昨晩は日付が変わってから寝たのだが早朝の3時頃にパチッと眼が覚めた。常は一度寝ると余程の事が無い限り目覚める事は無いのだが「此れは何か在るな?」と思い無線機のスイッチを入れて聞き始めた。昼間のハイ・バンドと違いノイズ・レベルが低いので海外の信号は決して強くは無いが(Sメーターは余り振れないが)浮かび上がる感じで聞こえる。最初は14MHzから聞き始め途中で7MHzや18MHz帯を上がり下がりして聞こえている所を呼んで見た。大した所は入って居なかったがD3(アンゴラ)とA71(カタール)は朝起きの得となった。
D3AA 19:33U 14MHz CW
HB30OK 19:51U 18MHz SSB
R070PS 20:09U 7MHz CW
HG5FIRAC 20:20U 14MHz CW
EM20RRC 20:35U 14MHz CW
GI4DOH 20:58U 14MHz CW
HA4FF 21:11U 14MHz CW
A71AM 21:17U 14MHz CW
EA8/DL3FCG 21:25U 18MHz CW
LZ1722SN 21:58U 18MHz CW
現役中は平日でも夜討ち朝駈けは時々遣ったが 其れは特別に珍しい所とのQSOが目的の時のみ、其れでも週末は集中的に聞く事が多かった。ほぼ徹夜状態で太陽が上がり切りバンド・ノイズが大きくなると椅子の下のカーペットに「ああ~疲れた~眠たい」と崩れる様に横に成るのは常であったし、夏場の週末は布団で寝る事は無かったように記憶している。
其れ成りに得る物も有ったが今思い返すと家族サービスは疎かにしていた様に思える。特に子供にとっては良い父親では無かった様で成人した子供からは「子供の頃の父さんのイメージはヘッド・ホォンをしてマイクに向かい大声を出していた無線機の前の姿しか無く、近付くと煩い向こうへ行って遊べとよく言われた」と言う。「誠に不徳の致す所」確かに少なからず自覚しているが其の不徳の私でも子供の幼少の頃は寝る前に私の両脇に娘と息子を置いて2年間位は毎晩、童話を読み聞かせた事も有ったのだが如何した訳か?其の効果も記憶も無い様である。まあ父親とは子供に取ってその様な存在感しか一般的に無いのだろう。
私の父親は時代背景もあったが農家の長男に生まれた為に、当時は農繁期間が長く兼業農業は難しく、其の為、勤めをする事は無かった。其の為に定期収入が無く、子沢山と戦争の影響も有り、一生懸命に仕事に明け暮れた人生で、趣味も持たず(多分持てなかったのだろうが?)酒、タバコも遣らず、頑固一徹を絵でいく人であった。小さい頃、其の父親を見て尊敬はしていたが自分の中で「経済的に許されるなら仕事人間には成らない事と農業だけは生活の糧にはしたくない」と子供心に感じていた。
私は5人兄弟の末っ子、家を継ぐ必要も無かったので、何時かは家を出て独立する身、子供の頃には希望として教師に憧れたが大学進学は期待出来なかったので2人の兄が其々、技術者だった事も有り、工場高校に進み技術系に進む事は小学校の高学年にはおぼろげながらに決めていた。そして中学生頃にアマチュア無線を知り、当時の状況から自分には縁遠い物と思って居たが「念ずれば通じると言うべきか?」不思議な縁でこの世界に入った。
不遜だが電気が好きな訳でもなく電気の世界に進むと、ひょっとしてアマチュア無線が出来るかも知れない的、動機で電気科を目指した。今と違って当時のアマチュア無線は誰でもが手掛けられる趣味では無く、可也ハードルも高く経済的な事は勿論だが技術力が必要で当時の開局者は殆どの人が其の道の人達であった。
多感な時期にこの泥沼に入り、後は勉強もせずに無線に明け暮れた。事実この世界に入った事で家電メーカーのサービス部門に身を置いたが学校で勉強した事よりアマチュア無線をする事により知れ得た事の方が実社会では役立つ事が大半で有った。最終的に、この世界を目指した事は選択肢として正解で有ったかどうかは最後まで解からないが首をつ込んだ以上、後戻りは出来ないし他にも色々な事を遣ったが其の存在を知ってから50年、色褪せる事無く継続出来た趣味はアマチュア無線のみ、此れは最後まで付合うしか無いと思っている。長い間には取組み方にも浮き沈みが有るが、時々今朝の様なコンディションに遭遇すると俄然、意識が高揚する。日頃、失せかかっている無線の原点「無線は如何に遠くの人と交信するか?」に私の場合は尽きる。