彼岸の中日(春分の日)が近付いて居る事は解かって居たが、此の日は21日と思って居た。今朝、家内が起きて来て「お父さん、今年はうるう年だから例年寄り1日早いので今日はお墓の掃除に行かなければ!」と言って来た。此の時には無線のワッチを終えて、のんびりと千羽鶴を折って居たが「此れは、こんな事をして居る場合では無い!」親爺は生前に、『彼岸の中日に墓掃除に行く様な奴は親不孝者、必ず何日か前に墓掃除を済まさないと親や御先祖様に申し分けない。』と良く言って居た事を思い出し家内と二人で、お墓掃除に出掛ける事にした。
今年は可也の暖冬だったので雑草は伸びて居るかも知れないのでエンジン式草刈機と箒と熊手と満杯の水が入ったバケツとを二人で分散し急勾配の坂道を200m程登ると早くも息切れが始まる。流石に将来私が眠るお墓の場所は(私の実家の元墓地で現在遺骨は納められて居ないが墓石だけは残している。)此の街に昔から在る家の墓地なので既にお墓掃除は終っており、既にお墓参りの後が伺えた。
家内と二人で雑草を刈り、周りを奇麗に掃除していたら軽く1時間半ほど掛かった。此処には両親や御先祖さんは居ないのだが墓石を残して置かないと他人が此の場所を墓地として使う可能性が在るので(墓地は登記する事が出来ないので)時期時期のお墓掃除や墓地の管理は確りと行なわなければならないし其の権利を失う事に成る。従って遅まきながらも、遣るべき事は何とか終った。
山を降りて駐車場の直ぐ横の実家の御墓に参り手を合わせて来た。此処には私の全く知らない御先祖さんから私の曽祖父までの歴代が眠るお墓と私の両親と私の兄(長男)が眠る墓と長野県の善光寺で永代供養されて、其処で許可されている母親の慰霊塔が建って居て其々に線香を手向け私達家族の近況を報告して我家も3代目が元気に成長して居る事を報告した。母親は亡なってからの年数を忘れてしまう程の年数が経ち、父親は13年前に旅立ち(此の29日に13回忌の法事をする連絡が来て居る)兄が旅立って早いもので既に丸五年が過ぎた。昔から『去る者は日々に疎し』と言われるが、其れだからこそ残された者は少しずつ悲しみを忘れていく事が出来るのだろうが?年に数回、此処に来て手を合わせる事で故人との思い出を偲ぶ事が出来る。今回、もう少し気付くのが遅れて居たら草場の父親から『お前は、相変らず出来の悪い息子や!』と言われる処であったが家内の機転で辛うじてセーフと成った。