「フェリーみしま」が鹿児島港に入港前に自動車での乗船組は先に車の甲板に降りたため陸に上がってから皆さんと御別れの挨拶をしようと思っていたのだが岸壁に着岸して上陸した段階では誰も見付ける事は出来なかった。この時、2年前に御会いした鹿児島の局が来られるかも知れなかったので路肩に少し車を停めて待機したのだが見付ける事が出来なかったので仕方なく国道に出る道の交差点前に来た時、K君がデジカメを構えて待っていた。近付くとストロボが光った後に「小父さん お元気で」と、にこやかに手を振ってくれた。態々私が来るのを待構えていたのだ。後続車がいたのでゆっくりと左折しながら「元気でね 良い旅を」と手を振りながら別れたが胸が熱く成った。
其の日は鹿児島港を23:00分に出港する「フェリーとしま」で先程、錦江湾を北上したコースを十島村の中之島に向かいトンボ返りの日、今回は十島村に5月7日~12日までの長期滞在の為、水、食料、ガソリンの調達と明日の中之島での運用は山中に成るので温泉に入る事にした。鹿児島市内にも温泉は沢山有ったと思うが小心者の私は慣れない土地で迷わず確実に行ける「喜入の道の駅の温泉」へと再度向った。硫黄島では温泉に恵まれて毎日、無料の露天風呂に入る事は出来たが硫黄成分の強い源泉では頭や体を洗う事が出来なったのでサウナに入りしっかりと汗を流した。鹿児島港の南埠頭への帰り道、食料の調達もガソリンも前回と同じ場所で調達し我ながら進歩が無いなと感じた。
十島村への交通手段は三島フェリーと同じ様に十島村の村営事業で有り「フェリーとしま」を利用する事になる。発着場は南埠頭で三島フェリーの直ぐ近くの反対側にある。出港は23:00分、フェリーの大きさもほぼ同じ位の大きさで村営事業なので最初に乗船書類を書くと後は名前の記入だけで良く予約や乗船情報が各港に通達されており此の点は煩わしく無く非常に便利で有った反面、口之島からの帰り便のフェリーを港湾内で待っていたのだが待合場所で何時まで待っても乗船券の販売がされないので島の人に聞いたら「此処では乗船切符は買えない」と言われ慌てて島の反対側の支所に走り辛うじて間に合う離れ技を演じる事と成った。車での乗船だったので直ぐに走って如何にか間に合ったが歩きだと30分以上掛かる距離、乗り遅れると更に2~3日間の滞在を余儀なくされる。矢張り本土での通常の考えや感覚で判断すると とんでも無い事が始まる。余談になったが「フェリーとしま」は定刻に出港したが夜遅い事も有り皆さん早々と毛布に包まり寝ていた。
翌朝、最初の寄港地である口之島に夜明け前に到着し、乗船客の大半は此処で下船した。口之島を出港すると直ぐに日が昇り始め上段4番目の写真の中之島のトカラ列島最高峰の御岳が見え始めた。遠景から見える御岳は硫黄島の硫黄岳に良く似ていたが近付くにつれ緑に覆われた綺麗な稜線を持つ流石「トカラ富士」と言われる山であった。下段は中之島で見た花の写真、3枚目は運用場所、迂闊にもアンテナを撤去してから前日に写真を撮って居ない事に気付いたが後の祭りと成った。
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