今日は巳正月。
といっても、愛媛県東中予特有の行事で、更に東予では「辰巳」中予では「巳午」(みんま)に行われるようです。
逆さないのしめ飾り、お墓ではそのお餅をわらなどであぶり皆でちぎって分けて食べる、お墓参りの間、一言もしゃべらない等、その内容は異様です。
その「いわれ」も色々あるようですが、そのうちの1つ。
新田義貞の弟脇屋義助は伊予守の官職についたこともあるようですが、最後は中国・四国方面の総大将に任命されて四国に渡るが、伊予国の国府で突如発病し、そのまま病没したそうです。
その国府が今は四国八十八箇所霊場の第五十九番札所国分寺、そこには脇屋義助の慰霊儀式としての巳正月の「いわれ」が伝わっているそうです。
行事の地域性からは、そうかも知れません。
とは言え、時代も内容も全く異なる説もあるようですから、時を経るにつれ、複数の儀式の意味合いが付加されていったのかも知れません。
伝わる行事内容が異様なだけに、その由来は興味深いものです。
といっても、愛媛県東中予特有の行事で、更に東予では「辰巳」中予では「巳午」(みんま)に行われるようです。
逆さないのしめ飾り、お墓ではそのお餅をわらなどであぶり皆でちぎって分けて食べる、お墓参りの間、一言もしゃべらない等、その内容は異様です。
その「いわれ」も色々あるようですが、そのうちの1つ。
新田義貞の弟脇屋義助は伊予守の官職についたこともあるようですが、最後は中国・四国方面の総大将に任命されて四国に渡るが、伊予国の国府で突如発病し、そのまま病没したそうです。
その国府が今は四国八十八箇所霊場の第五十九番札所国分寺、そこには脇屋義助の慰霊儀式としての巳正月の「いわれ」が伝わっているそうです。
行事の地域性からは、そうかも知れません。
とは言え、時代も内容も全く異なる説もあるようですから、時を経るにつれ、複数の儀式の意味合いが付加されていったのかも知れません。
伝わる行事内容が異様なだけに、その由来は興味深いものです。