響している。北嶋さんの母や祖母も、子供を差別から守るためアイヌであることを隠すように言い、大人になるまで隠していた。大学進学は、経済的事情を理由に小学生の頃からあきらめていた。
 ウレシパ奨学金制度を提案・導入したのは、アイヌ文化を専門に教える文化学部教授の本田優子さん。アイヌ民族の大学進学の道を開くとともに、アイヌ文化を学ぶ場を提供する目的がある。
 不況のあおりを受け、学費未納で退学を余儀なくされる一般学生も多いなか、学内からは「アイヌ民族の学生だけ特別扱いするのは逆差別だ」という批判もあった。本田さんは、理解を得るためにシンポジウムを開催するなど尽力した。
 努力が報われ、10年4月、ウレシパ奨学金第1期生6人の入学が決まった。社会人だった北嶋さんもその一人。「もっと奨学金制度を利用してくれる人が増えてほしい」と期待する。初年度以来、受験者が募集定員の6人に達しておらず、認知度の向上など課題は残る。
 現在、ウレシパ奨学生は11人。アイヌ語やアイヌ文化を積極的に学ぶほか、文化伝承保存活動としてイベントの企画運営なども必須となっている。奨学生の一人、4年生の竹内隼人さん(22)は、さまざまなイベントで、踊りを披露するだけではなく、絵本を読み聞かせるなど、何事にも挑戦する大切さを学んだ。「卒業後は、アイヌ文化をいろんな人に発信できる仕事に携わっていきたい」と夢を語った。
 北嶋さんは「私はアイヌ民族として生きることを選んだ。アイヌのことをもっと知って、自分たちの文化を学べる場を作りたい」と話した。【専修大・瀬戸麻理乃、写真は国学院大・小野田愛美】
http://mainichi.jp/shimen/news/m20141121dde012070038000c.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木が宿す時間と命、形に 床ヌブリさんが残した作品  ピヤラ アイヌ民族の今

2014-11-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (2014/11/11)
異彩放つ「彫らない」表現
 10月上旬に77歳で亡くなった床ヌブリさん(釧路市阿寒町阿寒湖温泉)はアイヌ民族の彫刻家の第一人者。シマフクロウや抽象作品でアイヌ民族の心を豊かに表現した。釧路市内にも多彩な作品が残る。一部を紹介する。(斉藤直史)

 アイヌ民族の守り神シマフクロウの彫刻作りは床さんが先駆けだ。「コタン・コロ・カムイ」など穏やかさと鋭さを兼ね備えた作品を多く手がけた。道立帯広美術館の五十嵐聡美学芸課長(50)は「木と対話し、木が蓄えてきた時間や宿っている命を生かして制作している。一見粗削りで未完成に見えても、作品として成立している床さんにしか表現できない世界観があった」と語る。
 「ユーカラ クル」(アイヌ物語の語り部)も異彩を放つ。ニレの埋もれ木を材料に彫る部分をできるだけ少なくして原木の質感を生かした。床さんの長男、州生(しゅうせい)さん(48)は「月日を重ねるにつれ、彫らずに表現するようになった。彫る時間より考える時間の方が長かったかもしれない」。
 釧路市立博物館に保管されている「カムイ・ミンタラ」は縦2メートル、横6メートルのレリーフで、神々が遊ぶ庭を表現した。別の作品の制作を手伝った弟の明さん(70)は「繊細な作業は譲らず、必ず自分でした。寡黙に集中して彫る姿が印象的だった」。
 1990年には釧路市の姉妹都市カナダ・バーナビー市の公園にカナダ杉約150本を使った高さ20メートルの木彫群15基を完成させた。当時のバーナビー市長に協力を依頼するなど尽力した元釧路市議の張江悌治さん(80)は「計画は床さんのひらめきで始まった。バーナビー市が作業所や宿泊場所などを援助してくれた」と振り返る。
 床さんは68年にユーカラ劇の「阿寒湖ユーカラ座」を結成。76年にパリの国連教育科学文化機関(ユネスコ)本部での公演を実現し、演出や監督を務めた。ともに公演に携わった友人の千家盛雄さん(74)は「出演者に物語を丁寧に説明して理解してもらっていた。衣装やストーリーの設定など夜通し話をしたのが懐かしい」と惜しんだ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/piyar/249928.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR北海道、列車愛称「はやぶさ」と「はやて」

2014-11-21 | アイヌ民族関連
スポーツ報知 2014年11月20日19時49分
 JR北海道は20日、2016年春に開業予定の北海道新幹線(10両編成)の列車愛称を運転区間に応じ「はやぶさ」と「はやて」にすると発表した。いずれも東北新幹線の愛称と同じ。独自の愛称を付けなかった理由を「東京から北へ向かう列車愛称として定着している」と説明している。
 シロハヤブサや北海道の形をモチーフにした車体に付けるロゴや、在来線の函館駅と新函館北斗駅(北海道北斗市)を連絡する列車(3両編成)のデザインも発表した。
 はやぶさは東京・仙台(仙台市)―新函館北斗を直通運転。はやては盛岡(盛岡市)―新函館北斗を直通運転し、新青森(青森市)―新函館北斗も結ぶ。詳しい運行体系はまだ決まっていない。
 この日は建設中の函館総合車両基地(北海道七飯町)で車両の内装を報道陣に初公開。カーペットなどのデザインで北海道らしさを演出した。
 普通車8両の定員は658人。カーペットに雪の結晶柄を取り入れ、ブラインドにはアイヌの文様風の柄をちりばめた。グリーン車は1両で定員55人。流氷の海明けを思わせるグレーがかった青色のカーペットと、雪の結晶をデザインしたブラインドが特徴だ。
 最高級車両「グランクラス」は1両で定員18人。大沼など沿線の湖沼の水面が輝く様子をカーペットにデザインした。
 東北新幹線のE5系車両と異なり、車内には消費電力が少ないLED照明を導入。車体の外装にはロゴを10か所にあしらう。
http://www.hochi.co.jp/topics/20141120-OHT1T50066.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ文化を笑顔で伝え32年 民族博物館の高橋さん退職へ

2014-11-21 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2014年 11/20)
 白老町のアイヌ民族博物館の伝承課で32年間にわたって働いてきた高橋志保子さん(64)が、27日の博物館勤務と月末の移動博物館での演舞披露などを最後に退職する。朗らかな笑顔で来館者を出迎え、旅行者はもとより旅行会社の添乗員などからも人気。同館のムードメーカー的存在で、退職を惜しむ声も少なくない。高橋さんは「最後の踊りで胸がいっぱいになるかも。それでも頑張って最後のお仕事を勤め上げたい」と話している。
 高橋さんが現博物館の前身である白老民族文化伝承保存財団に就職したのは1968(昭和43)年。最初に担当したのは駐車場からツアー客をポロトコタンまでの案内誘導係で「当時は50以上の土産物店が並ぶ間を通り抜けた」と言い、活気のある時代を経験した。
 その後、受付係を経て古式舞踊を担当。当時は夏期営業のみで「冬は10人以上のグループで千葉県や鳥取県、熊本県などの観光地ホテルに数カ月滞在し、踊りを披露する出稼ぎもした」と振り返る。
 22歳の時に結婚。2児に恵まれ、子育てのため15年ほど仕事から離れたが、一区切り付いた43歳の時に家族を説得して仕事に復帰した。アイヌ文化の普及が急速に進んだ時代と重なったことで活動範囲が一気に拡大。海外に行く機会も増え、先住民がいるフィンランドや台湾をはじめ、イギリスやフランスなど7カ国を訪れた。「いろんなところに行かせてもらった。博物館に来るツアー客の添乗員さんとも仲良くさせてもらって本当に楽しいことばかりだった」と語る。
 高橋さんの魅力は何と言っても人懐っこい笑顔。外国人観光客に対しても「言葉は分からないけど一緒に記念写真を撮ったり、ムックリ(民族楽器)を教えたり。ポロトコタンと踊りが本当に大好きで、この場所でいろんな国の人と交流した」と話す。
 1人でも多くアイヌ文化を知ってほしいという思いが強く、自宅に飛び込みの営業電話が掛かってきた時には「アイヌ民族って知ってる?」と逆質問。電話口でムックリ演奏を聴かせることも「しょっちゅうありますね」。それがきっかけでアイヌ民族博物館まで足を運んでくれた人もいるといい、バイタリティーあふれる人柄が人気の秘訣だ。
 5年前に60歳の定年を迎え、延長雇用の5年もあっという間。博物館の勤務は今月27日までで、29、30日に名古屋と三重県松阪市の移動博物館で披露する古式舞踊が最後の仕事になる。
 32年という歴史を振り返り、「楽しいことばかりでアイヌ民族に生まれて本当によかった。職員としては最後になるが頑張って踊りたい」といつもの笑顔で語ってくれた。
http://www.tomamin.co.jp/20141119158


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2)地域連携

2014-11-21 | アイヌ民族関連
朝日新聞-2014年11月20日
■進学・商談、地元感覚で
■青函交流、互いに熱視線
 「北海道新幹線で青森まで1時間」。スタッフがそんなアピールをする会場は、熱気に包まれていた。
 今月3日、函館市のホテルであった進学相談会。函館市や道南から大勢の高校生が詰めかけ、各ブースで学科や学費などについて聴き入った。
 待ち受けたのは、青森県内の全17大学・短大と専門学校の計30校などだ。入試担当者らだけでなく、現役学生も参加し、授業内容や学生生活などについての相談に親身に応じた。
 PRの中心は、青森県の「身近さ」だ。北海道新幹線の開業により、特急で約2時間かかる函館―青森間の所要時間は約1時間に短縮される。
 道南の高校生の進学先は、函館以外では札幌か首都圏が中心。青森県側は「新幹線が開通すれば、青森への親近感が増すと思う。地域の魅力も発信し、進学先の選択肢にしてほしい」と語る。
 東北新幹線の終着駅・新青森駅が開業したのは2010年12月。3カ月後に東日本大震災が起きた。開業効果を生かし切れなかった青森県にとって、北海道新幹線の開業は、まさに「第2の開業」だ。
    ○  ○  ○
 北海道側も青森県に熱い視線を向ける。
 青森県のスーパー「ユニバース」が函館市内で10月末に開いた青函連携商談会には、道南の食品製造業者など52社が参加し、自社商品をPRした。ユニバースは青森県を拠点に北東北で51店を展開。商談会で発掘した商品などを、11月下旬から全店で開く「青函フェア」で取り扱う予定だ。道南の企業は「函館に来ないと買えなかったものが、青森でも日常の商品になる」と期待する。
 1988年に青函トンネルが開通し、青函連絡船で約4時間を要した時代は終わりを告げた。翌89年に始まった青森、函館両市の「青函ツインシティ提携」では100を超える交流事業が展開され、文化やスポーツなどの交流が続く。四半世紀に及ぶ青函の地域連携は、新幹線開業で一層拍車がかかることになる。
    ○  ○  ○
 ピンチをチャンスに変える。その一心で、地域連携を進めているのが、道南から離れた日高地域と胆振地域の14市4町だ。
 北海道新幹線は将来、札幌駅まで延伸される。新函館北斗駅から長万部駅を経てニセコ方面へ。羊蹄山のふもとを走り、小樽を経由して札幌へ向かう。
 「観光客の足が遠のき、さびれてしまうのでは」。そんな危機感を早くも抱いているのが、新幹線のルートから外れる洞爺湖や登別温泉などの観光地を抱える胆振地域だ。日高地域も呼応して昨年10月に発足したのが、14市4町と観光協会、民間企業など官民66団体でつくる「北海道新幹線×日胆(にったん)地域戦略会議」だ。
 会長は岩倉博文・苫小牧市長が務め、下部組織として今年7月には、動画制作や観光商品の開発に取り組む民間組織「ディスカバー日胆プロジェクト」、略して「DNP」も発足した。
 9月には、日胆から初めて足を外に踏み出し、函館市へも乗り込んだ。函館最大級の食の祭典「はこだてグルメサーカス」に日胆のブースが初めて設けられ、洞爺湖有珠山ジオパークや白老町のアイヌ文化など、日胆の観光を紹介。地場の菓子店のチーズやプリンはあっという間に売り切れた。
 事務局を務める苫小牧市政策推進課の担当者は言う。「地域と地域が手を携えることで、新幹線開業をチャンスに変える。交流人口を増やしていくことでしか、人口減少社会の中で私たちの地域が生き残る方法はない」
 (泉賢司、日比野容子)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20141120011360001.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神々の国へ(釧路市)

2014-11-21 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年11月19日
 アイヌのユーカラの世界では、人間の住むコタンを守護し、人と神を仲介するフクロウ神が住むという。人々は願いを伝えるため、神に手紙を出す。その手紙はフクロウ神の使いによって、神々へと届けられる。
 この神話をベースに制作されたのが床ヌブリの「神々の国へ」だ。重さが240キロもある巨大な板3枚からなるレリーフで、カツラの分厚い合板は、神話世界を表現するに十分な重量感を持っている。
 床ヌブリは身長をはるかに超える巨大な板を前に、一心にノミを振るった。左にフクロウ神、中央に神に遣わされた鹿に乗る女の子、右に少女を迎える太陽神を配し、男性的なノミ跡と女性的な木肌の滑らかさを組み合わせ、表情豊かでダイナミックな作品に仕上げた。風を感じさせる動きのある構図と、神々の荘厳な表情が、ユーカラの幻想的な世界観を伝えている。
 本作は釧路市民文化会館の開館翌年の1980年に有志市民により寄贈された。床ヌブリ氏は先月亡くなられた。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 (瀬戸厚志・釧路市立美術館)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20141119011150001.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山形)羽黒山伏、ニュージーランドで護摩供養

2014-11-20 | 先住民族関連
朝日新聞 2014年11月20日03時00分 溝口太郎
 ニュージーランド北島にある原住民ワイタハ族の聖地で行われた祭典に10月、鶴岡市羽黒町で宿坊を営む羽黒山伏の星野文紘さん(68)が招かれ、同じ山伏でデザイナーの三浦雄大さん(34)と2人で、修験道の護摩の火をたいて住民の繁栄を祈った。交流後、2人は「自然に平和や繁栄を祈る思いは世界に通じる」と語った。
 2人が参加したのは、ニュージーランド最古の原住民とされるワイタハ族が、50年に一度、気象や水を占うため続けてきた「ウォーター・ギャザリング」という祭典。
 開催地のワイタンギは、1840年に原住民と英国が植民地化の条約を交わした地。祭典は植民地化以降は限られた人の中だけでひっそり続けられてきたが、自然の英知や教えを子孫に伝え、世界と共有しようと、今年初めて北米やオーストラリア、ネパールなど世界各国の先住民や祭司らが招かれた。出羽三山を訪れたワイタハ族の長老と交流のあった星野さんも、その1人として招かれたという。
 護摩をたいたのは、祭り初日の10月15日午前5時。現地の木の枝を集めて高さ2メートルの箱形に積み上げ、日本から運んだ結界の注連(しめ)を張った。ワイタハ族や世界の先住民ら200人が見守る中、朝焼けの空を染めるように炎が上がったという。
 帰国した三浦さんは「抑圧された歴史を振り返ったのか、よみがえった炎を見て大勢の人が涙を流していた。平和や繁栄を祈る思いを共有できて本当にうれしかった」。星野さんは「水や炎、自然は人間が生きていく命の源。次は庄内に世界の先住民を招いてサミットを開きたいと強く思った」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASGCC5WV1GCCUZHB00L.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道に補助金443万円を返還へ 緊急雇用で不適切採用

2014-11-20 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2014年 11/19)
 白老町は、政府の緊急雇用創出事業臨時特例基金を活用して2011年度に実施した3事業の要領や要項に該当しない部分があり、会計検査院から一部が補助金対象外となるため総額443万9906円の返還通知を受けたことを明らかにした。17日の町議会全員協議会で説明した。年度内に道に返還するとしている。
 対象は(1)エゾシカ防護策設置・捕獲事業(事業総額1046万3072円)(2)アライグマ捕獲事業(同737万4122円)(3)アイヌ文化の伝統的衣装(ルウンペ)製作伝承事業(同1331万1003円)―3事業で、それぞれ一部事業内容が該当していないという。
 町によると、エゾシカ捕獲事業は雇用した6人のうち2人は、実施要項に定める公募を行わずに採用、アライグマ捕獲事業も同様の理由で3人のうち1人を雇用した。164万5102円と136万1807円をそれぞれ返還するよう会計検査院の指摘を受けた。
 また、アイヌ文化の伝統的衣装製作伝承事業は会場とした「イオルチセ」(伝統的家屋)の使用料について、算定根拠とした減価償却費の算定方法や損失費用計上に誤りがあったため、町を通じて事業を受託したアイヌ民族博物館に143万2997円全額を返還するよう求めている。
 戸田安彦町長は「この事実を深く受け止め、適正な執行を図るためにも職員の指導などを一層務める」と陳謝し、再発防止に努める考えを示した。
 会計検査院の調査は、08~12年度に実施された緊急雇用対策の特例基金を活用した事業を対象として、13年10月に12道県134市町村で実施。6道県13市町で補助金の目的外使用が見つかっている。
http://www.tomamin.co.jp/20141119113

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民族の歌を札幌で発表へ 恵庭の池田さん アイヌ弁論大会に挑戦

2014-11-20 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2014年 11/19)
 恵庭市恵み野西の池田厚さん(68)が、22日に札幌で開かれる第18回アイヌ語弁論大会「イタカンロー」の口承文芸部門で、手話を交えてアイヌ民族の歌を発表しようと練習している。考古学好きが高じてアイヌ文化を学び、自身の生きざまを見詰め直しながらの挑戦で、「アイヌ文化を広めるお手伝いができれば」と意気込んでいる。
 池田さんは釧路管内厚岸町の出身で、恵庭には1995年に移住した。2005年に国の史跡指定を受けた、恵庭の史跡カリンバ遺跡に興味を持ったのを機に「もともと考古学好きだった」という血が騒ぎ始めた。千歳のキウス周堤墓群などを訪れるうちアイヌ文化に興味を持つようになり、「あいさつの『イランカラプテ』という言葉が自分の心に大きく触れた。アイヌ語に素晴らしい精神文化があることを、学べば学ぶほど分かってきた」と振り返る。
 池田さんは北海道拓殖銀行に勤めていたが、同銀行の破綻とともに転職を余儀なくされ、大学や病院などの経理職を務めてきた。今年に入ると体調を崩し、4月には手術も経験し、仕事も辞めざるをえなかった。そんな中で昨年傍聴した公募制の同大会に、「何としても出場したい」との思いが膨らんでいった。「アイヌ民族の精神文化を学び、『自分の人生はどうだったのか』と考えることもある。68(歳)でも何かに挑戦できる意欲を持ち続けたい」と7月から練習し、準備を重ねてきた。
 当日はアイヌ民族の衣装に身を包み、アイヌ民族の歌ヤイサマを手話を交え、自己紹介も含めて5分程度で発表する予定。歌はSTVラジオの「アイヌ語ラジオ講座」で、手話は本を読んだり専門家のアドバイスを受けるなどし、それぞれ学んできた。同大会ではこれまでもアイヌ語に手話を交えた発表はあるが、まだまだ珍しいケースといい、池田さんは「アイヌ語をどう解釈するか難しい部分もあったが、分かりやすく手話で表現できそう。より多くの方に知っていただく機会にしたい」と話している。
http://www.tomamin.co.jp/20141119131


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多くが“盗掘”により持ち出された先祖の遺骨――東大でアイヌ民族の慰霊祭

2014-11-20 | アイヌ民族関連
週刊金曜日 2014 年 11 月 19 日 10:10 AM
東京大学が保有する198体に及ぶアイヌの遺骨を慰霊するため、10月22日、同大学医学部二号館前でイチャルパ(慰霊祭)が執り行なわれた。旭川アイヌ協議会会長の川村・シンリツ・エオリパック・アイヌ(「先祖を大事にする人」の意味)さんが祭祀を司り、アイヌ伝統舞踊をレラの会代表の平田幸さんが舞った。雨のなか儀式の厳粛さに学生も足を止め、キャンパスにはアイヌ語の歌が響いた。
文部科学省の調査でアイヌの遺骨が全国12大学に1600体以上存在することが昨年公表され、多くが明治期以降、盗掘によって蒐集されたことが判明している。東大が保管するのは、主に1888~89年に小金井良精医学部教授がクリル諸島や北海道で集めたもの。彼の銅像が標本室入口に飾られていることに、川村さんは憤る。
アイヌ民族と支援者は慰霊祭後、遺骨返還を求める573筆の署名を持って東大本部に向かった。しかし、大学側はビルのシャッターを閉じ、警備員と職員がバリケードを張り、署名は届けられなかった。拒絶の背景には、政府の進める「アイヌ文化の復興等を促進するための『民族共生の象徴となる空間』の整備及び管理運営に関する基本方針」(本誌6月27日号で詳報)がある。
6月13日に閣議決定され、道内・白老町に「遺骨等の慰霊および管理のための施設」を2020年の東京五輪までに作るとした。だが「慰霊」とは名ばかりで、遺骨は引き続き研究対象となる。北海道は開道150年に合わせ、この計画を18年に前倒しする予定。
7月、スイス・ジュネーブの国連自由権規約委員会日本審査でアイヌに対する日本政府の対応が問われた。政府は同閣議決定を持ち出して自画自賛したが、そこにアイヌの意思が反映されているとは言い難い。多くのアイヌは、自分たちの墓に先祖の遺骨を返してほしいと望んでいるからだ。
(根岸恵子・ルポライター、11月7日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=4830

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Interview:柳楽優弥 演じることに愛を注ぐ カンヌ受賞から10年、映画「最後の命」に主演

2014-11-18 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2014年11月18日(火)
 濃く太い眉毛の下からのぞく大きな瞳。名子役と言われた少年は10年の歳月を経て大きく成長していた。近年の柳楽(やぎら)優弥は、番長役やアイヌの若者役など進境著しい。
 最新主演作「最後の命」(松本准平監督、原作・中村文則、全国公開中)では一転、トラウマを抱えながらも生きる意味を見いだそうとする繊細な青年・桂人を演じた。「もし、彼が目の前に現れたら『現代っ子』って言ってやりたいですね。渋谷に行ったら、むちゃくちゃいると思うんですよ。自分も現代っ子なんで『お前に言われたくないよ』と言い返されるかもしれませんが」と笑う。
    ■   ■
 幼少期に巻き込まれた集団レイプ事件の影響で、人付き合いを避けながら都会の片隅で仏文学の翻訳を黙々と続ける若い男という役どころだ。
 「桂人には自分と同じ匂いを感じます。感情を抑えるところとか、ちょっとためらってしまうところとか共通点を演じるうえで生かしたいと思った。今回は妙に自らに近い性格だったので、いろいろ考えて大変でした」と振り返る。
 「自分の生きていることを受け入れる」ようになるまで、桂人は幼なじみで一緒に事件に遭った冴木(矢野聖人)や、精神を病んでいる恋人香里(比留川游)ともがき苦しむ。「生きるとか、死ぬとか、高校生ぐらいの時は敏感ですよね。でも、死しか選択肢がないのはもったいない」
 重苦しい空気が作品を支配する。が、長い雨が降った後に<もう一度窓を開け、虹を集めよう>と歌うCoccoの主題歌がラストに流れる。柳楽は「すごく救われた。トンネルを走り回って出口を探していた3人が、差し込む光を見つける。僕の世代や30代の心に響く映画になったらうれしい」と言う。
    ■   ■
 今24歳の柳楽にとっても「激しい波があった」10代後半は、体調を崩したこともある苦しい時期だった。
 2004年、14歳にして主演映画「誰も知らない」(是枝裕和監督)で第57回カンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を獲得し「重圧」となった。
 「高いハードルを求められているのではないかと、自分には考えすぎていた部分がありました。過去に対する後悔は全くありませんが、反省点は山のようにある」
 そんな“トンネル”を歩いていた時、一つのフランス語の言葉が自らを支えた。
 <私の人生で家族に次いで最も愛を注いでいるものが、俳優の職業である>(原文はフランス語)
 この10年来、ずっと自身のホームページに掲げている。
 「14歳の時、ひらめいた言葉です。英語で書いていたら『分かりやすいな、この人』と思われてしまうので、フランス語にして僕なりに一ひねり加えたつもりです。格好付けた言葉ですよね。許してください」と恥ずかしがる。
 「でも、当時の感性を、素直な気持ちを僕は大事にして忘れたくない。だから、あえて残しているんです。演じることが好きなんです。常に答えがないから」。こう語り、真っすぐ私を見つめる目には力があった。【広瀬登】
http://mainichi.jp/shimen/news/m20141117dde012200003000c.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする